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最終話 いつかの日まで
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「飛鳥さん。ありがとうございます。これ、先生が選んでくれたんですよね。大事に使います」
「あ、ああ」
長旅から戻って数日後の弁天屋で、飛鳥は呆れ返っていた。菫は優介から渡された土産の簪に上機嫌だ。
優介はやったぜとばかりに親指を立てているが、飛鳥は今すぐその指をへし折ってやりたかった。
あの日、旅の帰りに菫に土産を買おうとなったのだが、飛鳥はその時、ちょっとしたお節介を思いついたのだ。すなわち、優介から土産を渡させ、会話のきっかけにしようというものだった。
優介は家に縛られていないから、多少の面倒はあっても菫を嫁に貰うことは出来る。それにいつか飛鳥がいなくなっても、菫と一緒になっていれば戯作の話題に困ることもないだろう。そう考えてのことだ。
だから今日も優介に先に弁天屋に行き、菫に土産を渡すように唆したのである。
なのに、どうして馬鹿正直に俺が選んだというのか。飛鳥は頭が痛くなった。
「喜んでくれたな」
「そうだな。朴念仁」
「なんだよ。もっと持ち上げとけば良かったのかい?」
「・・・・・・」
こいつ、何を言っているんだろう。飛鳥は呆れ果ててしまう。
嘘とはいえ、飛鳥がそれなりの家の者で、いずれ継ぐことを知っているのだ。菫との仲が発展することはないと知っているだろうに。
「お前は菫さんが好きじゃねえのか」
仕方なく、飛鳥は直球で訊ねる。すると、優介は大きいに狼狽した。
「な、えっ、またその話かい」
以前、奇妙な誘拐事件の時にも話題になったなと、優介は頭を掻く。今回も顔が真っ赤だ。
「俺には許嫁がいるんだ。遠慮は要らんぞ」
もう一押しかと、飛鳥はそう付け加える。今のところいないが、いずれは鬼の娘を娶ることになるから、大幅な嘘でもない。
「あ、ああ。そうか。飛鳥さんはそうだよねえ」
しかし、優介は飛鳥がいずれいなくなる方が気になるようで、がっかりしたように肩を落とす。
「あらあら、どうしたの?」
そこで話題の菫が、いつもの注文の品を運んで来た。おかげで優介はドキッとした拍子に机に膝をぶつけていた。
「痛っ」
「もう、鈍臭いですねえ。置くまえで良かったわ」
菫は料理が零れるところだったと、そんな文句しか言わない。どうやらこの二人の仲が恋に発展するような運命の悪戯は、そうそう転がっていないらしい。
「優介はまだ旅に心を奪われているのさ」
仕方なく、飛鳥はそう言って誤魔化した。酒を受け取ってぐびぐびと飲み始める。
「それは仕方ないですね。江戸を離れて白河の向こうまで行くなんて、そうそう出来ませんもの。行きやすいのは伊勢参りですけど、あれもなかなか大変ですものねえ。こんなしがない居酒屋の娘じゃあ、一生縁が無いわ」
菫はそう言って、また落ち着いたら旅の話を聞かせてくださいねと去って行く。
「伊勢参りねえ」
優介はそんなに行きたいものかなと首を捻っている。
「菫さんを誘って行ってくるか。この間のことで金はたんまりあるだろ」
それに飛鳥は、馬鹿だなと唆してみたが
「ええっ。それはちょっと。行くなら飛鳥さんとがいいし」
と、そんなことを言い出す。
「まったく」
まだまだこいつとの縁は切れそうにないな。
飛鳥は嬉しくなったものの顔には出さず、誤魔化すために優介の分の酒も飲んでしまうのだった。
「まだまだ続けるか」
「まあね」
