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第14話 山名紀章
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月曜日。高校での話題はやはり路人についてだった。ただし、色々と知ってしまった部分はちゃんと伏せて話す。そうしないと、路人を裏切ることになってしまう。せっかく今、人生の休憩というものを過ごしている路人なのだ。まだ一緒にいたいし、そっとしておくのが一番である。
「へえ。あの変人、猫が苦手なんだ」
路人の話題が大好きとなっている哲彰は感心しきりだ。そりゃあまあ、猫から逃げるために棚の上に逃れたなんて話題、感心するしかないだろう。どっちが猫だよとなってくる。
「つうか、動物全般がダメみたいだな。クマのぬいぐるみが好きなくせに本物はダメとかどうよって思う」
暁良は路人の矛盾しまくる行動を笑いながら伝えた。とんでもない人物だと解ってきていても、今の路人は単なるのほほん科学者だ。こういうエピソードが相応しい。
「身体能力はどうなっているんだろうな。見た感じではそれほど体力があるように見えなかったのに」
そう言う優斗は、路人が得体のしれない奴だと知って以来、少し警戒している。それはそうだ。ウェブ上の情報をすべて消すことで逃げている奴なのである。何から逃げているのか。それを暁良は知らないが、ヤバそうな感じはしている。
「あれ」
路人が何者なのか。ふと考えてしまった暁良の目に、見知らぬ男子高校生の姿が映る。このクラスにあんな奴いたっけと首を捻った。
「ああ、あいつ?今日から転校してきたんだってさ。なんでも父親の急な転勤のせいらしいぜ。さっき職員室の前を通った時に聞いちゃった」
暁良の視線の先に気づいた哲彰が教えてくれる。職員室前で何をしていたのかは疑問だが、なるほど急に転校してきた奴かと見覚えがなくて合っていたとほっとする。
「それより暁良。バイトを続けるのか?あいつってヤバいんだろ?そもそも科学者狩りはどうするんだ?」
優斗はこの際だと訊いてきた。路人の話題を楽しめなくなり、しかも暁良が路人に関わりっきりなのが面白くないとその顔は言っている。頭のいい優斗のことだ。何かに気づいているのかもしれない。
「続けるよ。だってさ、これほど面白いことはないからな。それに科学者狩りだっていつまでも続けられないだろ?バイトしなければ警察に突き出されるところだったし」
そろそろ進路も考えないとなと、暁良はぼそりと呟いた。あの猫事件で、瑞穂は文系で苦労したという話をしていた。今まではどれだけ科学者や理系が有利と言われていてもなんとかなるとの思いがあった。それが覆された気分である。やはり世の中の流れは理系の頭脳労働者を求めている。その流れに、自分は乗り遅れたままでいいのだろうか。科学者狩りなんて無意味だと、初めから気づいていたが今は身に染みている。
「変わったな」
優斗は小さくそう言い、ぷいっと顔を背けてしまった。これに暁良はおやっとなる。ずっと科学者狩りでつるんでいたが、いつも一歩引いたような感じだった。それなのに、この反応はおかしい気がする。
「あいつはあいつで、今の世の中に不満なんだよ。あいつがしたいことって、今の世の中の流れのメインではないっていうかさ」
疑問に思っている暁良に、哲彰がこそっと教えてくれた。そう言えば優斗は理系科目が得意だが、やりたいことはロボットや人工知能ではないらしい。
「優斗がやりたいことって?」
「天文学。意外だろ?」
そこまで二人で話していて、優斗の顔が怖くなっているのに気づいた。それはそうか。本人を前に堂々と噂話をしていたことになる。
「うるさいな。進路を考えるっていうならば、何が大事か考えないとな。本当にやりたいことを取るのか、将来金に困らない進路に進むのか」
優斗の悩みは高校生らしいと同時に全員に当てはまる悩みだ。
「難しいな」
あの路人だって悩みながら生きている。暁良ははあっと溜め息を吐いていた。
その頃。この先について悩むのは高校生だけでなく路人の研究室のメンバーもだった。
「そろそろネットの情報を押さえるのも限界です。博士、今後のことを真剣に考えてください。もう、戻っても大丈夫なのではないですか?」
路人の様子が暁良のおかげで変わったのを機にと、瑛真はそう切り出してきた。これに翔摩は思わず緊張してしまう。しかし、口を挟む気はなかった。
