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第10話 できるかな?
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「あら、いい匂い」
アリシアが売れ残りの野菜を担いで帰ってきた。
「おかえり、お母さん」
「おかえりなさい、アリシアさん」
「魔道士様。今日も来てくださったのですね。嬉しいです」
「ふふっ。親子だね」
「ううっお母さん、私の真似しないでよ」
「???」
ガクはアリスと一緒に料理をしていた。
出来上がった物をアリシアに差し出す。
「これは?食べていいのかしら」
「うん、食べて食べて。それは私が作ったの」
「あら、アリスが?どれどれ。まあ!甘くてふあっと柔らかくて、なんて美味しいの!」
「これはクレープです」
「ちりめん?」
「あれ??クレープ、ですよ」
「クレープ織りよね」
(何だ?《全言語翻訳》アビリティがバグったか?)
「えっと確かクレープの元はガレットっていったかな?そば粉で作るやつ」
「ああ!そう言われれば薄くい生地に挟むのは同じね!でもそれがクレープ織りになるのかしら?」
「これをクレープって呼ぶんです。ガレットを作る時のそば粉の代わりに小麦粉とか卵やバターを使ったものです。間に生クリームとかフルーツを挟むのが僕の故郷で食べられているクレープの食べ方ですね」
「もう別の食べ物だっ!でも甘くて美味しいね!お母さん!」
「ええ。見た目もとっても華やかだし、手で持って食べるというのも面白いわね」
この世界にもガレットはあるようだ。
だがクレープ自体はまだ発明されていなかった。
世界観が中世ヨーロッパのようだったので日本で食べられているクレープなら行けるかと踏んでいた。
この世界の時代的にはもう数十年もすればこの小麦粉のクレープが作られるようになるのだろう。
まだクレープ自体が無いのなら、新しい物が好きな人なら余計に食いつくだろう。
「ガレットみたいに、甘く無いのも作れますよ」
そう言って野菜とハムとチーズを挟んだクレープも作ってみせる。
「これもいいわね。この酸味のある調味料がとても美味しいわ」
「それはマヨネーズです。お酢…ビネガーと塩と卵に油を混ぜたものです」
(これはまだ数百年は出てこないか)
アリシアにはここに住んでいる獣人達に声をかけてもらい、路地裏の広場に集まってもらった。
「皆さんには、これを作れるようになってもらいます。材料は表の市場で皆んな揃いますし、この味も見た目も絶対に流行ります。道具や最初の材料は僕が用意しますので、後は作り方を覚えて表通りで売るだけです」
集まった獣人達にもクレープを振る舞い、味や見た目を知ってもらう。
皆、初めての食べ物に驚いている。
「だが、本当にこれが売れるのか?いくら美味くても俺らが作った物は中々買ってくれないぞ」
「そこはもう少し時間をください。今、そのおかしな風評をひっくり返す為の準備をしています。その間にこれを作れるようになってください。いざ売れる時になってまだ何もできないって事にはしたくないです」
「あんたは人族様だろ?なのに何故こんな事をするんだ?いつも我々をいたぶっている人族様が気まぐれで今度は獣人を助けるっていうのかい?」
「そうだ!いつも人族様は我ら獣人を騙して裏切る!元々獣人族は《神の五眷属》だったのに、人族様が獣人に取って変わられてしまったあの時から、ずっと我らを騙し続けて来たじゃないか!」
やはり獣人族にかけられた呪いとも言うべきこの扱いは中々解けてはくれない。
「もういい加減して!」
アリスが立ち上がり、皆んなに向かって叫ぶ。
「私達の問題なのに、魔道士様には関係の無い事なのに、何の得にもならない事をしてくれてるのよ!ここまでしてくれているのに私達はまた何もしないで耐えるだけの生活を送りたいの?」
「私は病気にかかって、ずっと寝込んでいましたが、この魔道士様に治して貰いました。私にとってはこれだけで充分恩恵を貰っています。気まぐれだって構いません!だって、私は今幸せなんですもの!」
