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第41話 美希との馴れ初め
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「師匠の指摘は事実でした。俺は、頭で理解していても感情ではまったく理解していなかった」
「亮翔」
「受け入れなきゃ、駄目なのに。俺、何をしていたんでしょう」
情けない顔をする亮翔に、恭敬はふっと優しく微笑んだ。ようやく弱音を吐き出してくれたなと、そう嬉しくなる。
しかし、その反応は亮翔にとって不満だったらしい。ますますむくれた顔をしている。
「焦る必要はないさ。まあ、今日はゆっくりしなさい。私がお茶室でもてなしてあげよう」
「――そうですね」
嫌だとも言えず、亮翔は歩き出した恭敬の後ろをついて行き、いつもは自分が相談に乗っている茶室へと入る。
「丁度よく頂き物のパン豆があるんだ。お茶請けはこれでいいかな」
「そうですね。さすがにそれは、お客さんに出しにくいですし」
手にパン豆の袋を持つ恭敬に、別にお茶菓子は要らないんだけれどもと思いつつも頷いた。パン豆はいわゆるポン菓子で、みかんピールで味付けされているものだ。酸味が程よく地元でも人気のあるお菓子だ。
「いつかこうやって美希について二人で話さないと、と思っていたんだよ」
お茶を淹れ終えた恭敬は、所在なさげに座る亮翔に向けて微笑む。
「そうですか」
一方、目の前にお茶と茶菓子が置かれるのを亮翔は不思議な気分で見つめていたが、こうなったら腹を括るしかないとパン豆に手を伸ばす。甘みと酸味が口に広がり、亮翔は少しだけほっとした。
茶菓子とお茶は緊張を和らげるためにある。亮翔はゆっくりとそれを噛みしめながら咀嚼した。そして気分が落ち着いたところで口を開く。
「俺、美希と話した瞬間、この人と結婚するんだって思ったんです。それは美希も同じだったようで、大学の後半二年間は本当に楽しかった」
「うん」
「冗談で美希がうちはお寺だから、結婚するならお坊さんにならなきゃねって言ったのも、素直に受け入れたほどです」
「うん」
「それなのに、運命だと思った縁はあっさり切れてしまった。俺は、それが信じられず、受け入れられないままなんです」
亮翔はそう言ってお茶を啜る。いつも自分で淹れているより甘く感じた。年の功だろうか。こういうお茶を淹れられるようになればなあと、頭の片隅で考えた。
そんな亮翔を優しく見守っていた恭敬だが、しっかりとあれこれ聞いてあげるべきだろうと口を開く。
「そう言えば、美希と大学で知り合ったというが、学部が違っただろう。どうやって出会ったんだい?亮翔は工学部だが、あの子は文学部だろ」
まず質問したのは出会いから。掘り下げて聞くためにも、物事の始まりから話を進めていくべきだ。
「ああ。うちの学部と文学部が共同で人工知能のプログラミングに関して考える機会がありまして、その時です」
「へ、へえ」
しかし、いきなり次元の違う話だなあと恭敬は返事に困った。そうか、亮翔は人工知能を研究していたのか。それも知らなった。てっきり工学部だから電気関係かと思っていたのだが、ジェネレーションギャップだったらしい。
「日本語を効率よく人工知能に学習させるためにどんなプログラミングがいいか、それを考えていたんですが、美希は真剣に取り組んでいましたよ」
「へえ」
詳しく言い直されても解らないなあと恭敬は苦笑してしまう。が、二人はそんな難しいことを考える途中で、運命の人だと気づく瞬間があったというわけか。それはそれで素敵な青春の一場面だろう。
「美希といる時間は、とても幸せでした。それがずっと続くのだと信じて疑わなかった。だから、俺は大学を卒業すると同時に、僧侶になるための修行をすると告げたんです」
それに対し、美希はびっくりしていた。
「いいの? 人工知能の研究を続けたいんじゃないの?」
そう訊ねてきた美希に、亮翔の答えは一つだった。
「やりたいことは、君と一緒に出来ることだ。それに、人工知能の問題も哲学的なレベルになっていてさ。正直、このまま突き詰めて研究したいかと言われると迷ってしまうんだよ」
「そう」
亮翔の答えに、美希は少し戸惑っているようだったと今ならば思う。ひょっとして逃げを打っていると思われたのだろうか。だとすれば、今の結果はまさに逃げた末ではないか。
「俺は何一つ真面目に考えていなかったんですね」
「そんなことはないさ」
「でも」
「もし逃げているのだと思ってここまで来たのならば、君はこの茶話室を作ろうなんて思わなかったはずだ。多くの人の悩みに耳を傾けようとは思わなかっただろうね。君の中で僧侶として生きるというのは、美希のことを除いても大きな決断だったはずで、だからこそ、ここまで来れたんだと私は思うよ」
「――」
そうだろうか。亮翔は首を傾げる。どう考えても逃げてきた人生だ。しかし、研究を続けてみようと踏ん張った時、そこに何の情熱も残っていなかったのも確かだった。
「美希のことは一つのきっかけなんだよ。君は今、人工知能は哲学的な問題になったと言っていた。それだけ、何か悩んでいたのではないのかな。そして、考えた結果が人生そのものを見つめる仏教だった。仏教もまた一つの哲学だからね。生きるための知恵だ。君は、その本質をよく理解しているんじゃないのかな」
「――」
恭敬の言葉に、亮翔は目を大きく見開いた。そう考えたことは不思議となかったものだから、まさに目から鱗が落ちる気分だった。
「もし君に間違いがあるのだとすれば、選んだ道と美希のことを一緒に考えていることじゃないかな。割り切れないのも、それが原因の一つじゃないのかな。まあ、美希が忘れられないのは、感情の問題だけれども」
「ええ」
「だが、君が今、選んだ道そのものを否定するのは間違っているんだよ。そこに美希の存在を絡めてしまっては、君はずるずると間違った道を進み、やがて動けなくなってしまう」
「動けなく」
「ああ。無明長夜に囚われることだろう。無明は教えるまでもなく、悟りを開くことが出来ずに惑うことだ。今の君にとって、美希は惑わす夜叉のような存在になりつつある。ただ、その夜叉を仏法の守護とする存在に出来るかどうか、だね」
「――」
そう言われても困ると、亮翔は静かに溜め息を吐く。僧侶になったのは何故か。まさか修行をして六年経って、そんな本質的な問題に戻るとは思ってもみなかった。美希のことがあるから僧侶になったのだと疑わなかった自分は、何だったのだろう。
「感情が受け入れられるか、か」
ただ、師の放った言葉の重みは、恭敬と話し合ったことで大きく変わっていた。
「亮翔」
「受け入れなきゃ、駄目なのに。俺、何をしていたんでしょう」
情けない顔をする亮翔に、恭敬はふっと優しく微笑んだ。ようやく弱音を吐き出してくれたなと、そう嬉しくなる。
しかし、その反応は亮翔にとって不満だったらしい。ますますむくれた顔をしている。
「焦る必要はないさ。まあ、今日はゆっくりしなさい。私がお茶室でもてなしてあげよう」
「――そうですね」
嫌だとも言えず、亮翔は歩き出した恭敬の後ろをついて行き、いつもは自分が相談に乗っている茶室へと入る。
「丁度よく頂き物のパン豆があるんだ。お茶請けはこれでいいかな」
「そうですね。さすがにそれは、お客さんに出しにくいですし」
手にパン豆の袋を持つ恭敬に、別にお茶菓子は要らないんだけれどもと思いつつも頷いた。パン豆はいわゆるポン菓子で、みかんピールで味付けされているものだ。酸味が程よく地元でも人気のあるお菓子だ。
「いつかこうやって美希について二人で話さないと、と思っていたんだよ」
お茶を淹れ終えた恭敬は、所在なさげに座る亮翔に向けて微笑む。
「そうですか」
一方、目の前にお茶と茶菓子が置かれるのを亮翔は不思議な気分で見つめていたが、こうなったら腹を括るしかないとパン豆に手を伸ばす。甘みと酸味が口に広がり、亮翔は少しだけほっとした。
茶菓子とお茶は緊張を和らげるためにある。亮翔はゆっくりとそれを噛みしめながら咀嚼した。そして気分が落ち着いたところで口を開く。
「俺、美希と話した瞬間、この人と結婚するんだって思ったんです。それは美希も同じだったようで、大学の後半二年間は本当に楽しかった」
「うん」
「冗談で美希がうちはお寺だから、結婚するならお坊さんにならなきゃねって言ったのも、素直に受け入れたほどです」
「うん」
「それなのに、運命だと思った縁はあっさり切れてしまった。俺は、それが信じられず、受け入れられないままなんです」
亮翔はそう言ってお茶を啜る。いつも自分で淹れているより甘く感じた。年の功だろうか。こういうお茶を淹れられるようになればなあと、頭の片隅で考えた。
