憂いの空と欠けた太陽

弟切 湊

文字の大きさ
上 下
94 / 142

温泉

しおりを挟む
部屋には浴衣が三人分置いてあって、旅館にいる間やちょっと散歩に出る時には着ていいみたいだった。
予約する時に三人であることは伝えてあるし、旅館の人が準備しておいてくれたのだろう。
バスタオルやハンドタオルも人数分と予備のもう一式が置いてあった。

僕らはそれらと新しい下着などを持って、一階にある浴場へと向かった。
男湯の暖簾のれんを潜ると、そこは籠がいっぱい並んだ脱衣所だった。床は籐が敷いてあり、ひんやりと冷たくて足障りが良い。決して広くないが、無駄に広いより落ち着きがあった。

脱いだ服を籠に入れる時、他の何人かの衣服が入っている籠があったので、先客が既に入っているようだ。
有栖的にはあまり人に見られたくないと思うけど、それを聞いたら『こういう旅館の常連なら野暮なことはしないんじゃないか?』という希望的観測を聞かされた。
……まあ年配の方なら、有栖のこと知らない可能性もあるし。本人がいいならいいか。

僕らも脱衣を終えて、腰巻タオル一枚で浴場に入る。中には小さな湯船が一つと、洗い場が三つ。露天風呂も一つあるようだ。

室内の湯船には二人のおじ様が浸かって、仲良さげに話していた。僕達が入ってきたことに気付いて、軽く会釈をしてくれる。僕らも会釈を返して、洗い場に向かった。ちょうど三つなのでピッタリだ。
二人が座って、何故か真ん中が空いたのでそこに僕が座った。

ここで喋ることもないので、黙々と体を洗う。今日は川に入ったしバーベキューもしたからいつもより念入りに汚れを落とす。
有栖は筋肉質で引き締まった体を素早く洗うと、丁寧に髪の毛を洗っていた。旅館のシャンプーじゃなくて持参したミニボトルを使っているところを見ると、彼の髪へのこだわりが伺える。
川遊びの時も思ったけど、水も滴るいい男、って言葉がこれ程しっくり来るのは有栖くらいじゃないだろうか。
僕が体を洗いながらそう考えていると、

「?」

トントン、と肩を叩かれた。
そちらを見ると、冴木さんが困った顔でシャンプーとボディソープのボトルを持っている。

「どうしたんですか?」

僕が小声で聞くと、彼も小声で返してくる。

「私、眼鏡を取ると本当に何も見えなくて……。それに湯気があるからか余計に視界が悪いんだ。これ、どちらがボディソープか教えてくれないかな」

なるほど。確かに三人ともシャワーを使っているからか、湯気が凄くてただでさえ見にくい。目が悪いと余計見えないのだろう。
シャンプーとリンスならボトル側面の凹凸でどっちか分かるけど、ボディソープとシャンプーには付いてなかったのかもしれない。
僕は右手のがシャンプーで、左手のがボディソープだと教えてあげた。

「ありがとう」

冴木さんは嬉しそうに笑って、いそいそと体を洗い始めた。彼の白い体はお湯で流しただけのようで、もしかして今まで頑張って見比べようとしていたのだろうかと思わせる。……凄く気を遣う人だから、なかなか声をかけられなかったのかもしれない。

一足先に体を洗い終わった僕と有栖は、冴木さんにゆっくりしていいよと伝えてから湯船に浸かった。

「ねえ、君たちは“梅の間”に泊まってる人達?」

おじ様のうちの一人が声をかけてくる。梅の間とは僕たちが泊まっている部屋の名前だ。

「……そうです」

有栖が僕の代わりに返事をする。 

「やっぱりそうか! あの部屋、いつも自分たち夫婦が取ってるから、先に予約が入っているのは珍しいなと思って」
「……なんかすみません」
「ああ、いや、非難している訳では無いんだ。誤解させてすまない。……あそこ、景色がいいだろう? 君たちみたいな若い子の宿泊が最近減っているから、いつも二人じめしていて申し訳ないと思っていたんだ。せっかくなら色んな人に見て欲しいからね」

