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第38話 相沢健一として生きるために
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「そう言うと思っていたよ」
米田は銃を仕舞うと、ゆっくりとした足取りで二人に近づいた。
相手の出方が解らないから何も言うな。そう言われた前川だったが、そろそろ限界だった。自然と相沢を支える手に力が入る。
「前川」
「は、はい」
突然呼ばれて、前川は身構えた。米田が内ポケットに手を入れていたから尚更だ。
「相沢を、頼む」
「えっ」
しかし、出てきたのは意外な言葉だった。さらに米田は内ポケットから取り出した封筒を前川に押し付けた。その目はどこまでも真摯で優しいものだった。
「待て!」
相沢が叫んだが、米田はそのまま歩き続ける。
「裏切り者になるだけさ」
二人に背を向けたまま、米田は平然と言った。
「何故だ?」
「ちゃんと、お前に向き合ったからだろうな」
短い問いに返ってきた言葉は、相沢にとってあまりにも意外だった。
また、誰かが犠牲になるのか。
相沢の唇が震えた。
前川には、この結末を選んだ米田の気持ちが解ってしまった。それと同時に、あの時に向けられた目の意味も理解する。前川に向けられた怒り、それは自分自身が何も出来なかったことへの裏返しの気持ちだったのだ。
一番傍にいて、一番救うチャンスのあった男。それなのに、米田は唯々諾々と相沢を殺し屋として育てることしか出来なかった。その不甲斐なさが、怒りとして表れていた。
米田は一度も振り返らず、そのまま闇へと溶けていった。
緊張の糸が切れたように、相沢はその場にずるずると座り込んでしまった。
前川は、はっとなって封筒の中身を確認する。
中身はもうすでに完成し発行された戸籍謄本と、警察手帳が入っていた。
都内に戻りあれこれ確認を取るのに忙殺された前川は、頭がパンクしそうだった。
「やっぱりあの戸籍は本物だぞ」
コンビニの駐車場に止めてあった車に戻るなり、前川は大声で言った。
車の中で、相沢は助手席に座り警察手帳を眺めていた。膝の上にはノートパソコンが置かれている。
「その警察手帳も本物だぞ」
「そうですか」
ようやく相沢が前川を見た。ぽんっと渡された身分に、まだ戸惑っている。相沢の目は珍しく定まった色を映していなかった。
米田の用意した書類は抜かりがなかった。いつ撮ったのか、相沢の写真も存在した。手帳に貼られた制服姿は合成だが、公務員として必要な書類にはちゃんと撮ったスーツ姿の写真があった。学歴やその他の必要な事項も、偽造とはいえしっかりしたものだった。
「キャリア組にしてあるところは、米田らしいな」
前川は相沢の緊張を解こうと、そう愚痴を漏らした。相沢の手帳に書かれた階級は警部補。一気に前川の階級と並んだことになる。
「正確な年齢を知らないのは米田も同じですから、これはかなり強引ですよ」
やれやれといった感じで相沢は溜め息を吐いた。
そう、書類上の相沢の年齢は二十四歳となっていた。大学を卒業して、ちゃんと警察で働いている形になっている。
「それで、米田の居所は掴めそうか」
「ええ。スマホはまだ生きているようなので」
相沢がポケットからスマホを取り出した。それは連絡用にと、屋上で無理やり渡された物だ。つまりこれは、敵と繋がっているスマホということになる。
「電波の追跡でもさせるのか?」
「いいえ。原始的ですが、これに登録されていた米田の番号に電話を掛けまくっています。そろそろ気づくでしょう」
「気づくって」
「もちろん、米田を今現在確保している人間ですよ」
相沢の目が、殺し屋の時と同様に鋭く光った。
「もう米田は捕まっていると」
「一日でこれだけの書類をそろえたのなら、動きはばれています」
相沢は警察手帳を指差した。
米田の心変りが突然だったのならば、確かにその通りだろう。どうやってやったかは見当がつかないが、書類は一切不備がなく正常に処理されていた。そしてそれは、敵に明確な裏切りとして映ることだろう。と同時に、相沢を殺し屋として連れ戻すことが出来なくなったことを示している。
「凄いよな」
本当に、相沢健一として生きていく道を残したのだ。これは米田からの餞別だ。
それなのに、相沢はすぐに米田の行方を追うと決めていた。
最初は米田の気持ちを尊重して反対だった前川も、結局は探すことに協力している。諦めろと言っても、相沢が受け入れることはないと思ったからだ。助けられないとしても、助けられっぱなしは性に合わないのだろう。
ふと前川が考えを止めて相沢を見ると、何やら熱心にパソコンを操作していた。その姿を、前川は不思議な気持ちで見つめてしまった。
「何です?」
視線に気づいた相沢が手を止めて前川を睨んだ。
「いや――お前ってパソコン使えたんだなあっと」
「今の世の中、殺し屋といえども使えますよ」
さも当然とばかりに相沢が言う。
「もう殺し屋じゃないだろ」
前川はやんわりと訂正したが
「いえ。まだ殺し屋ですよ」
固い声が返ってきた。
