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第39話 直面している問題は

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「大丈夫です。法務省のデータベースをちょっとハッキングしていただけです」
 前川を見ることなく、相沢は冷めた声で答えた。
「何だと」
「ただの確認です。今すぐ何かをするつもりはありません」
 相沢は前川の手を除けると、すぐにパソコンを切った。
「相沢!」
 傷があることも忘れて、前川は相沢の肩を掴むと自分の方へ向かせた。せっかく手に入れた普通を手放すつもりか。そう問おうとして、しかし出来なかった。
 相沢が痛みを訴えることもなく、ただただその目は、哀しみで溢れていた。どうして自分が助かって他の人が犠牲になるのか。その目が切々と訴えてくる。
「相沢」
 今度は落ち着かせるように優しく呼んだ。すると、相沢の顔がくしゃりと歪む。すっかり人間らしくなった相沢は、ちょっと前までのように笑顔で感情を覆い隠すことはなかった。
「もう、俺のせいで誰かが犠牲になるのは嫌なんです」
 震える声で呟くと、相沢は下を向いた。
 全く、相変わらず不器用な奴だ。
 前川は心底呆れ返ると同時に、こうじゃなきゃ助けようとは思わないなと溜め息を吐く。米田のこれまでの言動を考えれば、好意だけ受け取って見捨てたとしても誰も責めない。でも、それでは相沢は納得できない。ちゃんと殺し屋を、殺人人形を辞めることが出来ないのだ。
「だから、殺し屋のままでいると」
 前川の確認に、相沢は無言で頷いた。
「この馬鹿」
 口では怒鳴ったが、前川はぽんっと肩を叩いただけで済ませた。
 それを、相沢は不思議なものを見るように見つめていた。普通に扱われるのと同様に、優しくされることにも慣れていない。それがありありと解った。だから同時に、優しい相沢のことを助け出したいと願ってしまう。
「美咲ちゃんは、こういうところに惚れたのかな」
「えっ?」
「いや、何でもない」
 思わず呟いた言葉を訊き返されて、前川は誤魔化した。
 美咲がある程度嘘を吐いていたはずの相沢を好きになれたのは、きっとこの純朴さを見抜いてだろう。でも、本人に自覚がない以上言っても仕方がない。特に相沢のようにすぐ頭で考えるタイプは、言ったら余計に拗れる。それに、これは美点だ。あえて指摘してやる必要もない。
「変な人ですね」
 相沢はほっと息を吐くと、今度はスマホを操作していた。それはさっきの説明にあった、米田の番号に電話を掛ける続きだろう。コール音の確認だけしてすぐ切るという動作を繰り返している。
「米田を助けたいのは、自分のせいだと思ったからか」
 話が逸れていたが、訊きたかったのはこっちだ。
「そうです」
 相沢はまだスマホを操作している。
「あいつはずっと、やろうと思っていたんじゃないか」
 前川の言葉に、相沢の手が止まった。そしてそんな馬鹿なと目を見開く。
「だってそうだろう。書類は一日で集めたかもしれないが、まったくない戸籍や経歴をきちんと成立させるなんてすぐには無理だ。警察に潜り込ませることもそう。手順ややり方を事前に調べて準備していたとしか思えない」
 内容は偽造でも、戸籍も警察官としての身分も本物だ。そんなことが一朝一夕で可能なわけがない。
「それでも、やらないでほしかった」
 涼しくも哀しい声が、相沢の口から零れた。
「どうしてだ?」
「さっき俺がやろうとしたように、データだけならば消すことが可能だからです」
「でも」
「それを見越して、警察官という役職も一緒に渡してきたんでしょうね」
 前川の追及には答えず、相沢は諦めたように笑った。さすがは自分を育てた男。性格はほぼ把握されていたらしい。
「それって、つまり」
「ここまで固められると、さすがに簡単には消せません」
 相沢は心底困ったような顔をする。
「よかった」
 前川の肩から力が抜けた。
「よくありませんよ。前にも言いましたが、警察が殺人犯を擁護してどうするんですか?」
 呆れたように相沢は前川を睨め付ける。
「じゃあ、お前は殺人を犯した米田を捕まえられるか?」
 前川の反問に、相沢は顔を顰めた。
 どこかで割り切らないと、前へは進めない。
 相沢が直面している問題はここだ。
 自分をおろそかにして、相手の迷惑をかけまいとする。それは素晴らしいことだが、自己犠牲だけでは成り立たないのが世の中だ。相沢の場合は度が過ぎている。だから、見ている方はなぜ気づかないともどかしい。
 しかし、前川はそのことは口にしない。何が問題か、それは自分で気づかなければいけないことだ。これから普通に生活していくのならば尚更、どこかで自分を優先して守らなければならないことを学ばなければならない。
「いいか。お前が総てを背負い込む必要はないんだ」
 言い聞かせるように、前川は相沢の眼を真っ直ぐに見つめた。
 相沢の目は、困惑で揺れている。
「すぐに納得できなくてもいいさ」
 前川は大きく息を吐き出した。
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