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第16話 ドアが開かない

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 その千春だが、実はトラブルに巻き込まれていた。
「えっ。アトリエ側のドアが開かない」
 朝食の席で、田辺が困惑気味に伝えてきたのだ。そう言えば、ダイニングにいるのはパーティーの招待客ばかり。安西だけでなく、桃花や美紅もいなかった。
「ええ。朝食の時間になってもお見えにならないので迎えに行きましたら、アトリエ側のドアだけ開かないのです」
「鍵の開け忘れ、かな」
「いえ。あれは時間で自動的に開閉する仕組みになっていまして。鍵ではないんです」
「えっ」
 それは意外だと、千春だけでなく横の友也もきょとんとしていた。
「つまり、故意に鍵をかけることは出来ない」
「はい。それに連動しておりまして、片側だけが開かないということはないんですよ。だから、何かトラブルかと心配しているのです。内線で呼び出しても、誰からも返事がありません。ですが、ドアを開けるのには私一人の力ではどうしようもありません。出来ればどなたか一緒に来ていただけませんか」
「なるほど」
 それは手伝いが必要だと、友也がすぐに立ち上がった。他も釣られるように立ち上がる。となると、千春だけ無視するわけにもいかなかった。
「俺も行きます」
 こうしてぞろぞろと五人で出て行くことになった。途中でシェフをしている石田剛も心配だからと出てきて、六人でドアのところへと向かう。
「あれ?」
「開いてますね」
 しかし、ドアをこじ開けるまでもなく、渡り廊下からドアが開いていることが解った。誰かが押し開けたのか、半開きの状態だった。不審に思いつつドアに近づくと、そこに桃花が倒れていた。
「お、おい」
「大丈夫ですか」
 驚いたものの、抱き起してみると、単に気絶しているだけのようだ。怪我をしている様子もない。しかしどういうわけか、服が僅かに濡れて湿っていた。それどころか、髪も濡れてしまっている。
 これは一体どういうことなのか。一体ここで何があったというのか。
「なんか、変な臭いがしませんか」
 桃花を渡り廊下に運び出して中を覗いた大地が、気持ち悪いと鼻を押さえた。たしかに、ドアを開け放った途端、何とも不快な臭いが鼻についた。鉄臭く、錆びついたような臭い。それだけでなく、昨夜感じた美術室のような臭いも強烈だった。
「これって」
「何でしょう。誰かが絵具でも零したんでしょうか」
「いや、それだけじゃない。これは」
 田辺の意見を、友也と忠文が首を振って否定した。絵の具の臭いも確かに強烈だが、明らかに鉄臭い臭いが混ざっている。それが示すことは一つだ。
「全員で固まって入りましょう。それと、誰か一人は岡林さんの看護に残らないと」
「あっ、じゃあ俺で」
 と、手を挙げたのは意外にもミステリー作家の大地だった。全員のどうしてという視線に、大地はむすっとしたものの
「作家は想像しかしないんです。実際の現場なんて御免ですよ」
 素直に行きたくないと主張した。これに千春は羨ましい性格だなと思う。出来れば自分だって行きたくないが、それは全員が同じだろう。ここは腹を括るしかない。
「いいですか。怪しい奴がいたら大声を出してください。深追いはしないこと。田辺さんは警察に連絡を」
 てきぱきと指示を出したのは忠文だ。さすがは弁護士。常日頃法廷で自制心を働かせているためか、異常な状態でも冷静さを失わない。
「わ、解りました」
 田辺は大急ぎで渡り廊下を戻って行く。それを見届けてから、シェフの石田を含む四人で中へと入って行く。
 中は当然のようにしんと静まり返っていた。電気も総て消えている。朝だというのに、中は薄暗かった。
「電気は?」
「点きませんね」
 スイッチを見つけた千春が押してみるも、反応はなかった。ブレーカーが落ちているらしい。
「ブレーカーはあっちです」
 石田がそう言って行こうとしたが、友也がそれを止めた。下手に明かりを点けて、まだいるかもしれない犯人を刺激しては拙いという判断だ。それに、どうしてブレーカーが落ちているのか解らないから触らない方がいいという。漏電の可能性を考えてのことだ。
「ともかく、二人の安全の確認です」
「そ、そうですね」
 まだ姿を見ていない安西と美紅がどうなったのか。その確認が優先だ。薄暗い廊下を、昨夜のほろ酔い状態の記憶を頼りに進んで行く。建物の中には廊下が多くて、慣れていないと意外と戸惑ってしまうのだ。
「普段、安西先生はどちらに」
「左手側、そちらの奥です。手前の部屋は岡林と遠藤先生の部屋になります」
 石田の案内で、まずは廊下を進んですぐの左側の部屋へと進んだ。
「こっちの右側は」
「そちらは書庫です。先生は色々なジャンルの本をお読みになるので」
「なるほど」
 ちらっと右側の書庫へと目を向けた千春だが、そちらは光すら入って来ないようで、真っ暗だった。書庫ということは、窓も小さく作られているのだろう。しかも方向的には北側。暗くて当然だった。
「こっちから入りますよ」
「ええ」
 ぼんやりとしている場合ではないと、友也が手招きした。たしかに今、とんでもない異常事態だ。千春は慌てて三人の下に駆け寄った。最初は女性二人の部屋だ。中は思いのほか質素で、これだったら自分の部屋と大差ないなというのが千春の感想だった。
 ベッドが二つに衣装ダンスが二つと、それに小さな本棚が二つ。どことなく合宿所のような感じになっている。そこにそれぞれのものがあり、医学書が多数収められた本棚のある側が、美紅が日頃使っているところだろうと推察できた。
「どちらとも、異常はなさそうですね」
「ええ」
 さすがに男ばかりでこの部屋を捜索するわけにはいかず、そそくさと次の部屋へと入った。そこがいわば主寝室だ。中を開けると、こちらも見たところ異常はなかった。
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