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第18話 本当に逃げ道はないのか

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「っつ」
 相沢が突然立ち上がった。目線の先に、一人の男がいる。男は一人で点心を食べているが、どこか空気が気質ではなかった。それは前川にも解る。
「――」
 挑発するかのような相沢の鋭い視線に、男も気がついた。自分が見張りだと気取られたことに焦りはないらしい。
「――」
 相沢は突然立ち上がると出口ではなく奥のトイレへと向かった。それもあえて逃げるかのような素振りだ。
「ちっ」
 男が慌てたように立ち上がり、相川を追い掛けていく。
「あの野郎」
 前川には、相沢の考えが読めてしまった。しかし、それを黙って実行させるわけにはいかない。
 男が前川の横を過ぎようとした時――
「おい」
 前川は突然立ち上がり、男の肩を掴んだ。男は邪魔するなと前川の手を振りほどこうとする。
「警視庁の者だが、ちょっといいか」
 後の異変に気付き、相沢が振り返った。信じられないといった表情だ。
 にやりと笑って、前川は応じる。お前ひとりに背負わせられない。こうなったら一蓮托生だ。前川は自分が安泰でいることを捨てた。
「くそっ」
 男は何も言わず、前川を突き飛ばして店を出て行った。
「大丈夫ですか、お客様」
 心配して出てきた店員を誤魔化し、前川は相沢を引っ張って店を出た。路地に入り、人がいないことを確認して、相沢を壁際に立たせて逃げ道を塞いだ。
「馬鹿野郎。お前が信念曲げて殺しを行ってどうする!」
 前川は腹の底から怒鳴っていた。それに対し、相沢が大きく目を見開く。
「何で、解ったんですか?」
 掠れた声で相沢は呟いた。絶対にバレないと思っていただけに、これには心底驚かされる。それに、あのまま前川を撒いて逃げるだけだとは思わなかったのか。
「お前は性格が捻じ曲がってるわりに、目は正直だからな。明らかに挑発していたってことは、返り討ちにするつもりなんだろうって解るよ」
 そんな驚く相沢に、苦笑して前川は種明かしをする。あれはこの間の埠頭で見た目とは違った。しかし、確実に殺気が籠っていた。となれば、前川を守るために行動しようとしたというわけだ。
「目は正直って、殺し屋として劣ると貶してるんですか」
 相沢はようやく緊張を解いた。前川もほっと息を吐く。
「あの男を殺してどうするつもりだった。万が一逮捕されても有耶無耶にされるのは解っているだろう」
「そうですね。でも、前川さんへの注意は逸らせます」
「この馬鹿」
 前川は思わず拳を振り上げたが、すぐに引っ込めた。傷を見た後というのもあるが、暴力に対する相沢の反応が止めさせた。
 真っ直ぐと前川を見た目が、とても哀しげだった。あなたまで俺を殴って言うことを訊かせるんですか。そう問われているような気がしてしまったのだ。
「あの男は何だ?」
 気恥ずかしさから、前川は話題を変えた。相沢が挑発した男は服装こそ普通だったものの、身のこなしや雰囲気は何らかの訓練を受けた人間のものだった。
「俺の本来の監視役です。何人いるかは知りません。妙な動きをすれば拘束されることもあります」
「本来の……」
 その言葉が重く圧し掛かる。そして、相沢の行動が予想以上に制限されている事実があった。
「警視庁に俺を監視させたのは、ただの嫌がらせです。解っているでしょ?人形が生意気に人間の振りなんてするな。そういうニュアンスが込められている」
「それは……」
 気づいていたが、改めて相沢の口からそう指摘されるとショックがあった。何より、人形として自覚しろという意味が込められていたとなると、気持ち悪さも膨らむ。
「操り人形なんですから、当然でしょ。戸籍も何もない男なんですよ。俺はあいつらから逃げて生きていく術を持たないんです。それどころか、歯向かえばいつでも殺される存在だ。大人しく命令通りに殺しを行う殺人人形。それが俺の役割です」
 諦めたように相沢が笑った。前川のせいで制裁がきつくなり、そう言った言葉を何度も浴びせられたのだろう。身体が小刻みに震えていた。
「本当に逃げ道はないのか」
 少し揺さぶりをかけるつもりで、前川は訊いた。それだけ怖がり、嫌がっているのならば、逃げる手立てを考えたのではないか。そう問い掛ける。
「ありませんよ」
「何故言い切れる?」
「さっきも言ったように、俺は書類上存在しないんです。今の立場がなければ、パスポート一つ入手できません。国外逃亡はまずもって無理です。そして、この国の中に俺の居場所は、奴らの人形である以外に存在しない。さっきの監視役のような奴らが俺を捕まえに来る。もしくは殺しに来るんですよ」
「ちっ」
 あまりにも冷静な指摘に、前川は思わず舌打ちしてしまう。どこにも抜け道はない。しかも相手は倒すことのできない存在。一体どうすればいいのか。
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