「戻らない。何が大丈夫なんだよ?瑛真は、やっぱりあいつと通じているのか?依頼を受けるようにって提案したのも、結局はあいつらに俺の動きを知らせるためなんだろ?」
路人は意地になったように、普段は踏み込まないところまで言っていた。勝手気ままに振舞えているとは思っていなかったが、何だか腹が立った。
「――その通りです。だって、あなたを超える科学者はいない。それを確信しています。だから」
瑛真は説得しようとしたが、傷ついた顔をする路人に言葉が続かなかった。自分は何を言い出してしまったのだろうと後悔が過る。しかし、ずっと棚上げに出来る問題ではないのだ。
ここに研究室を開いて一年半。もう十分、路人は休めたはずだ。好きなように振舞い、好きなだけやりたいことをやったはずだ。子どもの頃にやりたかったことを埋めるには短すぎるかもしれないが、それでも休暇としては十分のはずである。
「逃げられないのは解っている。でも、もう少しだけ、暁良といたいんだ」
「――」
路人は自分の役割は忘れていないと、引き出しから分厚いファイルを取り出して言った。しかしそれより、瑛真の心には暁良といたいとの言葉が響いていた。
「すみませんでした。私の努力が足りないだけです」
瑛真は謝り、もう話題にしないとまたパソコンの画面に向かう。微妙な空気に、翔摩は堪らず立ち上がって研究室の外に出ていた。
「どこにいても、社会から逃げられないよな」
自分にも多くの役割が課されている。それに耐えられず壊れそうになったところを路人が助けてくれた。そしてちょっと逃げてみようと誘ってくれたのだ。ここにいたい路人の気持ちはよく理解できる。
それでも逃げられないんだよな」
ビルから抜け出して、もう一度呟いていた。ここにずっといられるわけではない。それだけ、自分も路人も色々なものを背負っている。
「よく理解しているじゃないか?お前にも期待しているというのに、ちょっとのプレッシャーに押しつぶされそうになって」
「――」
ビルを見上げていた翔摩の耳に飛び込んできた声に、息が苦しくなる。そして声が出なくなる。ダメだ。もう大丈夫だと思っていても、過去は容赦なく自分を押し潰そうとする。
「何だ?まだ緊張すると声が出ないのか?自分の研究成果を説明できなければ意味がない。だから路人と一緒にいることを許してやっているんだ。城田。お前はこれから若い研究者たちを率いていく立場なんだぞ」
翔摩の前に立つのはスーツ姿の男性だ。49歳のこの男性の威圧感は凄まじい。それはそうだ。科学者ならば路人よりも知られているのがこの人物なのである。名前は山名紀章。路人を大学で預かり育て上げた、路人以上の天才だ。
「――」
何か言わなければと思えば思うほど、翔摩の口から声が出なくなる。パクパクと口を開けるだけの翔摩に紀章は呆れたように見つめてくる。
「城田。お前に必要なのは休息ではなく治療のようだな。すぐに戻れ。一色もすぐに戻ることになる。もう周囲は一色が就くことで了承しているのだ。というより他にはいないからな。赤松もようやく頷いたよ」
紀章はそう言って笑った。それにも翔摩は緊張するだけだ。そして彼が納得しただとと驚いてしまう。赤松が、赤松礼詞が納得しないからこそ路人の逃亡は見逃されていたのだ。これではもう、戻る以外になくなる。
「さあ。帰るぞ。路人は赤松が迎えに行く」
茫然とし、さらに声も出ない翔摩を紀章は連れ戻そうと手を引っ張った。しかしその手はすぐに奪い返される。
「路人」
思わず紀章がそう呼び掛けたのは、必死な顔を見たからだろう。翔摩を庇う路人の顔は、必死に科学を習得していた頃と同じだった。
「無理やり連れ戻そうなんてしないでください。あなたのやっていることは逆効果だ」
路人は自分の立場が悪くなるなんて考えもしていないかのように怒った。そんなの、紀章を本気にさせるだけだと翔摩は止めたいのだが、まだ声が戻らない。
「ふん。そう思うならばお前がまず戻り、そいつのために環境を整えてやるんだな。上に立つというのはそういことだ。お飯事で通用する世界ではない。これが最後の通告だ。一色路人、二日以内に戻らなければ赤松を動かす。いいな」
紀章は猶予をくれてやると、それだけ言って踵を返した。一先ず路人が元気ならば問題ない。あとは頭のいい路人がちゃんと動くと信頼している。
「俺はすぐには帰りません。まだ、やることがあるんだ」