そんな亮翔を優しく見守っていた恭敬だが、しっかりとあれこれ聞いてあげるべきだろうと口を開く。
「そう言えば、美希と大学で知り合ったというが、学部が違っただろう。どうやって出会ったんだい?亮翔は工学部だが、あの子は文学部だろ」
まず質問したのは出会いから。掘り下げて聞くためにも、物事の始まりから話を進めていくべきだ。
「ああ。うちの学部と文学部が共同で人工知能のプログラミングに関して考える機会がありまして、その時です」
「へ、へえ」
しかし、いきなり次元の違う話だなあと恭敬は返事に困った。そうか、亮翔は人工知能を研究していたのか。それも知らなった。てっきり工学部だから電気関係かと思っていたのだが、ジェネレーションギャップだったらしい。
「日本語を効率よく人工知能に学習させるためにどんなプログラミングがいいか、それを考えていたんですが、美希は真剣に取り組んでいましたよ」
「へえ」
詳しく言い直されても解らないなあと恭敬は苦笑してしまう。が、二人はそんな難しいことを考える途中で、運命の人だと気づく瞬間があったというわけか。それはそれで素敵な青春の一場面だろう。
「美希といる時間は、とても幸せでした。それがずっと続くのだと信じて疑わなかった。だから、俺は大学を卒業すると同時に、僧侶になるための修行をすると告げたんです」
それに対し、美希はびっくりしていた。
「いいの? 人工知能の研究を続けたいんじゃないの?」
そう訊ねてきた美希に、亮翔の答えは一つだった。
「やりたいことは、君と一緒に出来ることだ。それに、人工知能の問題も哲学的なレベルになっていてさ。正直、このまま突き詰めて研究したいかと言われると迷ってしまうんだよ」
「そう」
亮翔の答えに、美希は少し戸惑っているようだったと今ならば思う。ひょっとして逃げを打っていると思われたのだろうか。だとすれば、今の結果はまさに逃げた末ではないか。
「俺は何一つ真面目に考えていなかったんですね」
「そんなことはないさ」
「でも」
「もし逃げているのだと思ってここまで来たのならば、君はこの茶話室を作ろうなんて思わなかったはずだ。多くの人の悩みに耳を傾けようとは思わなかっただろうね。君の中で僧侶として生きるというのは、美希のことを除いても大きな決断だったはずで、だからこそ、ここまで来れたんだと私は思うよ」
「――」
そうだろうか。亮翔は首を傾げる。どう考えても逃げてきた人生だ。しかし、研究を続けてみようと踏ん張った時、そこに何の情熱も残っていなかったのも確かだった。
「美希のことは一つのきっかけなんだよ。君は今、人工知能は哲学的な問題になったと言っていた。それだけ、何か悩んでいたのではないのかな。そして、考えた結果が人生そのものを見つめる仏教だった。仏教もまた一つの哲学だからね。生きるための知恵だ。君は、その本質をよく理解しているんじゃないのかな」
「――」
恭敬の言葉に、亮翔は目を大きく見開いた。そう考えたことは不思議となかったものだから、まさに目から鱗が落ちる気分だった。
「もし君に間違いがあるのだとすれば、選んだ道と美希のことを一緒に考えていることじゃないかな。割り切れないのも、それが原因の一つじゃないのかな。まあ、美希が忘れられないのは、感情の問題だけれども」
「ええ」
「だが、君が今、選んだ道そのものを否定するのは間違っているんだよ。そこに美希の存在を絡めてしまっては、君はずるずると間違った道を進み、やがて動けなくなってしまう」
「動けなく」
「ああ。無明長夜に囚われることだろう。無明は教えるまでもなく、悟りを開くことが出来ずに惑うことだ。今の君にとって、美希は惑わす夜叉のような存在になりつつある。ただ、その夜叉を仏法の守護とする存在に出来るかどうか、だね」
「――」
そう言われても困ると、亮翔は静かに溜め息を吐く。僧侶になったのは何故か。まさか修行をして六年経って、そんな本質的な問題に戻るとは思ってもみなかった。美希のことがあるから僧侶になったのだと疑わなかった自分は、何だったのだろう。
「感情が受け入れられるか、か」
ただ、師の放った言葉の重みは、恭敬と話し合ったことで大きく変わっていた。
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