4 / 40
第4話
しおりを挟む
僕が、慎二との結婚生活を楽しめていたのは、一年前までだった。恋心をハッキリと自覚してからはずっと、楽しさより苦しさが勝っていた。
だから――離婚する。そう決めてから、最後に慎二との思い出が欲しいと思った。
最後に少し、夢を見たい。
一週間。一週間だけでいい。
今まで我慢していたこと。したいと思っていたけど、慎二には言えなかったこと。
その内の一部分だけでいいから、この一週間でやってみたい。
もし断られても、嫌な顔をされても、一週間後には離婚。そう考えれば、いつもなら勇気が出ないことも、出来る気がしていた。
会社で離婚を決意した後、佐々木さんと慎二のイチャイチャを見届けた。それから、佐々木さんに頭を下げて、仕事場に戻り、就業時間を終えてから帰宅した。
そして今は、離婚届に名前を書いていた。この一週間で思い出を作る。離婚の準備はテキパキと終わらせる。離婚届を印刷し、僕が書ける項目を、一つずつ埋めていく。
不思議と、悲しい気持ちにはならなかった。
コンコンと、部屋の扉をノックする音が聞こえた。
「那月、ご飯できたよ?」
慎二の声だ。
僕は、さっと紙を引き出しに隠そうとして……はたと、気付く。
この離婚届、ふにゃふにゃだ。しかも、ボールペンで書いた部分が滲んでいる。
なんで、こんなに濡れて?
するとポタリと、紙に水滴が落ちた。
なぜか顔が痒い。鼻筋を擦るとツルリと指が滑る。
手を離せば人差し指が濡れていた。
「へっ……?」
僕の口からは情けない声が漏れた。
「僕、泣い、てる……?」
――――なんで? なにも悲しくないのに……。
この別れは、僕の為にも、慎二の為にもなる。
別れてしまえば、部署が違う慎二とはもうほとんど会う機会もなくなる。そうすれば、慎二の一挙手一投足に心を惑わされることも無くなる。
そしたら、平穏な毎日が戻ってくるんだ。
だから、泣く理由なんてどこにもないのに……。
「……那月? どうした?」
扉がドンドンと叩かれる。
返事をしたいけど、今声を出したら、しゃくり上げてしまうかもしれない。
「おい、大丈夫か? 返事をしろ! ……もしかして倒れて」
「だっ、だい……じょうぶ……」
僕は喉奥にぎゅっと力を入れて声を出した。なるべく呼吸はゆっくりと吐く。
そして腹式呼吸を意識して、肺にしっかりと空気を送り込む。
「ふぅ……」
「え? 本当に……? 声が、なんか苦しそうに聞こえるけど、俺の勘違い?」
「あっ、いや……今、ちょっと腹筋してて! だから、声変だったかも……?」
「なるほど……? まあ、それなら良かったけど、何かあったなら言ってね」
疑問に思いながらも、慎二は納得してくれたようで、僕は胸を撫で下ろした。
僕が分かったと伝えると「じゃあ、リビングで待ってるから」とだけ言い残して、慎二は扉の前から去っていった。
「ふぅ……良かった、バレなかった……」
とにかく使えなくなった離婚届を、くしゃくしゃに丸めて、鍵付きの引き出しに投げ入れた。そこには既に、同じように丸めた紙が何十枚も入っている。
今、離婚計画がバレる訳にはいかない。
だって、慎二の為に離婚してあげるなんて押し付けがましい真似は出来ないから。
この離婚計画に必要な新しい恋人を見つけてくるまでは、バレてはいけない。
好きな人が出来たので別れてくださいと、彼が責任感を感じなくてすむように。
でないと、きっと彼は別れてくれないだろう。オメガである僕のこの先を心配して。
僕は涙を拭いて、部屋を出た。そして、洗面所に向かい、顔を洗う。
鏡に視線を送れば、僕の目が充血しいた。
どうしよう、これじゃ泣いていたのが慎二にバレる……。
僕は前髪を留めていたピン留めを外し、前髪を下ろす。元々僕の前髪は長い。何とか目が充血してるのが分からない程度に、前髪で目元を隠した。
