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第8話 厄介

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「さあ、お待ちかねの氷室を紹介しよう」
 でもって、ちゃんと憧れている演出までやってくれるのだから、ここまで来ると驚きを通り越して呆れる。
 疑うまでもなく、この航介は青龍の裏の顔を知っている。それでいて楽しんでいるのだ。だからこうして、余裕のある態度で雅人たちに接することが出来る。
 この手のタイプは、警察としては厄介な奴に分類しておくのが無難だ。
「ど、どうも」
「私のファンだとか。ありがとうございます」
 ぎこちなく挨拶するのは憧れの人に会ったせい。そう思わせるだけの完璧な笑顔で青龍は対応した。
 まったく、こいつもこいつで何を考えているんだと苦々しくなる。が、今は笑顔をキープだ。
「こちらこそ、こんな間近で見られるなんて」
 もちろんそこには裏稼業がというニュアンスを含ませる。が、青龍は完璧な笑顔を崩さないままだ。
「あんまり熱心に見つめて、トリックを見破らないようね」
 そんな注意だけを寄越してくる。そこには介入するだけ無駄だというニュアンスが含まれているのは言うまでもない。
「あなたたちもファンなんですね。お待ちしていましたよ。熱く、今日は熱く語らいましょう」
 雅人と楓が青龍とそんな微妙なやり取りをした後、今度は援護射撃をしてくれたという野々村に捕まった。鼻息が荒い。なるほど、これが本物のファンかと圧倒されるほどだ。
「よ、よろしく」
 おかげで雅人は、初日から色々と面倒な状況に陥ることになるのだった。



 夕方からは青龍が舞台の用意に入ったため、そこで一旦居間での歓談はお開きとなった。雅人たちも一度外に出て車に置いていた荷物を取り出し、泊まる部屋に入ることになる。しかし、部屋割りを聞いてぎょっとした。
「あんたと一緒か」
「それはそうでしょう。一応は友人ってことになってますからね。組み合わせとしては不自然ではありませんよ。それに部屋数が多くないんで、一人部屋なのはこの別荘の主人である庄司と、マジックの関係で荷物が多い氷室、それに庄司の未来のパートナー候補の杉山だけなんです。俺と一緒が嫌だというのならば、氷室大ファンの野々村と一緒にしましょうか。替われるのはそいつくらいですよ」
「ぐっ。それだけは遠慮したいね」
「じゃ、諦めてください」
「はあ」
 というわけで雅人は航介と同室だった。
 先ほどまで野々村のいかに青龍が凄いかという熱弁を聞いているだけに、こいつの厄介になる以外になさそうだ。というか、野々村も航介とは友人だからと思って遠慮しているに違いない。
「先が思いやられるぜ」
「ああ。確か刑事さんは氷室を追っているんでしたね、別の意味で」
「そういうあなたは、やはり氷室青龍の別の顔を知っているということだな。そして、知っていて手助けをしている」
「さあ」
 わざとすっ呆けてみせる航介にイラっとしたが、ここにいられるのはこの男のおかげだ。ケンカは出来ない。
 まったく、あちこちで神経をすり減らさなければならないらしいなと、すでにうんざりしてしまう。これがあと二日も続くと思うと、すでに投げ出したくなる。
「おっ、そういえば竹村は」
「あちらです」
 そう指差された方を見ると、楓は同室になった桑野と盛り上がっていた。働く女同士、どうやら馬が合ったらしい。先ほどの談笑中には見せなかった笑顔をしていた。
「桑野は何かと気難しいんですが、あなたの部下は優秀なようですね。杉山とは全く馬が合わず、何度か顔を合わしているのに、あんなに喋っているところなんて見たことがないですよ。それに引き換え、彼女はすっかりお気に入りですね」
「ははっ」
 それに関し、雅人はコメントを持ち合わせていなかった。
 確かに優秀だが、どこかずれている。そう感じずにはいられない。しかし、ああやって女同士で盛り上がっているのを見ると、普段は感じない女らしさを感じて不思議な気分になる。
「さあ、部屋は二階です。行きましょう」
「はい」
 こうしてやっと宿泊する部屋へと行くことになった。同時にこの建物の中の構図を把握しておきたいし、誰がどの部屋を使うのかも知りたいところだ。
「そういう発想は氷室と一緒ですね。まあ、奴の場合は色んな演出を考えるので頭がいっぱいですけど」
「あの、今更だが、あんたと氷室の関係は」
「大学時代の同級生ですよ」
 さらっと明かされ、なるほど、自分との関係は青龍との関係の流用かと納得した。
 それにしてもあいつ、大学を卒業していたのか。まあ、プライドの塊のような男だから、学歴にも拘っていることだろう。
「どちらの大学ですか」
 そこまで考えて、おそらく偏差値の高い大学だなと確認する。すると航介が質問の意図に気づいてにやりと笑った。
「そうですね。某大学とだけ」
「そうやって誤魔化す場合、多くは東大か京大ですけど」
「否定はしません」
「ちっ」
 マジかよ。
 それが雅人の素直な感想だ。だから思わず舌打ちしてしまう。
 それにしても、まさか国立のトップクラスの大学を出ているとは。
 しかもそんな学歴があるにも関わらず、今や世界的に有名なマジシャン。まったくイメージできない人生だ。
 失敗したら。そんなこと、あの青龍ならば考えないだろうが、普通は二の足を踏む選択だ。
「学部は」
「奴も俺と同じく工学部ですよ。あいつも人工知能の研究をしていたんです。だからか、青龍はマジックとは工学の応用だなんて嘯いてますね。一体どこに人工知能が絡むというのか。俺にはさっぱりわかりませんが、でも、シミュレーションをするのにコンピュータを用いているのであれば、確かに応用の問題なのかもしれません」
 そんな話をしていると二階に到着していた。二階は一階と同じくずどんっと中央に廊下があり、左右に部屋が並んでいる。
 部屋数も同じ構図だが、僅かに違う部分があった。それは突き当りの廊下、玄関側とは反対の突き当りの廊下が曲がって、どこかに繋がっているようだということだ。
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