おじ様はにこにこと笑っている。話を聞いていたその隣のおじ様も興味津々と言った感じで話しかけてきた。

「兄ちゃん、モデルみたいに綺麗だなぁ。そっちの子は弟かい?」

モデルみたい、ということは有栖が本当のモデルだとは知らないのだろう。

「弟……。えっと、まあ、そんな感じです」

有栖は少し困惑しながら答える。有栖がデカくて僕が小さいから、兄弟のように見えるのかもしれない。
有栖たちの会話を聞きながら、ふと冴木さんの方を見ると、体を洗い終わってこちらに来ているところだった。

そういえば、あまりよく見えないのに大丈夫だろうか。
そう思った瞬間、すてん、と冴木さんが滑ったのが見えた。

「あ」

バランスを崩した彼は、そのまま湯船にダイブした。

「え」
「え」

どっぼーん!

僕と有栖が唖然とする前で、一度沈んだ冴木さんがぷはっと顔を出す。

「だ、大丈夫か兄ちゃん……」
「生きてるかい?」

さすがのおじ様達も慌てている。

「だ、大丈夫です……」

冴木さんはお湯が熱いのか恥ずかしいのか、耳まで真っ赤になっていた。

今まで仕事の面しか見てなくて、しっかり者で生真面目な印象が強かったけど、冴木さんって意外にドジっ子なのかもしれない。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

さよならの合図は、

15
BL
君の声。

前世が俺の友人で、いまだに俺のことが好きだって本当ですか

Bee
BL
半年前に別れた元恋人だった男の結婚式で、ユウジはそこではじめて二股をかけられていたことを知る。8年も一緒にいた相手に裏切られていたことを知り、ショックを受けたユウジは式場を飛び出してしまう。 無我夢中で車を走らせて、気がつくとユウジは見知らぬ場所にいることに気がつく。そこはまるで天国のようで、そばには7年前に死んだ友人の黒木が。黒木はユウジのことが好きだったと言い出して―― 最初は主人公が別れた男の結婚式に参加しているところから始まります。 死んだ友人との再会と、その友人の生まれ変わりと思われる青年との出会いへと話が続きます。 生まれ変わり(?)21歳大学生×きれいめな48歳おっさんの話です。 ※軽い性的表現あり 短編から長編に変更しています

あなたが好きでした

オゾン層
BL
 私はあなたが好きでした。  ずっとずっと前から、あなたのことをお慕いしておりました。  これからもずっと、このままだと、その時の私は信じて止まなかったのです。

別に、好きじゃなかった。

15
BL
好きな人が出来た。 そう先程まで恋人だった男に告げられる。 でも、でもさ。 notハピエン 短い話です。 ※pixiv様から転載してます。

別れの夜に

大島Q太
BL
不義理な恋人を待つことに疲れた青年が、その恋人との別れを決意する。しかし、その別れは思わぬ方向へ。

使命を全うするために俺は死にます。

あぎ
BL
とあることで目覚めた主人公、「マリア」は悪役というスペックの人間だったことを思い出せ。そして悲しい過去を持っていた。 とあることで家族が殺され、とあることで婚約破棄をされ、その婚約破棄を言い出した男に殺された。 だが、この男が大好きだったこともしかり、その横にいた女も好きだった なら、昔からの使命である、彼らを幸せにするという使命を全うする。 それが、みなに忘れられても_

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

幸せのカタチ

杏西モジコ
BL
幼馴染の須藤祥太に想いを寄せていた唐木幸介。ある日、祥太に呼び出されると結婚の報告をされ、その長年の想いは告げる前に玉砕する。ショックのあまり、その足でやけ酒に溺れた幸介が翌朝目覚めると、そこは見知らぬ青年、福島律也の自宅だった……。 拗れた片想いになかなか決着をつけられないサラリーマンが、新しい幸せに向かうお話。

処理中です...