「お前、今何やってんだ?」
嫌な予感が過り、前川はパソコンを操る相沢の手を掴んだ。
米田は銃を仕舞うと、ゆっくりとした足取りで二人に近づいた。
相手の出方が解らないから何も言うな。そう言われた前川だったが、そろそろ限界だった。自然と相沢を支える手に力が入る。
「前川」
「は、はい」
突然呼ばれて、前川は身構えた。米田が内ポケットに手を入れていたから尚更だ。
「相沢を、頼む」
「えっ」
しかし、出てきたのは意外な言葉だった。さらに米田は内ポケットから取り出した封筒を前川に押し付けた。その目はどこまでも真摯で優しいものだった。
「待て!」
相沢が叫んだが、米田はそのまま歩き続ける。
「裏切り者になるだけさ」
二人に背を向けたまま、米田は平然と言った。
「何故だ?」
「ちゃんと、お前に向き合ったからだろうな」
短い問いに返ってきた言葉は、相沢にとってあまりにも意外だった。
また、誰かが犠牲になるのか。
相沢の唇が震えた。
前川には、この結末を選んだ米田の気持ちが解ってしまった。それと同時に、あの時に向けられた目の意味も理解する。前川に向けられた怒り、それは自分自身が何も出来なかったことへの裏返しの気持ちだったのだ。
一番傍にいて、一番救うチャンスのあった男。それなのに、米田は唯々諾々と相沢を殺し屋として育てることしか出来なかった。その不甲斐なさが、怒りとして表れていた。
米田は一度も振り返らず、そのまま闇へと溶けていった。
緊張の糸が切れたように、相沢はその場にずるずると座り込んでしまった。
前川は、はっとなって封筒の中身を確認する。
中身はもうすでに完成し発行された戸籍謄本と、警察手帳が入っていた。
都内に戻りあれこれ確認を取るのに忙殺された前川は、頭がパンクしそうだった。
「やっぱりあの戸籍は本物だぞ」
コンビニの駐車場に止めてあった車に戻るなり、前川は大声で言った。
車の中で、相沢は助手席に座り警察手帳を眺めていた。膝の上にはノートパソコンが置かれている。
「その警察手帳も本物だぞ」
「そうですか」
ようやく相沢が前川を見た。ぽんっと渡された身分に、まだ戸惑っている。相沢の目は珍しく定まった色を映していなかった。
米田の用意した書類は抜かりがなかった。いつ撮ったのか、相沢の写真も存在した。手帳に貼られた制服姿は合成だが、公務員として必要な書類にはちゃんと撮ったスーツ姿の写真があった。学歴やその他の必要な事項も、偽造とはいえしっかりしたものだった。
「キャリア組にしてあるところは、米田らしいな」
前川は相沢の緊張を解こうと、そう愚痴を漏らした。相沢の手帳に書かれた階級は警部補。一気に前川の階級と並んだことになる。
「正確な年齢を知らないのは米田も同じですから、これはかなり強引ですよ」
やれやれといった感じで相沢は溜め息を吐いた。
そう、書類上の相沢の年齢は二十四歳となっていた。大学を卒業して、ちゃんと警察で働いている形になっている。
「それで、米田の居所は掴めそうか」
「ええ。スマホはまだ生きているようなので」
相沢がポケットからスマホを取り出した。それは連絡用にと、屋上で無理やり渡された物だ。つまりこれは、敵と繋がっているスマホということになる。
「電波の追跡でもさせるのか?」
「いいえ。原始的ですが、これに登録されていた米田の番号に電話を掛けまくっています。そろそろ気づくでしょう」
「気づくって」
「もちろん、米田を今現在確保している人間ですよ」
相沢の目が、殺し屋の時と同様に鋭く光った。
「もう米田は捕まっていると」
「一日でこれだけの書類をそろえたのなら、動きはばれています」
相沢は警察手帳を指差した。
米田の心変りが突然だったのならば、確かにその通りだろう。どうやってやったかは見当がつかないが、書類は一切不備がなく正常に処理されていた。そしてそれは、敵に明確な裏切りとして映ることだろう。と同時に、相沢を殺し屋として連れ戻すことが出来なくなったことを示している。
「凄いよな」
本当に、相沢健一として生きていく道を残したのだ。これは米田からの餞別だ。
それなのに、相沢はすぐに米田の行方を追うと決めていた。
最初は米田の気持ちを尊重して反対だった前川も、結局は探すことに協力している。諦めろと言っても、相沢が受け入れることはないと思ったからだ。助けられないとしても、助けられっぱなしは性に合わないのだろう。
ふと前川が考えを止めて相沢を見ると、何やら熱心にパソコンを操作していた。その姿を、前川は不思議な気持ちで見つめてしまった。
「何です?」
視線に気づいた相沢が手を止めて前川を睨んだ。
「いや――お前ってパソコン使えたんだなあっと」
「今の世の中、殺し屋といえども使えますよ」
さも当然とばかりに相沢が言う。
「もう殺し屋じゃないだろ」
前川はやんわりと訂正したが
「いえ。まだ殺し屋ですよ」
固い声が返ってきた。
「お前、今何やってんだ?」
嫌な予感が過り、前川はパソコンを操る相沢の手を掴んだ。
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