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少年王子と年上従者
しおりを挟む范玲瓏は戸惑った。
幼い王子の子守り兼教師である彼は、大抵の我が儘には慣れていたし、それを叶える事も、あしらう方法もよく心得ていた。
しかし今、小さくかわいい口から発せられた言葉は彼の想像の遥か上をいっている。
「乳を吸わせよ」
眩暈で倒れそうだ。
視界がぐらりと揺れたが、近くにあった長椅子の縁に手をかけなんとか持ち堪えた。
そのまま跪き、手を顔の前で合わせる。
「恐れ入ります殿下。この范玲瓏、誠に遺憾ではありますが殿下のお言葉を聞き逃してしまいました」
「なに?そなたらしくもない。疲れておるのではないか?」
「ええ、ええ、不肖な私めを哀れむ心がもしお有りなら、どうかもう一度尊いお言葉をお聞かせくださいますか」
「うむ。よいぞ。乳を吸わせよ」
「聞き間違いじゃない…」
玲瓏は肩を落とし、目の前の少年に呆れた視線を向けた。
二人はもう数年も師弟関係にある。今更砕けた態度で咎められる罪もない。
王子が幼いながらも聡明である事はよく知っていたので、玲瓏は脱力しながらもこのちょっと偉そうな少年に向き直った。
「一応理由を聞きましょうか」
「…笑わぬか?」
「どうでしょう」
「なら言わぬ」
「あ、冗談です。笑いませんよ」
「言わぬ!そなたはそうやっていつも私を嵌めるのだ!」
「心外な」
怒っているのか、はたまた今更恥ずかしくなったのか、王子は頬を膨らませてプイッと横を向いた。
こんな顔、他の臣下はおろか、両親にも見せることはない。玲瓏の前でだけ、王子はただの幼い子供になるのだ。
落ち込んだ時や、褒めて欲しかったり、嬉しい事があったりした時はいつも玲瓏の部屋にやって来ては年相応に甘える。師弟というよりは兄のように慕っているらしい。
きっと今度の言葉の意味も、兄に対して甘えているからなのだろう。絶対に変な意味じゃない。そうであってくれ。
「笑いません。わけをお話しください」
「……いやだ」
「話してごらん。 紹鶯」
「………」
優しい呼びかけにピクリと頬が動く。
話したい、でも笑われたくない、という葛藤が顔に書いてある。
胡乱げに横目で見ていたが、やがて観念したように話し始めた。
「……子華が………」
子華、とはもうすぐ二歳になる国王夫妻の娘。王子の妹君だ。
「…公主様が何か?」
「………吸うとる…乳を…」
「はい?」
「乳を吸うとる!母上の!」
玲瓏の訳がわからないような顔に、王子は小さく地団駄を踏んだ。
「私の時は乳母だった!なぜだ!」
ああ、とようやく納得した。王子は妬いているのだ。それを母に言うにも気が引けて、苛々を玲瓏にぶつけているのだと。
「吸わせよ!子華ばかりずるい!」
「お待ちなさい。覚えていないだけであなたも吸ったのですよ」
「私は一歳で終わったと聞いた!子華はもう二歳になるのにまだ吸うてる!しかも母上のを!独り占めして!私もあと一年は吸ってもいいはずだぞ!」
「えぇ…」
かわいらしい口でとんでもないことを言い放っている。玲瓏は呆れて言葉が出てこない。
幼い子供が母を求める気持ちは止められないが、如何せん方向が間違っている。これは教育係として責任を感じざるを得ない。
「甘えたい気持ちはわかりました。しかしせめて女性に…乳母に頼んでください」
「いやだ!そなたの乳が良い!」
「いや、私のを吸ったとて何の意味もないでしょう。物理的にも心情的にも。はしたないからおやめなさい」
「いやだいやだ!意味はある!」
「どんな意味が」
「だって」
「だって?」
「わ、私はそなたが大、す、好きなのだ!は、母上の次…くらいに」
へへ、と照れる王子。
玲瓏は心の中で悶絶した。胸が苦しくて痛い。抱きしめたくなるのを歯を噛み締めて耐える。
教育者としてここはグッと心を鬼にするべきところ。
「く……そこまで言うなら仕方ありませんね」
「まことか!」
「ええ、少しですよ」
ハッとした時にはもう口から言葉が溢れていた。
これはおかしい。断るつもりだったのに。
この王子、恐ろしい能力の持ち主だ。
「ふむ、ならば脱げ」
「………殿下、そのような頼み方は他の方にしてはいけませんよ。特に好きな子には」
「む?なぜ?」
「……いいえ。今はいいです。そのうち」
牀に腰掛け、玲瓏はそっと上着を脱ぐ。
春先の少し冷たい空気がすぐにまとわりつき、ぶるりと身を震わせた。
きっちりと着付けられた襟は、帯を緩めると少しはだけやすくなる。
そうして控えめに開いた先に見えるのは、白い肌と、小さな胸の突起。
「これが…そなたの乳」
「ああ…私はなんて罪深い事を」
「ん?なんだ?」
「いいえ。なんでも。どうです?お気持ちは変わりませんか?」
「変わらぬ」
「ああそうですか」
分かってはいたが、やはり吸う気満々だ。一度決めたらやり通す――それが彼の性格だ。実直で粘り強い王になるに違いない…。
王子は小さな指先で恐る恐る胸に触れる。