しかし紀章の背中に届いた声は予想外のものだった。しかし紀章は今説得するつもりはない。
「あの男がお前に協力すると決めたのだ。もう我儘は通用しないよ」
そろそろ高校では動きがあったかなと、紀章は口の端を吊り上げていた。
「へえ。あの変人、猫が苦手なんだ」
路人の話題が大好きとなっている哲彰は感心しきりだ。そりゃあまあ、猫から逃げるために棚の上に逃れたなんて話題、感心するしかないだろう。どっちが猫だよとなってくる。
「つうか、動物全般がダメみたいだな。クマのぬいぐるみが好きなくせに本物はダメとかどうよって思う」
暁良は路人の矛盾しまくる行動を笑いながら伝えた。とんでもない人物だと解ってきていても、今の路人は単なるのほほん科学者だ。こういうエピソードが相応しい。
「身体能力はどうなっているんだろうな。見た感じではそれほど体力があるように見えなかったのに」
そう言う優斗は、路人が得体のしれない奴だと知って以来、少し警戒している。それはそうだ。ウェブ上の情報をすべて消すことで逃げている奴なのである。何から逃げているのか。それを暁良は知らないが、ヤバそうな感じはしている。
「あれ」
路人が何者なのか。ふと考えてしまった暁良の目に、見知らぬ男子高校生の姿が映る。このクラスにあんな奴いたっけと首を捻った。
「ああ、あいつ?今日から転校してきたんだってさ。なんでも父親の急な転勤のせいらしいぜ。さっき職員室の前を通った時に聞いちゃった」
暁良の視線の先に気づいた哲彰が教えてくれる。職員室前で何をしていたのかは疑問だが、なるほど急に転校してきた奴かと見覚えがなくて合っていたとほっとする。
「それより暁良。バイトを続けるのか?あいつってヤバいんだろ?そもそも科学者狩りはどうするんだ?」
優斗はこの際だと訊いてきた。路人の話題を楽しめなくなり、しかも暁良が路人に関わりっきりなのが面白くないとその顔は言っている。頭のいい優斗のことだ。何かに気づいているのかもしれない。
「続けるよ。だってさ、これほど面白いことはないからな。それに科学者狩りだっていつまでも続けられないだろ?バイトしなければ警察に突き出されるところだったし」
そろそろ進路も考えないとなと、暁良はぼそりと呟いた。あの猫事件で、瑞穂は文系で苦労したという話をしていた。今まではどれだけ科学者や理系が有利と言われていてもなんとかなるとの思いがあった。それが覆された気分である。やはり世の中の流れは理系の頭脳労働者を求めている。その流れに、自分は乗り遅れたままでいいのだろうか。科学者狩りなんて無意味だと、初めから気づいていたが今は身に染みている。
「変わったな」
優斗は小さくそう言い、ぷいっと顔を背けてしまった。これに暁良はおやっとなる。ずっと科学者狩りでつるんでいたが、いつも一歩引いたような感じだった。それなのに、この反応はおかしい気がする。
「あいつはあいつで、今の世の中に不満なんだよ。あいつがしたいことって、今の世の中の流れのメインではないっていうかさ」
疑問に思っている暁良に、哲彰がこそっと教えてくれた。そう言えば優斗は理系科目が得意だが、やりたいことはロボットや人工知能ではないらしい。
「優斗がやりたいことって?」
「天文学。意外だろ?」
そこまで二人で話していて、優斗の顔が怖くなっているのに気づいた。それはそうか。本人を前に堂々と噂話をしていたことになる。
「うるさいな。進路を考えるっていうならば、何が大事か考えないとな。本当にやりたいことを取るのか、将来金に困らない進路に進むのか」
優斗の悩みは高校生らしいと同時に全員に当てはまる悩みだ。
「難しいな」
あの路人だって悩みながら生きている。暁良ははあっと溜め息を吐いていた。
その頃。この先について悩むのは高校生だけでなく路人の研究室のメンバーもだった。
「そろそろネットの情報を押さえるのも限界です。博士、今後のことを真剣に考えてください。もう、戻っても大丈夫なのではないですか?」
路人の様子が暁良のおかげで変わったのを機にと、瑛真はそう切り出してきた。これに翔摩は思わず緊張してしまう。しかし、口を挟む気はなかった。
「戻らない。何が大丈夫なんだよ?瑛真は、やっぱりあいつと通じているのか?依頼を受けるようにって提案したのも、結局はあいつらに俺の動きを知らせるためなんだろ?」
