憂いの空と欠けた太陽

弟切 湊

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短い休日 Ⅱ

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夜ご飯はバーベキューで、火を起こしたりそれを調節したり、なかなか楽しかった。こういうアウトドアっぽいことはあまりしたことがなかったので、純粋に楽しい。
この世界のあらゆることは一人でやるには厳しいものばかりで、僕みたいなはみ出しものには生きづらかった。別に一人キャンプも出来るのだろうけど、そんな行動力もお金も余裕もない。


有栖は肉が好きらしく、肉ばかり網に乗せていた。別に文句はないのだけど、僕はどちらかというと海鮮が好きだった。あと野菜。肉も美味しいのだけど、体質に合わないらしく、たくさん食べるとお腹を壊すし、すぐ胸焼けする。一方海鮮はあればあるだけ食べてしまう。

ゆらゆら揺れる炭火を眺めながら有名モデルが焼いてくれた肉を食すという贅沢な時間を過ごしていると、その彼がおもむろにエビを取ってくれた。エビは僕の好物なのだけど、量の割に高いから普段は買えないのだ。
心の中でエビに手を合わせて、それからいただく。

あ、これ高いやつだ。めちゃくちゃ美味しい。美味しい食べ物というのは食べるだけで幸せになれるからお得だ。鍋奉行ならぬバーベキュー奉行をやっている有栖はさっきから一口も食べていないので、彼に食事を促す。熱々が一番美味しいから、ちゃんと食べてもらわなくては。

各々が好きなように好きなものを取って食べているので、三人とも皿の上のラインナップが偏っている。有栖は肉食で、冴木さんはバランスタイプだった。

エビに貝にイカ、ピーマンにカボチャにナスと好きなものばっかり食べて、お腹いっぱいになると猛烈な眠気に誘われた。寝ちゃ駄目だと思いながらも、生理現象なので抗えず、片付けを有栖と冴木さんにお願いして僕はコテージに戻った。さっとシャワーだけ浴びて、歯磨きをするとベッドに上がり、すぐさま寝てしまった。



目を覚ますと、五時過ぎだった。早すぎる時間だが、昨日かなり早く寝たのでそれなりにすっきりと目が覚めた。鳥たちの良い声が聞こえる。朝の空気を吸いがてらバードウォッチングをしようと思ってバルコニーに出ると、有栖がランニングしているのが見えた。バルコニーの柵に乗りかかって頬杖を付きながら彼を見下ろす。息を切らせながら走る彼はそれだけで絵になる。

……容姿が整っているのは良いことも多いが、何をしても絵になるということはそれなりに大変だろう。基本的に何をするにも出来て当たり前に見られそうな気がする。人間なんだから失敗もするし苦手なものもあるだろうけど、人間離れした相手にはその定義を忘れてしまうことが多い。そういったことで、今までも苦労してきたのではなかろうか。

コテージを何周も走っている彼を見下ろしながら考えていると、走るのをやめた彼がこちらを見上げた。目が合う。僕はとりあえず「お疲れ様」と言ってねぎらう。あれだけ頑張っていたので、綺麗な顔にはたくさんの汗を浮かべている。今日は休日だから別に休んでも良いのに、日々のルーティンを崩さない有栖はすごいと思った。
そういうところはさすがプロといったところか。

僕は素直な気持ちを伝えてみたが、有栖には嫌な顔をされてしまった。彼の気分を害するつもりはなかったのだけど。
僕は顔とか声とか文章にすら感情が乗りにくいらしく、自分では普通に言ったつもりでも変に婉曲して伝わってしまうことが多々あった。そういうときはすぐに謝って、こういうつもりだったと弁明する。ただ、それもなかなか手間なので、なるべく一度で伝えようと努力しているのだけど。

どうしてこう上手くいかないのだろう。弁明して謝ったけれど、許してくれるか分からなくて言い逃げしてしまった。彼に申し訳ない気持ちが募る。

朝食の時もどことなく雰囲気が良くなかったので、僕はまた散歩に出ることにした。昨日より、ちょっと遠くに行ってみる。昨日のオオミズアオはいなくなっていて、何かに食べられてしまったのかはたまた自力で飛んでいったのかは分からなかった。