弁天屋から帰ると雨月がいるのもいつものことだ。しかし、今度こそ帰ると言い出すと思っていたようで、苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「いいじゃねえか。俺はピンピンしている。それに、鬼じゃあ、そう簡単に病に罹ることも死ぬこともないんだし」
飛鳥はにやっと笑って言い返した。それに、何を言っても無駄だなと雨月は溜め息を吐く。
確かに鬼がそう簡単に死ぬことはない。だから、生き肝事件のようなことが起こることはない。しかし、主に対しての思いは人間も鬼も変わらない。
「お前のお守りはまだまだ続くというわけか」
やれやれと雨月は首を横に振る。
「お守りとは酷いな。でも、江戸に来たからこそ、お前や里の人たちの気持ちに気づけたんだ。これでも、少しは長として生きる覚悟が決まったよ」
溜め息を吐く雨月に、ちょっとは成長したぞと飛鳥は雨月を真剣に見つめる。
こいつを失望させるようなことはしない。
今回の事件で、そう強く思った。
「そうか。ならばひょいひょいと旗本に利用されることはないように頼むぞ」
雨月はその視線の強さから思いを汲み取ったが、口では別のことを言った。でも、誤魔化し切れず、ほっとした顔をしてしまう。
いつか、里に戻らず一生を江戸で過ごすと言い出すのではないか。
雨月はそれが心配で仕方なかった。しかし、家臣の思いに触れ、その懸念がなくなったのは喜ばしい。
「大丈夫だよ。俺は鬼だ」
だから、いつか江戸にいられなくなるその日まで、もう少しだけ、優介とこの町のちょっと不思議な事件を解決したい。
多分、あと五年もないから。
それが飛鳥の出した答えだ。
でも、もう五年しかないんだなと思うと、ちょっと寂しくなってしまうのも、偽らざる本心だ。
「そうだな。鬼だ」
板挟みになって苦しんでいるんだな。
雨月はそれを読み取ると、背後に隠していた酒瓶を飛鳥の前に置いた。
「飲むか」
「おっ、珍しい」
「成長祝いだ」
「酷い言い方だな」
飛鳥はようやく笑うと、今までも、そしてこれからも、ずっと一緒に歩むのはお前だもんなと、雨月を見つめていた。
「あ、ああ」
長旅から戻って数日後の弁天屋で、飛鳥は呆れ返っていた。菫は優介から渡された土産の簪に上機嫌だ。
優介はやったぜとばかりに親指を立てているが、飛鳥は今すぐその指をへし折ってやりたかった。
あの日、旅の帰りに菫に土産を買おうとなったのだが、飛鳥はその時、ちょっとしたお節介を思いついたのだ。すなわち、優介から土産を渡させ、会話のきっかけにしようというものだった。
優介は家に縛られていないから、多少の面倒はあっても菫を嫁に貰うことは出来る。それにいつか飛鳥がいなくなっても、菫と一緒になっていれば戯作の話題に困ることもないだろう。そう考えてのことだ。
だから今日も優介に先に弁天屋に行き、菫に土産を渡すように唆したのである。
なのに、どうして馬鹿正直に俺が選んだというのか。飛鳥は頭が痛くなった。
「喜んでくれたな」
「そうだな。朴念仁」
「なんだよ。もっと持ち上げとけば良かったのかい?」
「・・・・・・」
こいつ、何を言っているんだろう。飛鳥は呆れ果ててしまう。
嘘とはいえ、飛鳥がそれなりの家の者で、いずれ継ぐことを知っているのだ。菫との仲が発展することはないと知っているだろうに。
「お前は菫さんが好きじゃねえのか」
仕方なく、飛鳥は直球で訊ねる。すると、優介は大きいに狼狽した。
「な、えっ、またその話かい」
以前、奇妙な誘拐事件の時にも話題になったなと、優介は頭を掻く。今回も顔が真っ赤だ。
「俺には許嫁がいるんだ。遠慮は要らんぞ」
もう一押しかと、飛鳥はそう付け加える。今のところいないが、いずれは鬼の娘を娶ることになるから、大幅な嘘でもない。
「あ、ああ。そうか。飛鳥さんはそうだよねえ」