とにかく慎二を待たせているので、リビングに向かわないと。
だから――離婚する。そう決めてから、最後に慎二との思い出が欲しいと思った。
最後に少し、夢を見たい。
一週間。一週間だけでいい。
今まで我慢していたこと。したいと思っていたけど、慎二には言えなかったこと。
その内の一部分だけでいいから、この一週間でやってみたい。
もし断られても、嫌な顔をされても、一週間後には離婚。そう考えれば、いつもなら勇気が出ないことも、出来る気がしていた。
会社で離婚を決意した後、佐々木さんと慎二のイチャイチャを見届けた。それから、佐々木さんに頭を下げて、仕事場に戻り、就業時間を終えてから帰宅した。
そして今は、離婚届に名前を書いていた。この一週間で思い出を作る。離婚の準備はテキパキと終わらせる。離婚届を印刷し、僕が書ける項目を、一つずつ埋めていく。
不思議と、悲しい気持ちにはならなかった。
コンコンと、部屋の扉をノックする音が聞こえた。
「那月、ご飯できたよ?」
慎二の声だ。
僕は、さっと紙を引き出しに隠そうとして……はたと、気付く。
この離婚届、ふにゃふにゃだ。しかも、ボールペンで書いた部分が滲んでいる。
なんで、こんなに濡れて?
するとポタリと、紙に水滴が落ちた。
なぜか顔が痒い。鼻筋を擦るとツルリと指が滑る。
手を離せば人差し指が濡れていた。
「へっ……?」
僕の口からは情けない声が漏れた。
「僕、泣い、てる……?」
――――なんで? なにも悲しくないのに……。
この別れは、僕の為にも、慎二の為にもなる。
別れてしまえば、部署が違う慎二とはもうほとんど会う機会もなくなる。そうすれば、慎二の一挙手一投足に心を惑わされることも無くなる。
そしたら、平穏な毎日が戻ってくるんだ。
だから、泣く理由なんてどこにもないのに……。
「……那月? どうした?」
扉がドンドンと叩かれる。
返事をしたいけど、今声を出したら、しゃくり上げてしまうかもしれない。
「おい、大丈夫か? 返事をしろ! ……もしかして倒れて」
「だっ、だい……じょうぶ……」
僕は喉奥にぎゅっと力を入れて声を出した。なるべく呼吸はゆっくりと吐く。
そして腹式呼吸を意識して、肺にしっかりと空気を送り込む。
「ふぅ……」
「え? 本当に……? 声が、なんか苦しそうに聞こえるけど、俺の勘違い?」
「あっ、いや……今、ちょっと腹筋してて! だから、声変だったかも……?」
「なるほど……? まあ、それなら良かったけど、何かあったなら言ってね」
疑問に思いながらも、慎二は納得してくれたようで、僕は胸を撫で下ろした。
僕が分かったと伝えると「じゃあ、リビングで待ってるから」とだけ言い残して、慎二は扉の前から去っていった。
「ふぅ……良かった、バレなかった……」
とにかく使えなくなった離婚届を、くしゃくしゃに丸めて、鍵付きの引き出しに投げ入れた。そこには既に、同じように丸めた紙が何十枚も入っている。
今、離婚計画がバレる訳にはいかない。
だって、慎二の為に離婚してあげるなんて押し付けがましい真似は出来ないから。
この離婚計画に必要な新しい恋人を見つけてくるまでは、バレてはいけない。
好きな人が出来たので別れてくださいと、彼が責任感を感じなくてすむように。
でないと、きっと彼は別れてくれないだろう。オメガである僕のこの先を心配して。
僕は涙を拭いて、部屋を出た。そして、洗面所に向かい、顔を洗う。
鏡に視線を送れば、僕の目が充血しいた。
どうしよう、これじゃ泣いていたのが慎二にバレる……。
僕は前髪を留めていたピン留めを外し、前髪を下ろす。元々僕の前髪は長い。何とか目が充血してるのが分からない程度に、前髪で目元を隠した。
とにかく慎二を待たせているので、リビングに向かわないと。
97
お気に入りに追加
2,228
あなたにおすすめの小説
愛しいアルファが擬態をやめたら。
