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第20話 手掛かりなし

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「まあまあ。すぐに動くと犯人の思うつぼですよ。ともかく中に入って捜索結果を報告し合いましょう。対策はその次です」
「お前が仕切るな!」
 そろそろ我慢の限界だった。
 朝から溜りに溜まっていたイライラも相俟って、雅人はそこで思わず怒鳴っていたのだった。


 結果から言うと、杉山の姿はどこにもなかった。
 庄司の指示で全員分の荷物、当然ながら外にした雅人や青龍たちのものも捜索したというが、何も証拠はなかった。
 雅人たちも車の中を覗ける範囲で覗き込み、車のどこかに血が付着していないかを確認したが、どこにも発見することは出来なかった。
「勝手にすみません」
 青龍の荷物を見てしまったことを気に掛ける野々村がそう謝ったが、青龍は怒ることはなかった。
「大掛かりな仕掛けは、昨日で使い切っていますからね。見られて困るものは入っていませんよ」
「良かった」
 青龍がそう宥めると、野々村は心底ほっとしたようだ。しかし、杉山が血痕を残して消えてしまったという最大の関心事は残っている。さらにはスマホが使用不能、車も使えないという状況なのだ。
「こうなると、誰かが歩いて麓の交番まで知らせに行くしかないですね。確か、山を下りてすぐの場所にありましたよね」
 そう雅人が提案すると、では誰がという顔になる。
 それはそうだ。雨の中、少なくとも五時間ほど山道を進まなければならない。車が通れるほどに整備されているとはいえ、そう簡単な役割ではない。
「解りました。ここは刑事の私が行くのが適任かと思います」
「駄目だ」
「しかし」
 雅人がどうしてかと困惑するが、庄司がそれは困ると止めた。
 ここに殺人犯がいるかもしれないのに、抑止力になる刑事がいなくなるのは困る。しかもこの中に犯人がいるかもしれないのに、残されては皆殺しにされるかもしれないとまで言う。
「さすがにそれは」
「もちろん、皆殺しというのはオーバーな表現でしょう。しかし、さっき刑事さんは萌が相当な怪我を負っていると言っていましたが、あの状態で萌が逃げおおせたとは思えません。もし逃げられたのだとしたら、とっくの昔に大騒ぎになっていたでしょうし。となると、あの大量の血痕が意味するのは」
 滅茶苦茶に刺されて殺されたのだろう。庄司は言葉を切って雅人を睨む。
 実際、庄司がいないところでは、すでに殺人事件として考えていたのだ。死体を加工したのだろうとも考えていた。だから簡単に否定できない。そもそも、あんな不可解な状況で逃げ切れていると考えられるはずがなかった。
「ええ、そうですね。杉山さんがすでに亡くなっていることは否定できません。ただし、まだ外部犯の可能性もあります」
「だったら尚のこと、雨が止むまでは動くべきじゃないですよ。それこそ、どこかにいるかもしれない犯人の思うつぼじゃないですか」
「そ、そうですね」
 刑事の自分が諭されてどうすると思うが、不安が先立っている彼らの傍にいるべきだろう。ここで疑心暗鬼になり、恐慌に陥られる方が大変だ。
 外部犯の可能性はあくまで可能性でしかなく、この中に犯人がいる可能性が最も高い。そんな中で一人がパニックを起こせば、連鎖反応を起こすことだろう。そうなれば、下手すると余計な殺人事件を招く結果になる。
 しかし、雅人としては一刻も早く本部に連絡を入れて鑑識を呼びたいところだ。不可解な現場である分、早急に初動捜査を行いたい。とはいえ、雨が止むまで待つというのも選択肢の一つである。ともかく、全員が落ち着いて思考できるまでは待つしかない。
「雨が降っているからややこしいんですよ。晴れていれば、みんなでまとまって下りることが可能ですしね」
 躊躇いが残る雅人に向けて、こう考えてはどうだと青龍が提案した。
 なるほど、誰が容疑者か絞り込めない以上、この先は団体で行動してしまうべきだというわけだ。そして晴れてさえいれば、多少大変でも山を下ることに反対はしない。
「そうですね。しばらく様子を見てみましょう。そう強くない雨ですが、いつ止むのやら。天気予報が解るといいんですが」
 庄司はそう言って不安そうに窓の外へと目を向ける。昼間とあって明るい外だが、雨はしとしとと降り続けている。
「ここ、ラジオはないんですか?」
「電波が届いていないんですよ」
「ああ、そうか」
 梶田の意見は、あっさりと岩瀬によって否定されてしまった。確かにスマホや携帯電話の電波が全く来ない以上、ラジオ電波も妨害されているはずだ。つまり、ここは完全に隔絶された場所になってしまった。
「雨の様子からしてすぐに上がりそうですけど」
「そうですね。ただ、梅雨前のこの時期ですからね。天気は不安定になりやすいんですよ。前線の動き次第ではいつ長雨になるか」
 桑野の意見もまた神田によって否定されてしまい、集まっている居間には何とも言えないどんよりとした沈黙が下りた。まさに八方塞がりの状態だ。だが、雨が止まないことには打開策もない。
「食料は大丈夫だよな」
 そんな沈黙を破ったのは、意外にも恋人が殺されて最も沈んでいるはずの庄司だった。梶田に長丁場になった場合は大丈夫なのか。そう確認する。
「それは大丈夫です。パンの在庫は少ないですが、米はありますからね。上手くやりくりすれば一週間は大丈夫ですよ。何より朝には手伝いの人間が来るはずです。そいつらに連絡を頼めれば、解決はすぐでしょ」
「よし。取り敢えず、今日一日は雨が止むのを待つ。これでいいですね」
「は、はい」
 その確認は雅人に向けてなされたものだ。もちろん異論はない。ただ、現場に関して自分で保存し証拠を集めるという作業が出てくるだけだ。
すでに奇妙な現場と化しているものを自分が初動捜査しなければならないというのは、何とも気の重い話だった。しかもすぐに鑑識が入れないとなると、小さな証拠は消えてしまうかもしれない。
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