しかし、優介は飛鳥がいずれいなくなる方が気になるようで、がっかりしたように肩を落とす。
「あらあら、どうしたの?」
そこで話題の菫が、いつもの注文の品を運んで来た。おかげで優介はドキッとした拍子に机に膝をぶつけていた。
「痛っ」
「もう、鈍臭いですねえ。置くまえで良かったわ」
菫は料理が零れるところだったと、そんな文句しか言わない。どうやらこの二人の仲が恋に発展するような運命の悪戯は、そうそう転がっていないらしい。
「優介はまだ旅に心を奪われているのさ」
仕方なく、飛鳥はそう言って誤魔化した。酒を受け取ってぐびぐびと飲み始める。
「それは仕方ないですね。江戸を離れて白河の向こうまで行くなんて、そうそう出来ませんもの。行きやすいのは伊勢参りですけど、あれもなかなか大変ですものねえ。こんなしがない居酒屋の娘じゃあ、一生縁が無いわ」
菫はそう言って、また落ち着いたら旅の話を聞かせてくださいねと去って行く。
「伊勢参りねえ」
優介はそんなに行きたいものかなと首を捻っている。
「菫さんを誘って行ってくるか。この間のことで金はたんまりあるだろ」
それに飛鳥は、馬鹿だなと唆してみたが
「ええっ。それはちょっと。行くなら飛鳥さんとがいいし」
と、そんなことを言い出す。
「まったく」
まだまだこいつとの縁は切れそうにないな。
飛鳥は嬉しくなったものの顔には出さず、誤魔化すために優介の分の酒も飲んでしまうのだった。
「まだまだ続けるか」
「まあね」
弁天屋から帰ると雨月がいるのもいつものことだ。しかし、今度こそ帰ると言い出すと思っていたようで、苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「いいじゃねえか。俺はピンピンしている。それに、鬼じゃあ、そう簡単に病に罹ることも死ぬこともないんだし」
飛鳥はにやっと笑って言い返した。それに、何を言っても無駄だなと雨月は溜め息を吐く。
確かに鬼がそう簡単に死ぬことはない。だから、生き肝事件のようなことが起こることはない。しかし、主に対しての思いは人間も鬼も変わらない。
「お前のお守りはまだまだ続くというわけか」
やれやれと雨月は首を横に振る。
「お守りとは酷いな。でも、江戸に来たからこそ、お前や里の人たちの気持ちに気づけたんだ。これでも、少しは長として生きる覚悟が決まったよ」
溜め息を吐く雨月に、ちょっとは成長したぞと飛鳥は雨月を真剣に見つめる。
こいつを失望させるようなことはしない。
今回の事件で、そう強く思った。
「そうか。ならばひょいひょいと旗本に利用されることはないように頼むぞ」
雨月はその視線の強さから思いを汲み取ったが、口では別のことを言った。でも、誤魔化し切れず、ほっとした顔をしてしまう。
いつか、里に戻らず一生を江戸で過ごすと言い出すのではないか。
雨月はそれが心配で仕方なかった。しかし、家臣の思いに触れ、その懸念がなくなったのは喜ばしい。
「大丈夫だよ。俺は鬼だ」
だから、いつか江戸にいられなくなるその日まで、もう少しだけ、優介とこの町のちょっと不思議な事件を解決したい。
多分、あと五年もないから。
それが飛鳥の出した答えだ。
でも、もう五年しかないんだなと思うと、ちょっと寂しくなってしまうのも、偽らざる本心だ。
「そうだな。鬼だ」
板挟みになって苦しんでいるんだな。
雨月はそれを読み取ると、背後に隠していた酒瓶を飛鳥の前に置いた。
「飲むか」
「おっ、珍しい」
「成長祝いだ」
「酷い言い方だな」
飛鳥はようやく笑うと、今までも、そしてこれからも、ずっと一緒に歩むのはお前だもんなと、雨月を見つめていた。
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