大江戸闇鬼譚~裏長屋に棲む鬼~

渋川宙

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第25話 御法度

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「ゆ、優介」
 まさか優介から来ると思っていなかった飛鳥は、思い切り動揺してしまう。
 そしてそれは、戸の前に立っていた優介も同じだった。
「そ、その、散歩してたら、いつもの癖で」
 飛鳥の長屋の前にいたのだが、戸を開けれずに困っていたのだ。それがいきなりがらっと開いたのだから、言葉が出て来ない。
 しばらく気まずい沈黙があったが
「弁天屋に行くか」
 飛鳥から、意を決して誘った。
 総てを説明するにせよ、どこか誤魔化して雨月の態度を説明するにせよ、ここで突っ立っていても始まらない。
「そ、そうだな」
 優介も、説明を聞きたくてここまで来たのだと、腹を括って頷いた。
 こうして二人揃って弁天屋に向ったのだが、その間、何を言っていいのか解らず、二人とも黙ったままだった。飛鳥は何か話すべきか決めかねていたし、優介は何から問えばいいのか解らないままだった。
「いらっしゃい。って、どうしたの? ふたりとも。随分と深刻な顔をして」
 おかげで弁天屋の縄暖簾を潜った時、菫からそうツッコまれてしまった。二人は互いの顔を見合わせ、それからまあねと曖昧に頷く。
「変なの。二人とも風邪引いてたの? 春先とあって風邪引く人は多いけど、飛鳥さんと優介さんが引くなんて珍しいわね」
 菫は体調が悪いのならばお酒はあまり駄目よと注意して去って行った。注文しなくても、いつものものを持ってきてくれるから、それを取りに行ったのだ。
 その余りに変わらない菫の姿に、二人は知らずほっと息を吐いていた。そして、揃って空いていた席に座る。
 すぐに菫が酒と切り干し大根、ねぎまを置いてくれる。一先ず二人は互いのお猪口に酒を入れた。
「この間はその、ごめん」
 一口煽ってから、まずは言うべき事はこれかと飛鳥は謝る。それに優介はいいよと首を横に振った。
「俺もビックリしていたし。飛鳥さんはその、武士、なのか」
 そして一番気になっていたところを訊ねた。
「あっ、ええっと」
 それに飛鳥は、そう考えるのかと戸惑い、それから苦笑した。実に優介らしい発想だ。今まで飛鳥が別の生き物かもしれないなんて、考えたことはないのだろう。
 あの時、若と呼ばれて飛鳥の頭に浮かんだのは自分の本来の立場だ。しかし、何も知らない優介は、武士だがその身分を隠して長屋に住んでいると考えたのだ。
 別に悩む必要もなく、誤魔化す方法はいくらでもあることを、飛鳥は完全に失念していた。いや、それだけ動揺していたということだ。そして、いつか話さなければならなことを、自分が思っている以上に意識していたことを知る。
「武士、というのとは違う」
 ともかく、飛鳥は優介の想像を打ち消さなければならない。優介は自分と違って武士としていずれ家を継ぐかもしれない相手と、これまで通りに連んではいたくないだろう。そう思ってのことだ。この点は最も三日間頭にあったことなので、この誤解を利用するわけにはいかなかった。
 では、優介にどうやって若と呼ばれたことを誤魔化して伝えるべきか。飛鳥はこの五日間が嘘のように、頭を必死に働かせる。鬼と伝えなくても何とかなるかもしれない。それが、飛鳥に考える気力を復活させた。
 しかし、今では優介の人間観察の目が確かなことも知っているから、誤魔化すにはそれなりの真実も混ぜなければならないことが解っている。無理なく自分のことを説明するには、少々荒っぽい方法しかなかった。
 いや、鬼ならば御法度ごはっとの嘘というべきか。最も対立する人々の立場を借りるしかない。
「じゃ、じゃあ飛鳥さんは一体」
「俺の本当の住まいは京にあるんだ」
「えっ」
 飛鳥は実際に京の出身なので、まずはそこを明かす。そして、鬼の長として身につけたみやびな笑みを浮かべてみせる。
 鬼は常に帝と対立する立場にある存在だ。それは平安より前からずっと続く因縁である。だから、そのためには鬼たちも同じ水準の教養を身につけることが課されている。
 その長として育てられた飛鳥ならば、公家を、いや帝に連なる人と名乗るだけのことは簡単にやってのけられる。
「えっ、ええっと、ひょっとして」
 優介は見事に混乱してくれた。武士だと確信していたのだろう。他の可能性が提示され、しかも住まいが京だと言われて、そんな馬鹿なと目を白黒させている。
 武士と公家では真逆だ。飛鳥はよしよしとこっそりほくそ笑む。
「少々事情があってね。見つかるわけにはいかぬのだ」
 いつもより落ち着いた声音、落ち着いた仕草でそう付け加えた。すると、目の前の優介は憑き物が落ちたかのように呆けた顔になる。
「な、なるほど。そ、そうか。ああ、二枚目のはずだよなあ。ははっ」
 そして譫言のようにそう呟いていた。
 ちょっと罪悪感を覚える反応だが、これでは鬼だったことを明かした時にはどうなるのだろう。飛鳥はそんな心配をしつつ、済まないねとまだまだ演技を続けることになる。
「いや、うん。そうか。それならば雨月さんが心配でしょっちゅうやって来るのも頷けるし、守るように傍にいるのも納得だよ。高貴な血筋のお方だったとは」
 いやあ、なんだ。そうなんだ。そりゃあ、あの場では言えないよね。
 優介は心の底からほっとしていた。実はどこぞの藩のご落胤だ。もしくは将軍の落とし胤だ。そう言われたら立ち直れないところだった。もちろん予想以上に複雑な立場だと解ってしまったわけだが、公家というのは納得だった。
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