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第30話 厨房

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「鍋なんかは自分で持って来れますけど、さすがにオーブンや冷蔵庫はね。それとシンクも使い難かったんですよ。蛇口も昔ながらも捻るタイプでね。今ってどこもほら、こういうレバータイプでしょ」
 くくっと笑って説明する梶田に、確かに洗面台のところの蛇口は捻るタイプだったのを思い出す。だが、トイレは最新式のウォシュレット便座だった。
 つまり、不便と感じる部分だけは最新のものに置き換えてあるのが、この別荘なのだ。おかげで廊下や階段が軋むのもそのままにされている。
「今日はカレーですか」
 楓がくつくつと音を立てる鍋を覗き込む。スパイシーないい香りをさせながら、黄色いスープが煮えていた。
「ええ。皆さん、あまり食欲はなさそうですから、香りで食欲を刺激してあげようと思いまして。あんな事件があった後ですから、肉は避けて海鮮たっぷりにしましたよ。それにスープカレーに近いものを用意していますから、そんなに食べることを意識しなくてもいいかなって」
「へえ。やっぱり、料理人としては料理を残されるのは悲しいですよね」
「ええ。マジシャンがタネを見抜かれると困るのと同じですね」
 梶田はそこで厨房のあちこちを見て回っている青龍へと声を掛けた。そして気にしている様子だったので、開けても大丈夫ですよと冷蔵庫を指差す。
 それは業務用の大きなもので、人ひとりくらいは詰め込めそうな大きさである。その横には何やらボンベが置かれているが、小さなものでそれに隠すのは難しそうだ。
「ありがとうございます。しかし、この冷蔵庫だったら死体を苦労せず隠せますが、梶田さんが必ず開けますよね。梶田さんが犯人でない限りは死体を発見されてしまいますから、ここには隠さないのがベターですよ」
 青龍はそう言いつつも冷蔵庫を開け、手前だけでなく奥までしっかりと確認していた。その冷蔵庫の中は、下ごしらえを他のところでしているためか、タッパー類ばかりで、すぐに何が入っているか解らない。
 とはいえ、タッパーは人間を入れるには到底不可能な小ささのものばかりだ。切り分けたとしたら相当細切れにしなければ入らないだろう。
「ううん、確認すべきでしょうが、大丈夫ですね。ここまで小さく刻むとなると、犯行時間と合致しなくなってしまいます。タッパーの中身は梶田さんがご存じでしょうし、このサイズに人間を切り分けるのは難しそうです。邪魔な部分がこのカレーの中に入っていたら別でしょうけど、それはないでしょう」
「ないですよ。ゲテモノ料理じゃないんだし、俺はカチカチ山の狸じゃないんですよ。死体を食わせるなんてえげつないこと出来ませんよ。それに、先ほども言ったようにこれに肉は使ってません。もし犯人が何か紛れ込ませていたとしても、カレーには混入していませんよ」
「ですよね」
 ということで、一見する限りどこにも怪しいものはなかった。タッパーの中に凍った肉が入っているというのは気になるが、やはりサイズ的にすぐにどうこう出来るものではない。
 犯行時間が限られていたという条件からも、気にし過ぎということだろう。むしろここにいるとカレーのスパイシーな匂いで腹が鳴って仕方がない。
「くそっ、梶田さんの見込み通りですね」
 航介が腹を押さえてぼやく。
その悔しそうな顔が今まで見た中ではどれよりも人間らしくて、雅人は思わず笑ってしまうのだった。



 その厨房の横は梶田と岩瀬が使っている部屋だった。こちらも二段ベッドで、あれこれと動く梶田が下を使っているという。狭い部屋の中には旅行カバンが置かれていて、より手狭に感じた。とはいえ、今日から岩瀬は庄司の部屋を使うかもしれず、自分が独占できるかもしれないと梶田は案内しつつ冗談を言っていた。
「ということは、岩瀬さんと社長が付き合っていたのは、梶田さんもご存じなんですね」
「知ってますよ。昔から付き合いのある奴は、知っているんじゃないかな。別に隠していなかったですからね。でも、別れてからは知りようがないだろうな。一年半くらい前かな。急に二人の仲が険悪になりましてね。それからは話題になっていないはずですよ。だから今回来ている社員の中で知らないとすれば、野々村っていう調子のいい若者と桑野って人でしょうね」
 梶田の指摘に、航介はそのとおりと頷いた。それはすなわち、随分とオープンに付き合っていたということか。最近では同性カップルを認める動きがあるとはいえ、二人が大学生時代となると今から十五年前。その頃はまだまだ偏見もあっただろうに大胆なことだ。
「そのくらいの大胆さがないと、社長なんて出来ないってことですよね。まあ、人工知能なんて俺にはさっぱりだけど」
 そこまで言って、鍋の様子が気になるからと梶田は去って行った。そこにお手伝いの三人が合流して、あれこれと打ち合わせをしながら厨房に消えていく。途端に騒がしくなったが、捜査には問題ない。
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