聞き慣れない鳥の声がしたので、気になってそちらの方に行ってみると、目の前を一匹の蝶が横切った。思わず目で追うと、木の間に仕掛けられていた蜘蛛の巣に引っかかった。

「あ」

足を止める。蝶は逃れようと暴れて、蜘蛛がその振動を感じ取っていた。まもなく捕食されるだろう。
昔の僕ならすぐ助けたのだろうな、と思い出に浸っていると、また後ろから声がした。振り返らなくても有栖だと分かった。有栖は、僕が蝶を助けないことを疑問に思っているようだった。まあそうだろうな。
喰われそうな生き物をただ見ているだけなんて端から見たら悪趣味だし。

小さい頃の僕には子供特有の無邪気な残虐性があって、蟻地獄に蟻を落としてどうなるか眺めていたものだったが、あれは本当に悪趣味だった。その仕返しがあの三人だとすれば、妥当な罰なのかもしれない。

僕は自然の摂理に逆らうのはどうかと思っているという話をした。助けるのは良いことだけど、相手側に不利益になるのは不平等ではないかと。すると有栖は「助けたのは間違いだったのか」と聞いてきた。

ああ、なるほど。そう考えるのか。

有栖の言うことも最もだったけど、僕は彼らの玩具であって、玩具は別に取り上げられても困らないだろう。代わりなんていくらでもいるし。

だから、僕は彼に首を振って、精一杯のお礼を言った。

御園たちには心配をかけたくなくて大丈夫だと言ったけれど、本当はとても痛くて、苦しくて、怖かった。次はどこの骨を折られるのか、何をされるのかも全く分からない。煙草の火は熱いし、火傷はどの傷よりも痛い。誰のか分からない大量の髪の毛を口に突っ込まれたこともあった。相手の方が力が強くて大柄で、しかも三人がかりだから抵抗なんて出来ない。大人しくしていれば早めに済むし、さっさと暴行されてしまおう。
あの日もそんな考えだった。

…………だけど、そんな泥沼に填まった僕を、彼は引き上げてくれた。気絶していて残念ながら覚えていないけれど。
普通は巻き込まれたくないし、敵意が自分に向いたら嫌だし、関わり合いになりたくないし、自分じゃなくて良かったと考えて見ない振りをするはずだ。それら全てを顧みず助けてくれた相手に「助けないで欲しかった」なんて、誰が思うだろうか。


そう伝えると、有栖は顔を真っ赤にして手で覆ってしまった。顔を赤くするってことは嬉しいとか照れてるってことだよな。僕そうなるようなこと、言ったっけ?
一人で疑問符を浮かべていると、有栖は突然謝ってきた。

「さっきはごめんな」

さっき? 何か謝られるようなことがあっただろうか。何のことかと聞いてみると、バルコニーでのことらしい。あれは僕が悪いと思っていたのだけど、有栖は気にしてくれていたみたいだ。



蜘蛛の巣を見る前に聞こえてきた鳥の声は、サンコウチョウという鳥のものだった。

フイフィー、ホイホイホイ。
フイフィー、ホイホイホイ。

とても特徴的な鳴き声で、姿も綺麗だから一度見てみたかったのだった。標高が高めの所にしかいなくて縁がないと思っていたから、ちょっと探してみたい。有栖にそう言うと、彼はついてきてくれた。

彼はなんというか、御園とはまた違う安心感があった。住んでいる世界が違って、僕なんかとは絶対に縁がなかったはずの有栖。そんな彼が隣にいるのは、とても不思議だった。


内容が濃くてあっという間に過ぎてしまった休日だけれど、今までになく楽しめた休日でもあった。散歩から戻ると、例によって冴木さんが昼食を作ってくれていて、朝とは違って会話をしながら食べた。
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