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最悪な一日(有栖視点)
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俺はまたイライラしていた。
こめかみに血管が浮かないように気を付けながら、ただひたすらニコニコする。
今日は朝から別のモデルとの合同撮影の日なのだが、その相手のモデルが一向に現れないのだ。
俺だってあの日遅れたのだから許容して然るべきなのだが、あまりに遅すぎる。
その上、連絡すらつかないというおまけ付き。イライラしない方がおかしい。
「ごめんね、有栖君。もうすぐ来ると思うから、もうちょっと待っててくれる?」
現場監督もかなり困っているようだ。そんなことを言ってくれているが、連絡もつかない相手がもうすぐ来る保証など全くない。
「いえいえ。きっと何か大事なご用事でもあるのでしょう」
いろんな人間のスケジュールが関わっている撮影に無断で遅刻できるような、そんな大事な用事がな。
俺は冴木と話したり、髪や衣装を直したりして時間を潰した。本当ならもっとのんびりしたかった時間を割いて、この撮影に参加しているというのに。良いご身分なもんだ。
結局、相手が来たのは撮影開始時刻から五時間後だった。
「すんません! 道路が渋滞してて、遅れました! 本当にすみません!」
顔を青ざめさせながら平謝りしてくる撮影相手。もうイライラも通り越して呆れていた。鏡見ろ。寝癖付いてるぞ。
彼は最近人気急上昇中の後輩モデルで、年も近いので、言わば俺のライバルだ。だけど、この分ならしばらく抜かされることはないだろう。助かる。収入が減るのは困るからな。
彼の準備に一時間ほど待たされて、撮影が始まったのはおやつの時間頃。撮影中も彼は強張ってばっかりでなかなか進まず、終わったのは五時頃だった。若いんだし、人間だから失敗もあるだろう。でも、そう言って笑って許せるほど、俺の心は広くなかった。
午後も撮影の予定が入っていたが、冴木がキャンセルした。ドタキャンにならなかっただけマシか。
「有栖はカルシウム摂った方がいいかもね。ちょっと苛つき過ぎ」
帰りの車で冴木が言った。笑っているが、目は心配そうだった。精神衛生上良くないと思っているのだろう。
「あー……、煮干し食べます」
「アハハ、猫じゃないんだから」
冴木は魚料理でも作るよ、と言ってくれた。
冴木のおかげで毒気が抜かれた俺は、窓を開けて外を見ていた。
赤信号で止まったのは、ただの偶然だった。
下品な笑い声が耳についた。眉を顰めながら見やると、路地の奥で三人の人間が何かを蹴りつけているのが見えた。とてもとても楽しそうに、蹴ったり踏みつけたり、水をかけたりしている。
何を蹴っているのだろうと、目を凝らした俺は、絶句した。
三人の足の間から、人の手のようなものが見えたのだ。
「冴木さん……」
「ん? どうしたの?」
「ちょっと車止めて」
敬語にするのも忘れて、俺はどう助けようかと考えていた。
「え? いいけど……。本当にどうしたの?」
「ちょっと用事」
困惑する冴木の荷物から帽子を奪い、髪を中に押し込む。自分のサングラスをかけると、道端に止まった車から飛び出した。
背後から静かに奴らに近付く。後ろから覗くと、小柄な青年がピクリとも動かずに倒れていた。
「おい」
俺が声に怒気を込めて話しかけると、三人はビクリと振り返った。先程までのハイテンションはなりを潜め、冷や水を浴びせられたかのような顔をしている。
一人が一目散に逃げ出した。取り残された二人はオロオロと慌てた後、悪態をつきながら逃げ去った。
俺はそれを見送って、そこにしゃがみ込むと被害者の様子をうかがった。
白いシャツはびしょびしょで薄汚れ、靴跡が大量についている。さらに、ところどころを何かで切り裂かれ、その下の肌から血が滲んでいた。ボサボサの髪からは毛が何本も抜け落ち、シャツの上に散らばっている。
これは酷いな。
俺はため息をつきながら身体の下に手を入れ、そっと抱き起こした。首に鬱血した痕がある。首まで絞められたのか。
「大丈夫か?」
揺すりながら声をかけると、小さく呻いた。死んではいないようだ。ほっとして、お姫様抱っこの要領で抱き上げると、彼が身を捩って苦しそうな声を出した。何処か痛むのかと身体を確認して、右腕が明らかにおかしな方向に曲がっているのが見えた。
確実に折れている。痛いはずだ。
腕をあまり動かさないように気を付けながら、車内に戻る。
「有栖、その子……」
「そこで、襲われてて」
「……分かった。すぐに病院に向かうよ」
「ありがとう。……ございます」
「いえいえ」
腕の中の青年を見下ろして、はっとする。
いつかのスーパーの店員ではないか。外は薄暗くなっていて、全く気付かなかった。