二人の心の声に皆は何も言えなくなる。
「あたしはやるよ!こう見えて昔は料理屋をやってたんだ。こんな美味いものを売れるなんて楽しそうじゃないか!」
「俺もやってみたい。今のまま腐って生きてくのはもう嫌だ!這い上がれる希望があるなら何でもやってやる!」
若者が賛同の声を上げると次々と参加の意を示し出す。
反対していた獣人達も最後には折れてくれた。
「ふん!やるからには全力だからな!これで我ら獣人族は見事復活を遂げてみせるのだぞ!」
「「「おおおっ!!」」」
「アリスちゃん、アリシアさん、ありがとう。二人のお陰でみんな賛同してくれたよ」
「へへへー。魔道士様の役に立ったあ!ね、お母さん!」「ええ、でも頑張るのはこれからよ」
獣人達には日本式クレープの作り方をマスターしてもらう。
ガクが日本から持ち込んだ、カセット式のコンロとフライパン、クレープの材料やクレープを包む包装紙を使って特訓である。
ちなみにコンロとフライパンはガクの家から無断で持って来たものなので後で母親に怒られるのは確定である。
「アリスちゃんはクレープ作りが上手だね」
「えへへー。魔道士様に直接教えてもらったのは私だけですからねっ!」
特訓はアリスに任せるとして、問題は道具である。
一組しか無いのもそうだが、フライパンではクレープは作りづらい。
数多く作るには専用の道具が必要だ。
ガクは獣人達に別れを告げて、表の店が並ぶ通りに来ていた。
ここには様々な店が並び、買い物客で賑わっている。
その中にある一軒の鍛冶屋に入る。
「こんにちは」
「いらっしゃい」
店の中にいたのは女性であった。
見た目はシャルくらいの年齢、髪は長く、着ている服も細い体躯も、全てが何処かのお嬢様といった雰囲気をまとっている。
(留守番、とかかな)
「えっと、ここのご主人は?」
「はい」
「???ご主人はどちらにいますか?」
「ここです」
「え?もしかしてあなたがここのご主人?」
「はい」
(なんだかネトゲでチャットしているみたいなら受け答えだな。本当に中の人がいたりして)
「失礼しました。依頼をしたいのですが良いですか?」
「はい」
(ネトゲだと普通な会話なんだけどな。現実だと話しづらい)
ガクはクレープ用の縁のないフライパンの加工を家で印刷してきた写真を見せながら説明した。
「こんなフライパンを作って欲しいんですけど。出来ますかね?」
「はい」
「えっと、それじゃあ、10個程作って欲しいんですけど、いくらになりますか?」
「小金貨1枚」
「分かりました前金で渡します。いつ頃出来そうですか?」
「明日」
「えっ?そんなに早いんですか?」
「はい」
「そ、それじゃあ、明日取りに来ますね」
「りょ」
「え?」
「了解」
「あ、はい」
(マジで中に人がいてネットで操作しているとかじゃないだろうな)
店を出ようとすると後ろで作業を始める音がする。
少し首を回して横目で見ると、指を空中で動かす仕草をしている。
こちらに気付くと無表情のままその手をこちらに振ってから、鉄の板を材料置き場から取り出して作業に取り掛かっていた。
(今のメニュー操作じゃないよね。まさかね)
《鑑定》を使ってみるか悩んだいるとまたこちらに気付き今度はこちらをジッと見つめて来た。
まずいと思いガクは急いで店を出た。
店の名前を見ていなかったのに気付き確認してみると『ブリギッド鍛冶屋』と書いてあった。
(確かジゼルが呟いていた魔法の名前に《ブリギッドの炎の矢》っていうのがあったな。女神の名前なのかな)
こちらの世界で出来ることは全てやった。
一度家に帰って、アニエスに渡す商品を仕入れないといけない。
人のいない場所に隠れてから《ビジターカード》で日本に戻った。
日本でも自室から転移すると家を出た形跡も無くいなくなる為疑われないように、一旦外出して近くの公園の誰も来なさそうな場所で転移をしていた。
その為この世界に戻って来た時も同じ公園に現れることになる。
「やだ誰?覗き?」
「なんだぁ?のぞいてんじゃねえぞ?」
(うわわわわ、こんな所でいちゃついてるんじゃねえよ!)
