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第10話 食事は穏やかに
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「突然のお招きにもこうして全員が参加して頂けたこと、誠に感謝いたします」
そう言って安西は僅かに頭を下げた。それに全員が呼応するように頷く。
「さて、堅苦しい挨拶はこのくらいにして、まずは食事としましょう。互いにまだ緊張したままでしょうからな」
そこで安西は快活に笑い、場の緊張も緩んだ。そこに田辺を先頭に給仕の女性たちが入って来て、それぞれに前菜を配る。女性たちは古風なメイド服を纏っていた。田辺はそれぞれのグラスにワインを注いでいた。
「うちに勤めてくれている、シェフの石田が作った料理です。お口に合うといいのですが」
安西はそう言いながらグラスを手に取る。これから乾杯なのだと、千春は緊張だ。恐る恐ると、横にいる友也の動きを参考にしながらグラスを掴んだ。
実は食事が汚いと、翔馬から注意を受けることがある。それだけに、見知らぬ人がいる場で、さらにテーブルマナーを要求されるとなると緊張が先立つ。ただし、横にいる友也をカンニングすればいいというのは、ちょっと安心できる要素だった。
「では皆さま、六十周年の祝いと、新たな出会いに」
「乾杯」
全員がグラスを掲げ、こうして食事が始まった。最初こそ言葉少なだったが、酒も入って徐々にあれこれと話し出す。隣にいた友也は大地に向けて質問していた。
「ミステリーを書かれるそうですね。あれってよく手の込んだ建物が登場するから、ついついチェックしちゃうんですよ。意外と建築学科卒の小説家もいますから」
「ああ。いますね。あの人たちに掛かると、家なんてぐにゃぐにゃ、色んな形になりますよねえ。あり得ない方向に回転したり、捻じ曲がったり。俺はまあそっち方面は素人で、いつも必死ですよ。ちゃんと調べて書いても、これじゃあ牽強付会だとか言われることもありますからね。まあ、調べ方が甘かったというのはあるでしょうけど、悔しいですからね」
「ははっ。作家ってのは、色々な知識を求められるだろうねえ」
「ええ。トリックを考える度に勉強の連続です。その点、建築家とか椎名先生みたいな学者は一つの知識を極めているわけですよね」
「まあね。そう言えば椎名先生の人工知能、色々と話題になっていますよね」
「ぐっ、ええ」
急に話がこちらに向いて、千春は食べていたステーキを喉に詰めそうになった。香草のたっぷり掛かったソースもまた、喉を刺激してくれる。
「そうそう。それに関して、すごく興味がありますよ。心を持つって、どういうことだろうって思いますよね。もちろん、小説や漫画ではそういった内容が出てきますよ。でも、実際は無理なんだろうなって思っちゃいます」
大地が、先ほどとは違って鋭い質問をしてくる。意外としっかり内容を把握しているらしい。
「だから、感情を数値化できないか。そこから心を考えられないかというのが、僕の研究テーマですよ。どういうことに人間は快と感じ、もしくは不快と感じるかということですね。心を持つってのが先走って、お前はこの気持ちをどう処理するんだみたいな嫌がらせを受けていて、ちょっと大変ですけど」
「へえ、嫌がらせ」
それに大地がにやりと笑うので、千春はしまったと思った。ついつい口が軽くなってしまった。将平に言い触らすなと注意されていたというのに。
「ま、まあ、大したものじゃないんですけどね。そういう勘違いをされるんだなって、こっちは驚いているところです。そんな変な研究じゃなくて、ロボット工学からも、心とはどういうものか、そういうアプローチしている人がいるくらいですから、珍しいテーマではないんですけどね。弱いロボットといって、自分ではゴミを拾えないお掃除ロボを開発し、人間とロボットの心の関係を探っている人がいるんですよ。まあ、そんなロボットと違って、人工知能のイメージが悪いのかもしれないですけど」
「イメージが悪い、か。たしかにそれはあると思いますね。一時期、シンギュラリティがどうこうって本、山のように出てましたもんね」
「そうそう。現実問題としてシンギュラリティ、つまり技術的特異点をどう規定するのか。それすら研究者たちは悩んでいるところなんですよ。人間に勝るというだけで言えば、囲碁や将棋は人工知能が人間に勝てるわけです。でも、あれを誰も脅威だとは思わない。それに、あの人工知能たちがシンギュラリティを起こしたとは思わない。では、どの段階をシンギュラリティと呼ぶべきなのか」
「ええ」
「人工知能といっても千差万別なんです。だから、僕の研究しているものも、人間の情動の数値化がメインってところになるんですよ。そこから、人に近い感情を人工知能は選び取ることが出来るのかっていう方向に持って行きたいんです。いずれ人工知能が社会に普及するにあたって、人間がどう動きたいのかを学習できないのは非常に困りますからね。その部分を僕の研究が担っていると思っています」
いつの間にか、全員の視線が集まっているのに気づき、千春はそこで止めて苦笑した。ひょっとして自分の研究を弁解していると取られたのだろうか。だとすると、印象が悪くなったのでは、そんな心配が過る。
「素晴らしい。さすがは椎名先生。他の研究者にはないものをお持ちだ」
が、安西がそう言い、美紅も笑顔で拍手を送った。それに倣うように、他からも拍手が起こり、千春は恥ずかしくなる。
「い、いえいえ」
「こうして素晴らしい先生方と知己になれ、非常に嬉しいですよ。さて、そろそろデザートですね。その後は私のアトリエをご案内します。そこで、絵を見ながら気楽に一杯と行きましょう」
