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第三章 森の薬師編

74 妖精使い

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 黒い魔導師の周囲から、漆黒の死霊が次々と現れて湖に降り注ぐ。シャルは移動しながら、光の魔法で応戦する。光の矢で相殺できなかった死霊が湖面を叩く。マナは間近に迫る死霊が怖くてきつく目を閉じていた。

「ちっ、速いな」

 黒い魔導師はシャルの動きが捉えきれずに苛立っていた。しかし、いつまでも逃げられるわけはない。いつかは魔力が尽きて死霊の餌食になる。いくら大魔女の娘とは言え、自分と比べればひよっこ同然だ。そう、彼は絶対的な自信を持っていた。

「よし、出来たぞ!」

 シャルは急角度に上昇する。マナは掴まっているのに必死で、何が起こっているのか分からなかった。

 シャルが湖から離れてタクトを振り上げると、湖面に巨大な魔法陣が現れ、赤炎が燃え上がった。

「なにっ!!?」

 黒い魔導師が驚愕し、燃え上がる魔法陣が水面を沸騰させて蒸気が噴き出す。

「サモン! フレアブラスト!!」

 炎の魔法陣から、赤熱の鱗の竜が上半身まで姿を現して、深淵のような口腔を広げた。

「逃げながら魔法陣を組み上げていたのか!!」

 噴火の如き威力で竜の口から噴き出した灼熱の中に、黒い魔導師の姿が消失する。

「よし! どんなもんだい!」
「す、すごすぎる……」
「りゅ~う、ドラゴン! かっこい~い!」

 唖然としているマナの上で、メラメラがテンションを上げていた。彼女らが見ている前で、赤炎の竜が魔法陣に引き込まれて消えていく。

 湖から噴き出す湯気が、周囲の視界を悪くしていた。そして、白濁とした景色の中に黒い影が浮かび上がる。湯気が薄くなると、その姿がはっきりとしていく。

「うそっ!!?」

 ローブを焦がした黒い姿が現れて、シャルが絶望的な声を上げた。

「今のは危なかったが、わたしは冥魔法を極めし者、そう簡単にはやられはしないよ」

 黒い魔導師が手を前へ、少女達との距離が近い。

「まずい!」

 シャルが反転して箒を飛ばす。

「逃がしはしない! 行け死霊共! ファンドゥーラ!」

 魂を砕く様な声を上げて複数の死霊が躍り出る。それらが逃げてゆく少女たちの背後に迫った。

「くそ、逃げ切れない!」

 シャルは再び反転して、攻撃の矢面に立った。マナを護り、間近を過ぎ去る死霊に肌を裂かれ、最後の死霊が取りついて彼女の肩に噛みついた。

「うああぁ!!」
「シャル!!?」

 シャルの痛みに伴う叫びと、マナの悲愴な叫びが重なった。そして、シャルの身体から急激に力が抜けて、心臓を鷲掴みにされるような痛みが襲う。

 ――だめだ、気が遠くなる……魔法を、維持できない……。

 少女達がゆっくりと、下に広がる森に落ちていく。山脈に差し掛かった斜陽が、あらゆるものを薔薇の色に染めていた。

「わたしの魔法を受ければ、死霊が魂に直接、食らいつく。例えかすり傷でも致命傷になる、終わりだ」

 黒い魔導師が嘲笑うように言った。もう彼が手を下す必要はなかった。獲物は高高度から落下して確実に死ぬ。後は、死体を確認すれば仕事は終わりだ。

 落下速度が増していく中で、マナは必死にもがいていた。そして、空中でシャルの手を掴む。急激に地上が迫ってくる。マナは恐怖した、自分が死ぬことではなく、友を失う事に対して。

 ――わたし何てどうでもいい! 友達を、シャルを助けたい! わたしの命と引き替えでもいい! 誰か、

『助けてっ!!!』

 マナの魂の叫びが、輝石の力を呼び起こす。ペンダントのキャッツアイが凄まじい輝きを放ち、シャルにとりついていた死霊が蒸発した。

「何だ、この光は!!?」

 少女達がシャボン玉のように球形の緑光に包まれて、緩やかに下降していく。マナがシャルを抱き起すと、彼女は目を開けて夕空に広がる黒い翼を見て言った。

「マナ、やっぱり君は妖精使いだったんだね」

 メラメラが翼を広げて黒い魔導師を睨んでいた。

「マナを苛める人は、許さない!!」

 メラメラの猫目のようなシャトヤンシーの視線が黒い魔導師に突き刺さる。瞬間、彼は凄まじい衝撃を受けて吹き飛んだ。

「ぐわあぁーっ!!!?」

 上に吹き飛んだ黒衣の男は、宙に止まって体を襲う痛みに顔をしかめる。

「何だっ、今のは!?」

 メラメラが黒い翼を広げて、凄まじい速さで上昇していく。黒い魔導師は迫り来る小さな恐怖に向けて無数の死霊を放った。すると、それらがほとんど同時に砕け散って、黒い霧のようになって消える。

「何だ、何なのだあれは!!?」

 彼は慌てて結界を張った。追いついてきたメラメラが、目の前に止まって見つめてくる。黒い魔導師は、今まで経験のない恐怖に背筋が凍った。キャッツアイの視線が強固な結界を粉砕し、その衝撃で彼は風に煽られる紙切れのように飛んだ。

「っく! わたしの結界を易々と破壊するとは! 間違いない、これは龍眼りゅうがん!!」

 龍眼、それは冥魔法の極致。冥府の龍に干渉し、その力を貰い受ける。視線に魔力を込めて、対象に破壊や呪いをもたらす。黒い魔導師は冥魔法を極める為に龍眼を研究したが、この魔法だけは体得できなかった。

 ――確かに龍眼を目撃したという記述はあった。そして龍眼は存在した。目の前にそれを扱う者がいる!

 彼はそこまで考えると、この状況で笑いが込み上げてきた。

「ククッ、いくら研究しても使えないわけだ。過去に龍眼を使った者も、人間ではなかったのだ!」

 地上に降りたマナは、離れていながらメラメラの感情が手に取るように分かった。マナに危害を加える者への烈火の怒り、情け容赦などない。子供のように純粋無垢なメラメラは、それ故に手加減など知らない。その先にあるものは、確実な死。それを悟ったマナは、空に向かって叫んだ。

「メラメラ! 殺さないで!!」

 吹っ飛ばされている魔導師に、メラメラがあっという間に追いつく。魔鳥のように羽ばたくフェアリーと目が合った彼は、震え上がって声を上げた。

「し、死ぬ! 殺される!」

 刹那、衝撃が襲って黒い魔導師は夕日に焼ける森林に向かって落ちていく。

「うあああぁぁぁぁ…………」

 黒い魔導師の叫び声が遠のいて、彼の姿は森の中へと消えていった。
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