茂みの中でカップルが抱き合っているところに出くわしてしまった。
今度はもっと人のこなさそうな場所を探す必要がある。
「ふうう、危なかったー。何とか助かったか」
公園を出て自宅へ向かう。
角を曲がりガクの家が見えた所で門の前に人影を見つける。
(あれ?緑のマーカーだ。レンゲちゃんがうちに来たのかな?いやっちがう!あれは青海さんだ!)
慌てて電柱の陰に隠れる。
覗き込んでよく見ると、黒のシャツにロングスカート、パーカーも黒くフードを被っているので、顔と手以外すべて全身真っ黒である。
黒姫はガクの家、その二階にあるガクの自室をじっと見ている。
数分、そのままの姿勢でガクの部屋をを見つめていると、すっと両手を上げ掌をガクの部屋に向ける。
遠くて分かりづらかったが、ブツブツと何か呟いてから手を下ろした。
向こうに向かって歩き出したかと思ったら立ち止まり、またガクの部屋を見てしばらく睨みつける。
そうして、ようやく歩き去っていった。
(な、何だったの?何がしたかったの?)
呪いでも掛けられたのだろうか。
ガク自身は部屋にいなかったのだから呪いなら掛からないかもしれないが、部屋が呪われていないだろうか。
後で部屋に塩でも撒いておこうと考えながら家に帰った。
まだ今日は明るいうちに帰って来られたので、もう一度出かける。
今年のお年玉をすべて持ち出し、アニエスに売り出してもらう商品の仕入れだ。
自転車に乗り、百円均一のお店で蛍光ペンと瞬間接着剤を大量に購入する。
全然足りないので、ホームセンターにも行きここではカップ麺も買う。
大きなビニール袋に入れてもらい自転車のカゴに入れ、後ろの荷台に括り、背中にも背負って持ち帰る。
(ペンと接着剤は良いけど、カップ麺はかさ張るから何度か往復しないと行けないな)
二往復目の家に帰る途中で、買った場所の近くで直接あちらの世界に転移してしまえば、こちらの世界で苦労して持ち帰る必要が無いと気付く。
自転車に乗ったまま転移をしてみたが、手に持っていると判断されるものしか一緒には転移してくれなかった。
自転車は持ち物ではなく乗り物と認識されているようだ。
念のためにカップ麺を入れたビニール袋は全て手に持っていて良かった。
『アクアヴィテ』に着いてからは歩いてアニエスの店まで持っていった。
全てを運び終わった時にはまた辺りは暗くなってしまった。
「ふふふふっ、さあ、売るわよ!貴族達に軽く話はしておいたわ。明日貴族街を回って全て売り尽くしてくるわ!」
あの値段では流石に売り切れるとは思えないが、この人ならやりかねないとも思ってしまう。
(当分あのおっとりとしたアニエスさんには会えなさそうだよ)
明日はブリギッドの店にクレープ用のフライパンを受け取りに行き、獣人達の様子を見たら、シャルの所にも顔を出そう、などと考える。
1日に色々な人と会い、たくさんの事をこなした為ガクの疲労は限界だった。
早く家に帰ってベッドに飛び込みたいとぼうっとしながら《ビジターカード》を取り出す。
すると残りの《ビジターカード》が最後の一枚だと気付く。
『アウアヴィテ』に来た時にまだ一枚あったが、その後10枚追加で作った。
さっきの往復でそれが全て無くなってしまった。
(追加で作らないとな。今日は面倒だから明日、家に残っている紙とインクを使って作ろう。またインクが余ってカードが黒くなるかな。いつも同じ量にしてるのに余る量が違うんだよ。あれ絶対ランダムで使う量が変わってるよ)
フラフラしながら《ビジターカード》を起動して、転移先の『ランダム転移』を選ぶ。
(ぬおおっ!間違えてランダム転移にしちゃった!キャンセル!キャンセル!)