安西はそう言い、楽しそうに笑う。なるほど、ここからがメインなんだなと千春は気づいた。が、思ったより重苦しい会ではなくて良かったと、心底ほっとしていた。
そう言って安西は僅かに頭を下げた。それに全員が呼応するように頷く。
「さて、堅苦しい挨拶はこのくらいにして、まずは食事としましょう。互いにまだ緊張したままでしょうからな」
そこで安西は快活に笑い、場の緊張も緩んだ。そこに田辺を先頭に給仕の女性たちが入って来て、それぞれに前菜を配る。女性たちは古風なメイド服を纏っていた。田辺はそれぞれのグラスにワインを注いでいた。
「うちに勤めてくれている、シェフの石田が作った料理です。お口に合うといいのですが」
安西はそう言いながらグラスを手に取る。これから乾杯なのだと、千春は緊張だ。恐る恐ると、横にいる友也の動きを参考にしながらグラスを掴んだ。
実は食事が汚いと、翔馬から注意を受けることがある。それだけに、見知らぬ人がいる場で、さらにテーブルマナーを要求されるとなると緊張が先立つ。ただし、横にいる友也をカンニングすればいいというのは、ちょっと安心できる要素だった。
「では皆さま、六十周年の祝いと、新たな出会いに」
「乾杯」
全員がグラスを掲げ、こうして食事が始まった。最初こそ言葉少なだったが、酒も入って徐々にあれこれと話し出す。隣にいた友也は大地に向けて質問していた。
「ミステリーを書かれるそうですね。あれってよく手の込んだ建物が登場するから、ついついチェックしちゃうんですよ。意外と建築学科卒の小説家もいますから」
「ああ。いますね。あの人たちに掛かると、家なんてぐにゃぐにゃ、色んな形になりますよねえ。あり得ない方向に回転したり、捻じ曲がったり。俺はまあそっち方面は素人で、いつも必死ですよ。ちゃんと調べて書いても、これじゃあ牽強付会だとか言われることもありますからね。まあ、調べ方が甘かったというのはあるでしょうけど、悔しいですからね」
「ははっ。作家ってのは、色々な知識を求められるだろうねえ」
「ええ。トリックを考える度に勉強の連続です。その点、建築家とか椎名先生みたいな学者は一つの知識を極めているわけですよね」
「まあね。そう言えば椎名先生の人工知能、色々と話題になっていますよね」
「ぐっ、ええ」
急に話がこちらに向いて、千春は食べていたステーキを喉に詰めそうになった。香草のたっぷり掛かったソースもまた、喉を刺激してくれる。
「そうそう。それに関して、すごく興味がありますよ。心を持つって、どういうことだろうって思いますよね。もちろん、小説や漫画ではそういった内容が出てきますよ。でも、実際は無理なんだろうなって思っちゃいます」
大地が、先ほどとは違って鋭い質問をしてくる。意外としっかり内容を把握しているらしい。
「だから、感情を数値化できないか。そこから心を考えられないかというのが、僕の研究テーマですよ。どういうことに人間は快と感じ、もしくは不快と感じるかということですね。心を持つってのが先走って、お前はこの気持ちをどう処理するんだみたいな嫌がらせを受けていて、ちょっと大変ですけど」
「へえ、嫌がらせ」
それに大地がにやりと笑うので、千春はしまったと思った。ついつい口が軽くなってしまった。将平に言い触らすなと注意されていたというのに。
「ま、まあ、大したものじゃないんですけどね。そういう勘違いをされるんだなって、こっちは驚いているところです。そんな変な研究じゃなくて、ロボット工学からも、心とはどういうものか、そういうアプローチしている人がいるくらいですから、珍しいテーマではないんですけどね。弱いロボットといって、自分ではゴミを拾えないお掃除ロボを開発し、人間とロボットの心の関係を探っている人がいるんですよ。まあ、そんなロボットと違って、人工知能のイメージが悪いのかもしれないですけど」
「イメージが悪い、か。たしかにそれはあると思いますね。一時期、シンギュラリティがどうこうって本、山のように出てましたもんね」
「そうそう。現実問題としてシンギュラリティ、つまり技術的特異点をどう規定するのか。それすら研究者たちは悩んでいるところなんですよ。人間に勝るというだけで言えば、囲碁や将棋は人工知能が人間に勝てるわけです。でも、あれを誰も脅威だとは思わない。それに、あの人工知能たちがシンギュラリティを起こしたとは思わない。では、どの段階をシンギュラリティと呼ぶべきなのか」
「ええ」
「人工知能といっても千差万別なんです。だから、僕の研究しているものも、人間の情動の数値化がメインってところになるんですよ。そこから、人に近い感情を人工知能は選び取ることが出来るのかっていう方向に持って行きたいんです。いずれ人工知能が社会に普及するにあたって、人間がどう動きたいのかを学習できないのは非常に困りますからね。その部分を僕の研究が担っていると思っています」
いつの間にか、全員の視線が集まっているのに気づき、千春はそこで止めて苦笑した。ひょっとして自分の研究を弁解していると取られたのだろうか。だとすると、印象が悪くなったのでは、そんな心配が過る。
「素晴らしい。さすがは椎名先生。他の研究者にはないものをお持ちだ」
が、安西がそう言い、美紅も笑顔で拍手を送った。それに倣うように、他からも拍手が起こり、千春は恥ずかしくなる。
「い、いえいえ」
「こうして素晴らしい先生方と知己になれ、非常に嬉しいですよ。さて、そろそろデザートですね。その後は私のアトリエをご案内します。そこで、絵を見ながら気楽に一杯と行きましょう」
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