「乳母のより小さい…あと柔らかくない」
「あなたまだ乳母の乳を触っているのですか」
「うむ!時々な!」
「はあ」
玲瓏は呆れて笑うしかなかった。きっと乳母もこんな気の抜けた顔をしているのだろう。
空を見ていると、王子が玲瓏の目の前で両腕を広げた。
「んっ」
「なんです?」
「抱っこせよ。母上はいつもそうして乳をやってる」
「な……かっ」
かわいい――と言いかけてやめた。これ以上調子に乗らせてはいけない。というより、自分の歯止めが効かなくなりそうだ。
めちゃくちゃに撫で回したい気持ちを押し隠し、努めて涼しい顔をした。
「おほん。これきりですよ」
「んむ」
王子を持ち上げ膝に乗せる。子供らしい高めの体温が心地よい。
頭が胸よりもだいぶ高い位置にきてしまい、これでは上手く吸えないだろう。
不満そうに口を尖らせていた王子だが、何か良い事を思いついたようにハッとしてからニンマリ笑った。
「そなた、牀に横になれ。私が上に乗る」
「…殿下、そのような頼み方は…(略)」
仕方なく言われた通り横になると、何の遠慮もなく王子が乗り、胸元の布をがばっと開いた。
「…殿下には教えなければならない事がたくさんあるようですね」
「あとで聞く」
ちろ、と小さな舌先の感触がした。
初めての感覚に、ゾクゾクと背中が震えた。
うまく位置が定まらないようで、舌は突起の近くを探るようにぬるぬると這い回る。
やがて探し当て、口に含み、吸い上げた。
(――なんて、愛らしい)
ちゅ、ちゅ、と赤ん坊のように乳を吸う王子に、無いはずの母性が溢れる。
甘え、頼り切って身体を預ける姿に庇護欲をこれでもかと掻き立てられ、子を持つとはこんな感じなのかと、愛おしい気持ちに満たされた。
まあ実際、こんな姿を誰かに見られたら打首なので、庇護されたいのは玲瓏の方だ。
「んっ」
「…? どうしたのだ?」
夢見心地にとろんとした瞳を向けた王子に、何でもないと笑いかける。
ふやけた乳首に歯が擦れ、玲瓏は情けない声を出した。
「いたかったか?」
「いいえ、つ、続けて、ください」
何が「続けてください」だ、と後になれば思うのだが、その時は妙に気持ちがふわふわと浮き足立ち、正常な判断が出来なかった。
誤解してほしくないのは、范玲瓏は間違っても子供に興奮するような変態ではないという事だ。王子の事も、師として、恐れ多くも兄として父として、時には母の気持ちを持って接してきた。
しかし、与えられる刺激は相手が誰であろうと関係ない。
認めよう。乳首で感じると。
だが許して欲しい。自身の性癖のことなど今この瞬間まで知りもしなかったのだ。
「? どうした?」
「あの…そ…そろそろ、いいですか」
「いやだ。もっと吸う!」
「んっ」
齧り付くように乳首を口に含まれ思わず身体がのけぞった。
王子は余程やめたくないのか、意地になって先程よりもずっと強く激しく吸っている。
声が出そうになるのを玲瓏は唇を噛んで耐えるが、喉から漏れる呻きはどうしようもない。
上に乗っている王子の体温で着物の中はしっとりと汗が滲み、目には薄く涙を浮かべて刺激に耐える。
(ああ…ダメ…そんな…)
ぐ、と下半身に熱が集まるのを感じる。
大人として最低だと分かっている。いくら心の中で自身を罵倒しようと、一度大きくなり始めた昂りはそう簡単には治ってくれない。
「…?」
王子のちょうど股座部分に硬いものが当たるようで、居心地悪そうに体を動かす。幸いにも何が起きているのか分かっていないようで、さして気にもせず乳を吸い続けた。
しかし玲瓏の方は気が気でない。バレる事の恐怖はもちろんだが、残念なことに王子のもぞもぞとした動きが刺激になってしまっているのだ。
「で、殿下、もう…」
「ん~」
「これ以上は…私に毒です」
「ちゅ、ん、ろういうことら?」
「お口を…お口を止めてください。辛うございます」
「ふうん…?」
身体を離し、首を傾げて玲瓏を見る。
王子の熱がなくなり、寒い。ぶるりと震えた後、玲瓏は目の前の純粋な瞳を見つめ返した。
「ハァハァ…殿下、もう湯浴みの時間でしょう。そ、そろそろ乳母が探しに来ますよ。このような姿、万一見られたら叱られますよ…(私が)」
「うーん、そうか。それもそうだな」
王子が名残り惜しそうに牀から降りたのを見て、玲瓏は急いで上着を腰に被せた。胸に手を当て、乱れた呼吸を整える。
「殿下、では――」
「――さま、紹鶯さま、こちらですかー?湯浴みのお時間ですよー」
乳母の声がする。本当に間一髪だった。
ここにおる、と王子が入り口に向かって返事する。
玲瓏はやや乱れた服のまま王子の前に跪き、胸の前に手を合わせる。
「殿下、おやすみなさいませ」
「うむ。礼を言う。また明日な」
「ええ、また明日」
無邪気に笑い、パタパタと走って部屋を後にする王子。
残ったのは、罪悪感と快楽の間に揺れる情け無い大人の男。彼は意地として、その猛った陽物に触れる事はしなかった。
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