闇の残火―近江に潜む闇―

渋川宙

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第10話 殺人事件発生!

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「なっ」
 そして川にて。想像を超える状態が待ち構えていて、文人は声が出なかった。
「い、一体誰が?いや、人間の仕業なのか」
 警官である鴨田も、そう呟いて絶句してしまう。それはそうだ。川に放置されていた江崎芹奈の死体は、まるで食い荒らされたかのように、あちこちの肉が食いちぎられていた。内蔵もはみ出していて、一言で言うならば無残である。唯一、顔には傷がないが、苦悶に満ちた顔で固まっている。服もぼろぼろで、どうやらパジャマだったらしいことしか解らなかった。
 そして、そんな身体から流れ出た血が、川を薄く赤色に染めていた。しばらくこの川の水を使う事は出来ないな。そんなことをぼんやりと文人は思う。
「鬼だ。鬼の仕業だ」
「おいっ」
 騒ぎを聞きつけてやって来た村の住人の一人が、そんなことを呟くので、反射的に鴨田は窘めていた。この村で鬼と表現されるのは一人しかいない。そんな勝手な決めつけは見過ごせなかった。
 しかし、何とも言えない空気が漂っているのは確かだ。こんな殺人事件を一体誰が起こすのか。日向もまた高校生で、普段からこの村に不満を溜め込んでいるはずだ。事件を起こすならば彼しかいないのでは。そんな空気があっても仕方がない。いや、全員が顔見知りで、しかも閉鎖された場所だからこそ、他の奴がやるはずがないと、そう決めつけている感じさえあった。
「と、ともかく、死体を川から引き上げましょう。このままにしておくわけには」
 文人はそんな空気を打ち破るように、まずは死体を川から上げようと提案した。それに反射的に鴨田も頷くが、その前に写真を撮らないとと慌てた。彼も殺人事件には慣れていない。それはそうだ。村の安全を見守ることが仕事だったのだ。ここでこんな大きな事件が起こるなんて想定していない。当然、初動捜査をどうすればいいのか。鴨田だって困ってしまう。
「現場の状態を記録しておかないと死体は動かせないぞ。せめて写真を撮らないと」
「スマホで撮って、それを本部に送っては」
「ああ。それだ。古関君、グッドアイデア」
 鴨田はやっぱり手伝いに君を指名してよかったと、そう言いながらスマホを取り出す。そして、漏れがないようにといくつか角度を変えながら写真を撮った。まったく、冷静なのかそうでないのか、解らない警察官である。それが終わって、ようやく引き上げ作業となった。
「沢田君は、無理だろうな。誰か、手伝ってもらえませんか?」
「私がやりましょう」
 鴨田の呼びかけに、杉岡が名乗りを上げてくれた。ということで、文人と三人で川から死体を引き上げる。
 死体はずっしりと重く、また、ところどころが食いちぎられているせいか、持ち上げにくい。あれこれと試行錯誤し、なんとか他の村人が用意してくれた茣蓙の上に置くことが出来た。
「このまま放置しておくわけにはいかないですよね」
 しかし、問題はここからだ。今は夏。それも八月の猛暑の真っ最中だ。ここに死体を放置しておけば、一気に腐敗が進んでしまう。さらには虫が湧く可能性もあった。衛生的にもよくない。
「そうだな。ここは病院に置いておいてもらうのが一番か」
 鴨田も放置できないと、村で唯一の病院に保管してもらおうと提案した。
「じゃあ、高木先生に連絡してきます」
 ショックから立ち直った多聞が名乗りを上げたので、連絡係を頼む。すると多聞はまた猛ダッシュで病院方向へと走っていった。霊安室はないそうだが、何とかなるだろうと鴨田も一応はほっとしたようだ。
「霊安室はないんですか」
「ああ。だってこんな小さな村だからね。病院で亡くなるってのも、それは市内の大病院に移動させた後だし、こんな殺人事件もないような村だからさ」
「ああ」
 つまり、病院と言っても診療所ということか。それにしても、この騒ぎでその高木先生はやって来ていないのか。
「それはね。高木先生はもうお年だから。八十越えてるんだよ。あの先生がいなくなったらここの医療はどうなるのか。それも今から不安な要素だよね。ま、過疎化している村にありがちというか」
「へえ」
 そんな話をしている間に、死体を運ぶために誰かが大八車を持ってきてくれた。それにまた三人で乗っけると、村の西外れにあるという診療所に向かうことになった。なるほど、昨日、診療所なんて見かけなかったはずだ。というか、この村は色んなものの間隔が広い。これも田舎ならではだろうか。
「そういえば、この江崎さんのご両親は?」
 ここまで非常事態で忘れていたと鴨田は周囲を見渡す。
「奥さんが倒れられて、旦那さんは奥さんの面倒を見ている状態です。俺が知らせてきますよ」
 そこに、遅まきながらやってきた焔が、このくらいは手伝おうと言った。まったく、イケメンは体力仕事とは無縁ってか。羨ましい。
「そりゃあ、仕方ないか。解った。じゃあ、落ち着いたら高木病院に来てくれと伝えてもらえますか?古関君、悪いけど病院まで付き合ってくれ。それと、村の方々は葬儀の手配を」
 鴨田の指示で、ひそひそと話していた村人たちも、忙しくなるぞと去って行った。そして、死体の載った大八車は文人と鴨田、そして杉岡の三人で引っ張ることになる。
「葬儀、やっちゃっていいんですか?こういう事件の場合」
「ああ。そうだね。本当ならば解剖とか色々とやらなきゃ駄目だけど、村への入り口があの状態だからなあ。本部には連絡を入れるけど、正直、葬式は先にやっちゃうことになるだろうね。この村はヘリを止められるような平坦な場所もないし、吊り上げるのもねえ。急病人だったらその手段を取るけど、今はこの無惨な死体だろ。警察だって手早く済ませることに同意しちゃうよ。ここは高木先生にちょっと頑張って貰うしかないかなあ。それに昔ながらの村だから、葬儀のしきたりも多いしさ」
「へえ」
 すでに何度か経験しているという鴨田は、お経の長さにびっくりすると言った。ということは、お坊さんもいるのか。
「いや、本職の坊主はいなくて早乙女巌さんがやるんだよ。あの人、在家のまま得度しているとか何とか。俺はそういう宗教関係はよく知らないけどさ。ま、坊主としての資格を持っているっていうか、修行したことがあるんだとかで」
「へえ。ここだったら、修行されたのは比叡山ですかね」
「そうです」
 そう答えたのは、そこまで黙っていた杉岡だ。あ、そうか、こっちに訊けばよかったと、文人は苦笑する。鴨田がお喋りで、そして杉岡が寡黙なものだから、どうしても鴨田に訊ねてしまう。
「一応、高木先生に死体を検分してもらって、調書は取らないとなあ。しかし高木先生も司法解剖はしたことがないだろうし。ううん。難しい」
 鴨田は必死に最善策を考えているようで、そんな独り言を漏らしていた。たしかに葬儀を手早くするのはいいとして、何の捜査もしないわけにもいくまい。これは明らかに殺人事件だ。
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