シュッと音を立ててガクは見知らぬ世界へと旅立っていった。
アリシアが売れ残りの野菜を担いで帰ってきた。
「おかえり、お母さん」
「おかえりなさい、アリシアさん」
「魔道士様。今日も来てくださったのですね。嬉しいです」
「ふふっ。親子だね」
「ううっお母さん、私の真似しないでよ」
「???」
ガクはアリスと一緒に料理をしていた。
出来上がった物をアリシアに差し出す。
「これは?食べていいのかしら」
「うん、食べて食べて。それは私が作ったの」
「あら、アリスが?どれどれ。まあ!甘くてふあっと柔らかくて、なんて美味しいの!」
「これはクレープです」
「ちりめん?」
「あれ??クレープ、ですよ」
「クレープ織りよね」
(何だ?《全言語翻訳》アビリティがバグったか?)
「えっと確かクレープの元はガレットっていったかな?そば粉で作るやつ」
「ああ!そう言われれば薄くい生地に挟むのは同じね!でもそれがクレープ織りになるのかしら?」
「これをクレープって呼ぶんです。ガレットを作る時のそば粉の代わりに小麦粉とか卵やバターを使ったものです。間に生クリームとかフルーツを挟むのが僕の故郷で食べられているクレープの食べ方ですね」
「もう別の食べ物だっ!でも甘くて美味しいね!お母さん!」
「ええ。見た目もとっても華やかだし、手で持って食べるというのも面白いわね」
この世界にもガレットはあるようだ。
だがクレープ自体はまだ発明されていなかった。
世界観が中世ヨーロッパのようだったので日本で食べられているクレープなら行けるかと踏んでいた。
この世界の時代的にはもう数十年もすればこの小麦粉のクレープが作られるようになるのだろう。
まだクレープ自体が無いのなら、新しい物が好きな人なら余計に食いつくだろう。
「ガレットみたいに、甘く無いのも作れますよ」
そう言って野菜とハムとチーズを挟んだクレープも作ってみせる。
「これもいいわね。この酸味のある調味料がとても美味しいわ」
「それはマヨネーズです。お酢…ビネガーと塩と卵に油を混ぜたものです」
(これはまだ数百年は出てこないか)
アリシアにはここに住んでいる獣人達に声をかけてもらい、路地裏の広場に集まってもらった。
「皆さんには、これを作れるようになってもらいます。材料は表の市場で皆んな揃いますし、この味も見た目も絶対に流行ります。道具や最初の材料は僕が用意しますので、後は作り方を覚えて表通りで売るだけです」
集まった獣人達にもクレープを振る舞い、味や見た目を知ってもらう。
皆、初めての食べ物に驚いている。
「だが、本当にこれが売れるのか?いくら美味くても俺らが作った物は中々買ってくれないぞ」
「そこはもう少し時間をください。今、そのおかしな風評をひっくり返す為の準備をしています。その間にこれを作れるようになってください。いざ売れる時になってまだ何もできないって事にはしたくないです」
「あんたは人族様だろ?なのに何故こんな事をするんだ?いつも我々をいたぶっている人族様が気まぐれで今度は獣人を助けるっていうのかい?」
「そうだ!いつも人族様は我ら獣人を騙して裏切る!元々獣人族は《神の五眷属》だったのに、人族様が獣人に取って変わられてしまったあの時から、ずっと我らを騙し続けて来たじゃないか!」
やはり獣人族にかけられた呪いとも言うべきこの扱いは中々解けてはくれない。
「もういい加減して!」
アリスが立ち上がり、皆んなに向かって叫ぶ。
「私達の問題なのに、魔道士様には関係の無い事なのに、何の得にもならない事をしてくれてるのよ!ここまでしてくれているのに私達はまた何もしないで耐えるだけの生活を送りたいの?」
「私は病気にかかって、ずっと寝込んでいましたが、この魔道士様に治して貰いました。私にとってはこれだけで充分恩恵を貰っています。気まぐれだって構いません!だって、私は今幸せなんですもの!」
二人の心の声に皆は何も言えなくなる。