こんな偶然があるとは、世の中不思議なものだ。
こめかみに血管が浮かないように気を付けながら、ただひたすらニコニコする。
今日は朝から別のモデルとの合同撮影の日なのだが、その相手のモデルが一向に現れないのだ。
俺だってあの日遅れたのだから許容して然るべきなのだが、あまりに遅すぎる。
その上、連絡すらつかないというおまけ付き。イライラしない方がおかしい。
「ごめんね、有栖君。もうすぐ来ると思うから、もうちょっと待っててくれる?」
現場監督もかなり困っているようだ。そんなことを言ってくれているが、連絡もつかない相手がもうすぐ来る保証など全くない。
「いえいえ。きっと何か大事なご用事でもあるのでしょう」
いろんな人間のスケジュールが関わっている撮影に無断で遅刻できるような、そんな大事な用事がな。
俺は冴木と話したり、髪や衣装を直したりして時間を潰した。本当ならもっとのんびりしたかった時間を割いて、この撮影に参加しているというのに。良いご身分なもんだ。
結局、相手が来たのは撮影開始時刻から五時間後だった。
「すんません! 道路が渋滞してて、遅れました! 本当にすみません!」
顔を青ざめさせながら平謝りしてくる撮影相手。もうイライラも通り越して呆れていた。鏡見ろ。寝癖付いてるぞ。
彼は最近人気急上昇中の後輩モデルで、年も近いので、言わば俺のライバルだ。だけど、この分ならしばらく抜かされることはないだろう。助かる。収入が減るのは困るからな。
彼の準備に一時間ほど待たされて、撮影が始まったのはおやつの時間頃。撮影中も彼は強張ってばっかりでなかなか進まず、終わったのは五時頃だった。若いんだし、人間だから失敗もあるだろう。でも、そう言って笑って許せるほど、俺の心は広くなかった。
午後も撮影の予定が入っていたが、冴木がキャンセルした。ドタキャンにならなかっただけマシか。
「有栖はカルシウム摂った方がいいかもね。ちょっと苛つき過ぎ」
帰りの車で冴木が言った。笑っているが、目は心配そうだった。精神衛生上良くないと思っているのだろう。
「あー……、煮干し食べます」
「アハハ、猫じゃないんだから」
冴木は魚料理でも作るよ、と言ってくれた。
冴木のおかげで毒気が抜かれた俺は、窓を開けて外を見ていた。
赤信号で止まったのは、ただの偶然だった。
下品な笑い声が耳についた。眉を顰めながら見やると、路地の奥で三人の人間が何かを蹴りつけているのが見えた。とてもとても楽しそうに、蹴ったり踏みつけたり、水をかけたりしている。
何を蹴っているのだろうと、目を凝らした俺は、絶句した。
三人の足の間から、人の手のようなものが見えたのだ。
「冴木さん……」
「ん? どうしたの?」
「ちょっと車止めて」
敬語にするのも忘れて、俺はどう助けようかと考えていた。
「え? いいけど……。本当にどうしたの?」
「ちょっと用事」
困惑する冴木の荷物から帽子を奪い、髪を中に押し込む。自分のサングラスをかけると、道端に止まった車から飛び出した。
背後から静かに奴らに近付く。後ろから覗くと、小柄な青年がピクリとも動かずに倒れていた。
「おい」
俺が声に怒気を込めて話しかけると、三人はビクリと振り返った。先程までのハイテンションはなりを潜め、冷や水を浴びせられたかのような顔をしている。
一人が一目散に逃げ出した。取り残された二人はオロオロと慌てた後、悪態をつきながら逃げ去った。
俺はそれを見送って、そこにしゃがみ込むと被害者の様子をうかがった。
白いシャツはびしょびしょで薄汚れ、靴跡が大量についている。さらに、ところどころを何かで切り裂かれ、その下の肌から血が滲んでいた。ボサボサの髪からは毛が何本も抜け落ち、シャツの上に散らばっている。
これは酷いな。
俺はため息をつきながら身体の下に手を入れ、そっと抱き起こした。首に鬱血した痕がある。首まで絞められたのか。
「大丈夫か?」
揺すりながら声をかけると、小さく呻いた。死んではいないようだ。ほっとして、お姫様抱っこの要領で抱き上げると、彼が身を捩って苦しそうな声を出した。何処か痛むのかと身体を確認して、右腕が明らかにおかしな方向に曲がっているのが見えた。
確実に折れている。痛いはずだ。
腕をあまり動かさないように気を付けながら、車内に戻る。
「有栖、その子……」
「そこで、襲われてて」
「……分かった。すぐに病院に向かうよ」
「ありがとう。……ございます」
「いえいえ」
腕の中の青年を見下ろして、はっとする。
いつかのスーパーの店員ではないか。外は薄暗くなっていて、全く気付かなかった。
こんな偶然があるとは、世の中不思議なものだ。
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