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第41話 闇の中

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「あいつは来ないだろうよ」
 電話を聴いていた米田は忌々しげに呟いた。椅子にしっかりと縛りつけられていて、身動ぎ一つできない。
「来るさ。あいつの名前を決めたお前なら、よく解っているだろう」
 男は冷酷に笑う。
 米田はふんっと鼻を鳴らした。
 殺される覚悟もその前に拷問を受ける覚悟もしていた。しかし、相沢が自分の行方を追うとは思いもしなかった。本当に、今まで相沢を殺し屋という道具くらいにしか思っていなかった。後悔先に立たずとはよく言ったものだ。
 相沢はいつもこんな絶望の中にいたのだろうか。
 米田は疑問に思うと同時にまた後悔した。
 自分が相沢の拷問を担当したこともある。拷問に至った経緯は様々だったが、その時、相沢は常に無表情だった。無反応を貫いたのは拷問をやり過ごすためだろうが、それにしても、何も動かされなかった。そしてどんな過酷な要求も反論せずに受け入れていた。どんな時も、相沢が我儘を言ったわけではないのにだ。
 まるで人形。そうなるように仕向けたのは自分たちだというのに、その顔によくぞっとしたものだ。それでいて、相沢はどこまでも普通の感覚を持ち続けた。それが、いずれ自分たちを追い落とす存在になるのではという懸念を抱かせたほどだ。
 しかし、それが生き残るための戦略でしかなく、自分たちの前で相沢が相沢という人格を見せていたことはなかったのだと、前川が現れたことで知った。それが大きく様々な思惑で相沢を利用してきた人々を揺さぶった。
 そして今、いざ自分が同じ立場になってみると、相沢のような対応は到底できない。
 総てを諦めながら、それでも生き続ける。それは並大抵のことではない。過酷という言葉すら生温く感じるほどだ。そんな中を、相沢は生まれた瞬間から背負って生きてきた。そんな奴の心に向き合うのは簡単ではない。俺たちと違うと排除することがどれだけ楽だろうか。
 だが、前川はあっさりと向き合っていた。どんな情報にも惑わされず、相沢の本質だけを見続けていた。相沢健一という個人の感情を引き出した初めての男。だから、託した。
 声を上げて外聞など気にせず泣き叫んだ相沢の姿が脳裏を過る。
 本当は、ずっと我慢していたのだろう。辛い場面で泣きたかったことだろう。でも、それを許される環境ではなかった。
そして今、感情を取り戻したはずの相沢は、選択を迫った米田に対して、箍が外れることなく冷静に殺し屋に戻ると言ってきた。
「馬鹿だよ、あいつは」
 思わず米田は呟いていた。
「いや、賢明だと思うよ」
 男は笑うことなく言った。
「何故だ」
「お前は死ぬという選択を捨てられるか」
 米田の問いには答えず、男は訊ねた。
「それは――」
「無理だろう。それでも、あいつは死ぬことを選ばない。状況を正しく理解しているからだ」
「理解だと」
 そんな簡単な言葉で片付けられる問題ではないはずだ。
「お前が死を選んだ結果がこれだ。解るか。あいつの生きる世界では、死は何の解決にもならない」
 男はそう言うと、足早に部屋を出て行った。
「ちっ、それにしても」
 米田の中に大きな疑念が生まれた。あの男は、本当は何者なんだ。殺し屋、暗殺者を復活させた男。権力にとって必要悪だと説いたあの男は、本当に権力の中枢にいるのだろうか。
「解らないな」
 彼もまた、表立っては活躍していない一人だ。米田の中に、言い知れぬ不安だけが残った。



 夜の帳の中を、車がゆっくり進んでいく。
 相沢の不安は増大していた。
 怖いと初めて気づいてしまった今、どうやって生きるのが正しいのだろう。前川の気持ちは痛いほど解るし、米田がどんな気持ちで自分に身分を用意してくれたのかも解る。でも、それでいいのか。
 ずっと、自分の生き方に疑問を持ったことはなかった。他の生き方を知らなかった。人形として生き、人形として死ぬ。対外的には殺し屋なんて言われていても、そんなものだと自分でも思っていた。それなのに、ここにきて総てが変わってしまった。
 そして、ずっと真っ直ぐに生きてきた前川の存在は、自分の中で波紋となって広がっていった。
 警視庁に身柄を置かれると聞いた時、何故か彼の存在が気になった。
 捜査一課の刑事たちの資料は、それほど多くの情報が書かれていたわけではない。それでも、前川の情報に目がいった。
 自分の生きる世界とは、全く違う世界に生きている。直感的にそう思った。だから、監視役に指名した。
 どこにも逃げ道がないのならば、せめてだれかに断罪してほしかった。お前は人殺しの操り人形だと、断言してくれる人が欲しかった。もう、中途半端な状態が嫌だったのだ。
 それなのに、前川は自分を肯定した。殺し屋であることまでも受け止め、ちゃんと生きろと教えようとしてくれる。
 ちらりと前川を見ると、真剣な目で運転している。
 これから行く場所に、前川を連れて行くのは気が引けた。待っている相手は、今までとは異なる。本当に闇の中にいる人物だ。それでも、避けることはできない。
「ここです」
 考えている間に、目的の場所に着いてしまった。
 相沢の案内でやって来た場所は、研究施設のような場所だった。もしくは化学工場のような無機質な雰囲気である。門の前に車を止めて様子を窺ったが、人の気配はまるでしなかった。
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