「あたしはやるよ!こう見えて昔は料理屋をやってたんだ。こんな美味いものを売れるなんて楽しそうじゃないか!」
「俺もやってみたい。今のまま腐って生きてくのはもう嫌だ!這い上がれる希望があるなら何でもやってやる!」
若者が賛同の声を上げると次々と参加の意を示し出す。
反対していた獣人達も最後には折れてくれた。
「ふん!やるからには全力だからな!これで我ら獣人族は見事復活を遂げてみせるのだぞ!」
「「「おおおっ!!」」」
「アリスちゃん、アリシアさん、ありがとう。二人のお陰でみんな賛同してくれたよ」
「へへへー。魔道士様の役に立ったあ!ね、お母さん!」「ええ、でも頑張るのはこれからよ」
獣人達には日本式クレープの作り方をマスターしてもらう。
ガクが日本から持ち込んだ、カセット式のコンロとフライパン、クレープの材料やクレープを包む包装紙を使って特訓である。
ちなみにコンロとフライパンはガクの家から無断で持って来たものなので後で母親に怒られるのは確定である。
「アリスちゃんはクレープ作りが上手だね」
「えへへー。魔道士様に直接教えてもらったのは私だけですからねっ!」
特訓はアリスに任せるとして、問題は道具である。
一組しか無いのもそうだが、フライパンではクレープは作りづらい。
数多く作るには専用の道具が必要だ。
ガクは獣人達に別れを告げて、表の店が並ぶ通りに来ていた。
ここには様々な店が並び、買い物客で賑わっている。
その中にある一軒の鍛冶屋に入る。
「こんにちは」
「いらっしゃい」
店の中にいたのは女性であった。
見た目はシャルくらいの年齢、髪は長く、着ている服も細い体躯も、全てが何処かのお嬢様といった雰囲気をまとっている。
(留守番、とかかな)
「えっと、ここのご主人は?」
「はい」
「???ご主人はどちらにいますか?」
「ここです」
「え?もしかしてあなたがここのご主人?」
「はい」
(なんだかネトゲでチャットしているみたいなら受け答えだな。本当に中の人がいたりして)
「失礼しました。依頼をしたいのですが良いですか?」
「はい」
(ネトゲだと普通な会話なんだけどな。現実だと話しづらい)
ガクはクレープ用の縁のないフライパンの加工を家で印刷してきた写真を見せながら説明した。
「こんなフライパンを作って欲しいんですけど。出来ますかね?」
「はい」
「えっと、それじゃあ、10個程作って欲しいんですけど、いくらになりますか?」
「小金貨1枚」
「分かりました前金で渡します。いつ頃出来そうですか?」
「明日」
「えっ?そんなに早いんですか?」
「はい」
「そ、それじゃあ、明日取りに来ますね」
「りょ」
「え?」
「了解」
「あ、はい」
(マジで中に人がいてネットで操作しているとかじゃないだろうな)
店を出ようとすると後ろで作業を始める音がする。
少し首を回して横目で見ると、指を空中で動かす仕草をしている。
こちらに気付くと無表情のままその手をこちらに振ってから、鉄の板を材料置き場から取り出して作業に取り掛かっていた。
(今のメニュー操作じゃないよね。まさかね)
《鑑定》を使ってみるか悩んだいるとまたこちらに気付き今度はこちらをジッと見つめて来た。
まずいと思いガクは急いで店を出た。
店の名前を見ていなかったのに気付き確認してみると『ブリギッド鍛冶屋』と書いてあった。
(確かジゼルが呟いていた魔法の名前に《ブリギッドの炎の矢》っていうのがあったな。女神の名前なのかな)
こちらの世界で出来ることは全てやった。
一度家に帰って、アニエスに渡す商品を仕入れないといけない。
人のいない場所に隠れてから《ビジターカード》で日本に戻った。
日本でも自室から転移すると家を出た形跡も無くいなくなる為疑われないように、一旦外出して近くの公園の誰も来なさそうな場所で転移をしていた。
その為この世界に戻って来た時も同じ公園に現れることになる。
「やだ誰?覗き?」
「なんだぁ?のぞいてんじゃねえぞ?」
(うわわわわ、こんな所でいちゃついてるんじゃねえよ!)
茂みの中でカップルが抱き合っているところに出くわしてしまった。
今度はもっと人のこなさそうな場所を探す必要がある。
「ふうう、危なかったー。何とか助かったか」
公園を出て自宅へ向かう。
角を曲がりガクの家が見えた所で門の前に人影を見つける。
(あれ?緑のマーカーだ。レンゲちゃんがうちに来たのかな?いやっちがう!あれは青海さんだ!)
慌てて電柱の陰に隠れる。
覗き込んでよく見ると、黒のシャツにロングスカート、パーカーも黒くフードを被っているので、顔と手以外すべて全身真っ黒である。
黒姫はガクの家、その二階にあるガクの自室をじっと見ている。
数分、そのままの姿勢でガクの部屋をを見つめていると、すっと両手を上げ掌をガクの部屋に向ける。
遠くて分かりづらかったが、ブツブツと何か呟いてから手を下ろした。
向こうに向かって歩き出したかと思ったら立ち止まり、またガクの部屋を見てしばらく睨みつける。
そうして、ようやく歩き去っていった。
(な、何だったの?何がしたかったの?)
呪いでも掛けられたのだろうか。
ガク自身は部屋にいなかったのだから呪いなら掛からないかもしれないが、部屋が呪われていないだろうか。
後で部屋に塩でも撒いておこうと考えながら家に帰った。
まだ今日は明るいうちに帰って来られたので、もう一度出かける。
今年のお年玉をすべて持ち出し、アニエスに売り出してもらう商品の仕入れだ。
自転車に乗り、百円均一のお店で蛍光ペンと瞬間接着剤を大量に購入する。
全然足りないので、ホームセンターにも行きここではカップ麺も買う。
大きなビニール袋に入れてもらい自転車のカゴに入れ、後ろの荷台に括り、背中にも背負って持ち帰る。
(ペンと接着剤は良いけど、カップ麺はかさ張るから何度か往復しないと行けないな)
二往復目の家に帰る途中で、買った場所の近くで直接あちらの世界に転移してしまえば、こちらの世界で苦労して持ち帰る必要が無いと気付く。
自転車に乗ったまま転移をしてみたが、手に持っていると判断されるものしか一緒には転移してくれなかった。
自転車は持ち物ではなく乗り物と認識されているようだ。
念のためにカップ麺を入れたビニール袋は全て手に持っていて良かった。
『アクアヴィテ』に着いてからは歩いてアニエスの店まで持っていった。
全てを運び終わった時にはまた辺りは暗くなってしまった。
「ふふふふっ、さあ、売るわよ!貴族達に軽く話はしておいたわ。明日貴族街を回って全て売り尽くしてくるわ!」
あの値段では流石に売り切れるとは思えないが、この人ならやりかねないとも思ってしまう。
(当分あのおっとりとしたアニエスさんには会えなさそうだよ)
明日はブリギッドの店にクレープ用のフライパンを受け取りに行き、獣人達の様子を見たら、シャルの所にも顔を出そう、などと考える。
1日に色々な人と会い、たくさんの事をこなした為ガクの疲労は限界だった。
早く家に帰ってベッドに飛び込みたいとぼうっとしながら《ビジターカード》を取り出す。
すると残りの《ビジターカード》が最後の一枚だと気付く。
『アウアヴィテ』に来た時にまだ一枚あったが、その後10枚追加で作った。
さっきの往復でそれが全て無くなってしまった。
(追加で作らないとな。今日は面倒だから明日、家に残っている紙とインクを使って作ろう。またインクが余ってカードが黒くなるかな。いつも同じ量にしてるのに余る量が違うんだよ。あれ絶対ランダムで使う量が変わってるよ)
フラフラしながら《ビジターカード》を起動して、転移先の『ランダム転移』を選ぶ。
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