路人は意地になったように、普段は踏み込まないところまで言っていた。勝手気ままに振舞えているとは思っていなかったが、何だか腹が立った。
「――その通りです。だって、あなたを超える科学者はいない。それを確信しています。だから」
瑛真は説得しようとしたが、傷ついた顔をする路人に言葉が続かなかった。自分は何を言い出してしまったのだろうと後悔が過る。しかし、ずっと棚上げに出来る問題ではないのだ。
ここに研究室を開いて一年半。もう十分、路人は休めたはずだ。好きなように振舞い、好きなだけやりたいことをやったはずだ。子どもの頃にやりたかったことを埋めるには短すぎるかもしれないが、それでも休暇としては十分のはずである。
「逃げられないのは解っている。でも、もう少しだけ、暁良といたいんだ」
「――」
路人は自分の役割は忘れていないと、引き出しから分厚いファイルを取り出して言った。しかしそれより、瑛真の心には暁良といたいとの言葉が響いていた。
「すみませんでした。私の努力が足りないだけです」
瑛真は謝り、もう話題にしないとまたパソコンの画面に向かう。微妙な空気に、翔摩は堪らず立ち上がって研究室の外に出ていた。
「どこにいても、社会から逃げられないよな」
自分にも多くの役割が課されている。それに耐えられず壊れそうになったところを路人が助けてくれた。そしてちょっと逃げてみようと誘ってくれたのだ。ここにいたい路人の気持ちはよく理解できる。
それでも逃げられないんだよな」
ビルから抜け出して、もう一度呟いていた。ここにずっといられるわけではない。それだけ、自分も路人も色々なものを背負っている。
「よく理解しているじゃないか?お前にも期待しているというのに、ちょっとのプレッシャーに押しつぶされそうになって」
「――」
ビルを見上げていた翔摩の耳に飛び込んできた声に、息が苦しくなる。そして声が出なくなる。ダメだ。もう大丈夫だと思っていても、過去は容赦なく自分を押し潰そうとする。
「何だ?まだ緊張すると声が出ないのか?自分の研究成果を説明できなければ意味がない。だから路人と一緒にいることを許してやっているんだ。城田。お前はこれから若い研究者たちを率いていく立場なんだぞ」
翔摩の前に立つのはスーツ姿の男性だ。49歳のこの男性の威圧感は凄まじい。それはそうだ。科学者ならば路人よりも知られているのがこの人物なのである。名前は山名紀章。路人を大学で預かり育て上げた、路人以上の天才だ。
「――」
何か言わなければと思えば思うほど、翔摩の口から声が出なくなる。パクパクと口を開けるだけの翔摩に紀章は呆れたように見つめてくる。
「城田。お前に必要なのは休息ではなく治療のようだな。すぐに戻れ。一色もすぐに戻ることになる。もう周囲は一色が就くことで了承しているのだ。というより他にはいないからな。赤松もようやく頷いたよ」
紀章はそう言って笑った。それにも翔摩は緊張するだけだ。そして彼が納得しただとと驚いてしまう。赤松が、赤松礼詞が納得しないからこそ路人の逃亡は見逃されていたのだ。これではもう、戻る以外になくなる。
「さあ。帰るぞ。路人は赤松が迎えに行く」
茫然とし、さらに声も出ない翔摩を紀章は連れ戻そうと手を引っ張った。しかしその手はすぐに奪い返される。
「路人」
思わず紀章がそう呼び掛けたのは、必死な顔を見たからだろう。翔摩を庇う路人の顔は、必死に科学を習得していた頃と同じだった。
「無理やり連れ戻そうなんてしないでください。あなたのやっていることは逆効果だ」
路人は自分の立場が悪くなるなんて考えもしていないかのように怒った。そんなの、紀章を本気にさせるだけだと翔摩は止めたいのだが、まだ声が戻らない。
「ふん。そう思うならばお前がまず戻り、そいつのために環境を整えてやるんだな。上に立つというのはそういことだ。お飯事で通用する世界ではない。これが最後の通告だ。一色路人、二日以内に戻らなければ赤松を動かす。いいな」
紀章は猶予をくれてやると、それだけ言って踵を返した。一先ず路人が元気ならば問題ない。あとは頭のいい路人がちゃんと動くと信頼している。
「俺はすぐには帰りません。まだ、やることがあるんだ」
しかし紀章の背中に届いた声は予想外のものだった。しかし紀章は今説得するつもりはない。
「あの男がお前に協力すると決めたのだ。もう我儘は通用しないよ」
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