フジミサヤ
BL
「樹を傷物にしたの俺だし。責任とらせて」
「その言い方ヤメロ」
黒川樹の幼馴染みである九條蓮は、『運命の番』に憧れるハイスペック完璧人間のアルファである。蓮の元恋人が原因の事故で、樹は蓮に項を噛まれてしまう。樹は「番になっていないので責任をとる必要はない」と告げるが蓮は納得しない。しかし、樹は蓮に伝えていない秘密を抱えていた。
◇同級生の幼馴染みがお互いの本性曝すまでの話です。小学生→中学生→高校生→大学生までサクサク進みます。ハッピーエンド。
◇オメガバースの設定を一応借りてますが、あまりそれっぽい描写はありません。ムーンライトノベルズにも投稿しています。
初心者オメガは執着アルファの腕のなか
深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。
オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。
オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。
穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。
お客様と商品
あかまロケ
BL
馬鹿で、不細工で、性格最悪…なオレが、衣食住提供と引き換えに体を売る相手は高校時代一度も面識の無かったエリートモテモテイケメン御曹司で。オレは商品で、相手はお客様。そう思って毎日せっせとお客様に尽くす涙ぐましい努力のオレの物語。(*ムーンライトノベルズ・pixivにも投稿してます。)
美貌の騎士候補生は、愛する人を快楽漬けにして飼い慣らす〜僕から逃げないで愛させて〜
飛鷹
BL
騎士養成学校に在席しているパスティには秘密がある。
でも、それを誰かに言うつもりはなく、目的を達成したら静かに自国に戻るつもりだった。
しかし美貌の騎士候補生に捕まり、快楽漬けにされ、甘く喘がされてしまう。
秘密を抱えたまま、パスティは幸せになれるのか。
美貌の騎士候補生のカーディアスは何を考えてパスティに付きまとうのか……。
秘密を抱えた二人が幸せになるまでのお話。
初夜の翌朝失踪する受けの話
春野ひより
BL
家の事情で8歳年上の男と結婚することになった直巳。婚約者の恵はカッコいいうえに優しくて直巳は彼に恋をしている。けれど彼には別に好きな人がいて…?
タイトル通り初夜の翌朝攻めの前から姿を消して、案の定攻めに連れ戻される話。
歳上穏やか執着攻め×頑固な健気受け
鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
お荷物な俺、独り立ちしようとしたら押し倒されていた
やまくる実
BL
異世界ファンタジー、ゲーム内の様な世界観。
俺は幼なじみのロイの事が好きだった。だけど俺は能力が低く、アイツのお荷物にしかなっていない。
独り立ちしようとして執着激しい攻めにガッツリ押し倒されてしまう話。
好きな相手に冷たくしてしまう拗らせ執着攻め✖️自己肯定感の低い鈍感受け
ムーンライトノベルズにも掲載しています。
不倫の片棒を担がせるなんてあり得ないだろ
雨宮里玖
BL
イケメン常務×平凡リーマン
《あらすじ》
恋人の日夏と福岡で仲睦まじく過ごしていた空木。日夏が東京本社に戻ることになり「一緒に東京で暮らそう」という誘いを望んでいたのに、日夏から「お前とはもう会わない。俺には東京に妻子がいる」とまさかの言葉。自分の存在が恋人ではなくただの期間限定の不倫相手だったとわかり、空木は激怒する——。
秋元秀一郎(30)商社常務。
空木(26)看護師
日夏(30)商社係長。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる