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第12話 悩む人々
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「だから、ここにいる間はゆっくりして頂戴ね。それと、個人的にも先生の人工知能には興味があるわ。心って、本当に不可思議なものだもの。どうしてこんな感情が湧き上がるんだろうって、自分自身にも解らないことってあるでしょ。絵を描くという行動も、どんな感情から生まれるのかなって思うわ」
「ええ、そうですね。結局は総合的な脳の判断なんでしょうけど、時に考えられないような答えが導かれることがあります。絵というのも人間に特徴的な行動で、その人の中にしかないものが表れますからね。特に安西先生の絵を見ていると、そうだなって感じます。他にも人工知能に理解できないだろうということに、自己犠牲があります」
「自己犠牲。そうね。他者のために自分を犠牲にする。機械にはない情動でしょうね。犠牲にする理由が明確ではないもの」
「そうです。しかも自己を損なう行為ですからね。機械が、ロボットが自分の電源を落とすことが出来るのか。状況に合わせたエラーコードを選択できるのか。そういう話となりますから」
「そうか。ロボットに置き換えると、機能の停止になるわけね。つまり、自己犠牲は常に究極の形となってしまう。死に直結する問題になってしまうのね」
「ええ。仮に機能を停止するまでに至らなくても、そのコンピュータが使い物にならなくなる。そういうものです。だからこそ、人間にある恋愛での自己犠牲や親子愛にある自己犠牲とは違うニュアンスを帯びてしまう。これを理解させるのは難題ですよ」
千春はそこまですらすらと語ってから、自分は何の話をしているのだろうと、ふと我に返った。普段、こんな話はしないはずだ。人工知能に感情を理解させるというテーマで話していても、基本的に喜怒哀楽や快楽と不快の差についてだというのに。きっと、美紅の話のせいだろう。これもまた、心の不可解な一面だ。
「美紅さん。先生がお呼びです」
そこに、弟子の桃花が美紅を呼びに来た。見ると、友也と安西が手招きしていた。何か面白い話があるのだろう。
「貴重な話ですわ。また後で、お聞かせくださいね」
美紅は妖艶な笑みを残して去って行った。代わりに桃花がその場に残る。こう次々と人と話すのは、普段の千春ならば苦手とするところだが、今日は酔っているのか苦ではない。
「君はどういう絵を描くんだい。こういう、抽象画なのかな」
「ええ。でも、私は自然をテーマにしています。先生のような、まさに異次元の絵を描くことは、まだまだ無理です」
「異次元。たしかにね」
千春は改めて安西の絵を見る。何を描いているのか掴めない。だが、目を離せない。不思議な絵だった。
「そう。そうやって惹き込む力が、私にはまだまだ足りないんです」
「惹き込む、か。たしかに目が離せなくなる」
「はい。だから私、先生に無理を言って弟子にしてもらいました。ここに住むって条件にはびっくりしましたけど、間近に触れられる、いい機会だと思いました」
桃花も絵に目を向け、決意に満ちたように言う。しかし、すぐにふさぎ込んだ顔になってしまった。
「でも、行き詰っちゃいました」
「そうなのか」
「はい」
俯く桃花を見ていると、なぜか翔馬を思い出してしまった。自分の研究にひたむきな姿が、そしてまだ誰かの下で研鑽を積む時期だということが、二人をだぶらせたのだろう。
「君の絵、見せてもらえないかな」
「い、いいんですか」
「尤も、絵の良し悪しが解るほど詳しくない。素人の感想で良ければだけど」
普段ならば絶対にそんなことを言わない千春だが、この奇妙な場が大胆にさせていた。そんな、下手すれば口説き文句に取られないことを言ってしまう。もちろん、言ってから恥ずかしくなっていた。
「お願いします。その、先生が凄すぎて、ちょっと自信が無くなっていたんです」
「相手はすでに六十年の研鑽を積んでいるんだ。凄くて当然だろう」
「そう、なんですけど。でも、年数だけでは駄目です。何かぱっと閃いて輝くものがないと。素人のままでは終わりたくない。でも、私。駄目なんです」
「そうだな。研究者としてやっていくのも、そういう葛藤がある。誰かを超えなければならない。そういう瞬間が。自分は駄目だって、誰かがすでにやっているって、常に壁にぶち当たるよ。その気持ちはよく解る。だから、応援するよ」
「あ、ありがとうございます。絵は、明日にでも」
「ああ」
真っ直ぐな桃花の熱意に、千春は笑顔になっていた。これも酔いがなせる業だろうか。普段ならば異性に笑顔で対応するなんて不可能だ。しかし、素人のままでは終わりたくないという気持ちは、素直に応援したくなった。
「先生は、ああいう女性が好みなんですね」
「うわっ」
笑顔で桃花を見送った後、話し掛けてきたのは忠文だった。すでに強かに酔っているのか、目が据わっている。
「可愛いですからね、彼女。どうして安西の弟子なんかになったのか。ちょっと不思議に思うところですよ」
「そうなんですか。巨匠から絵を学びたい。そういうことでは」
「ははっ。それならもっと適任がいるでしょうよ。安西はあれで、人を育てるには向かないタイプです。何でも自己流でやって来た人ですしね。盗み取るべきものもないでしょう。むしろ彼女を傍に置いたのは、下世話な理由だと思いますね」
「ほう」
いきなり辛辣な意見だなと、千春は苦笑いしてしまう。しかし忠文は、見た目に騙されては駄目だと手を大きく振った。そして、急にずいっと顔を寄せてきた。酒臭い息が顔に掛かる。千春は思わず身を逸らそうとしたが
「俺は今回のパーティー、何かがあると思っている」
「えっ」
その前に聞こえた言葉に固まった。先ほどの酔っ払った雰囲気とは違い、忠文の目は真剣だ。
「ええ、そうですね。結局は総合的な脳の判断なんでしょうけど、時に考えられないような答えが導かれることがあります。絵というのも人間に特徴的な行動で、その人の中にしかないものが表れますからね。特に安西先生の絵を見ていると、そうだなって感じます。他にも人工知能に理解できないだろうということに、自己犠牲があります」
「自己犠牲。そうね。他者のために自分を犠牲にする。機械にはない情動でしょうね。犠牲にする理由が明確ではないもの」
「そうです。しかも自己を損なう行為ですからね。機械が、ロボットが自分の電源を落とすことが出来るのか。状況に合わせたエラーコードを選択できるのか。そういう話となりますから」
「そうか。ロボットに置き換えると、機能の停止になるわけね。つまり、自己犠牲は常に究極の形となってしまう。死に直結する問題になってしまうのね」
「ええ。仮に機能を停止するまでに至らなくても、そのコンピュータが使い物にならなくなる。そういうものです。だからこそ、人間にある恋愛での自己犠牲や親子愛にある自己犠牲とは違うニュアンスを帯びてしまう。これを理解させるのは難題ですよ」
千春はそこまですらすらと語ってから、自分は何の話をしているのだろうと、ふと我に返った。普段、こんな話はしないはずだ。人工知能に感情を理解させるというテーマで話していても、基本的に喜怒哀楽や快楽と不快の差についてだというのに。きっと、美紅の話のせいだろう。これもまた、心の不可解な一面だ。
「美紅さん。先生がお呼びです」
そこに、弟子の桃花が美紅を呼びに来た。見ると、友也と安西が手招きしていた。何か面白い話があるのだろう。
「貴重な話ですわ。また後で、お聞かせくださいね」
美紅は妖艶な笑みを残して去って行った。代わりに桃花がその場に残る。こう次々と人と話すのは、普段の千春ならば苦手とするところだが、今日は酔っているのか苦ではない。
「君はどういう絵を描くんだい。こういう、抽象画なのかな」
「ええ。でも、私は自然をテーマにしています。先生のような、まさに異次元の絵を描くことは、まだまだ無理です」
「異次元。たしかにね」
千春は改めて安西の絵を見る。何を描いているのか掴めない。だが、目を離せない。不思議な絵だった。
「そう。そうやって惹き込む力が、私にはまだまだ足りないんです」
「惹き込む、か。たしかに目が離せなくなる」
「はい。だから私、先生に無理を言って弟子にしてもらいました。ここに住むって条件にはびっくりしましたけど、間近に触れられる、いい機会だと思いました」
桃花も絵に目を向け、決意に満ちたように言う。しかし、すぐにふさぎ込んだ顔になってしまった。
「でも、行き詰っちゃいました」
「そうなのか」
「はい」
俯く桃花を見ていると、なぜか翔馬を思い出してしまった。自分の研究にひたむきな姿が、そしてまだ誰かの下で研鑽を積む時期だということが、二人をだぶらせたのだろう。
「君の絵、見せてもらえないかな」
「い、いいんですか」
「尤も、絵の良し悪しが解るほど詳しくない。素人の感想で良ければだけど」
普段ならば絶対にそんなことを言わない千春だが、この奇妙な場が大胆にさせていた。そんな、下手すれば口説き文句に取られないことを言ってしまう。もちろん、言ってから恥ずかしくなっていた。
「お願いします。その、先生が凄すぎて、ちょっと自信が無くなっていたんです」
「相手はすでに六十年の研鑽を積んでいるんだ。凄くて当然だろう」
「そう、なんですけど。でも、年数だけでは駄目です。何かぱっと閃いて輝くものがないと。素人のままでは終わりたくない。でも、私。駄目なんです」
「そうだな。研究者としてやっていくのも、そういう葛藤がある。誰かを超えなければならない。そういう瞬間が。自分は駄目だって、誰かがすでにやっているって、常に壁にぶち当たるよ。その気持ちはよく解る。だから、応援するよ」
「あ、ありがとうございます。絵は、明日にでも」
「ああ」
真っ直ぐな桃花の熱意に、千春は笑顔になっていた。これも酔いがなせる業だろうか。普段ならば異性に笑顔で対応するなんて不可能だ。しかし、素人のままでは終わりたくないという気持ちは、素直に応援したくなった。
「先生は、ああいう女性が好みなんですね」
「うわっ」
笑顔で桃花を見送った後、話し掛けてきたのは忠文だった。すでに強かに酔っているのか、目が据わっている。
「可愛いですからね、彼女。どうして安西の弟子なんかになったのか。ちょっと不思議に思うところですよ」
「そうなんですか。巨匠から絵を学びたい。そういうことでは」
「ははっ。それならもっと適任がいるでしょうよ。安西はあれで、人を育てるには向かないタイプです。何でも自己流でやって来た人ですしね。盗み取るべきものもないでしょう。むしろ彼女を傍に置いたのは、下世話な理由だと思いますね」
「ほう」
いきなり辛辣な意見だなと、千春は苦笑いしてしまう。しかし忠文は、見た目に騙されては駄目だと手を大きく振った。そして、急にずいっと顔を寄せてきた。酒臭い息が顔に掛かる。千春は思わず身を逸らそうとしたが
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その前に聞こえた言葉に固まった。先ほどの酔っ払った雰囲気とは違い、忠文の目は真剣だ。
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