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第四章 溢れる想いと最低の提案
第十四話
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ラーメンを美味しく奢っていただき、私は社長代理とお店を出た。夜風が冷たく心地よい。あっという間に、もう秋だ。
「じゃ、帰ろうか。家どのあたり? 近くまで送るよ」
歩道へ出た社長代理が、車の鍵を片手に振り返る。
そして、ふと表情を変えた。お店の前で立ちすくむ私が、いつかみたいに唇を噛み、アスファルトを睨みつけていることに気がついたからだ。
「高階?」
お腹の中の炎が熱い。
吐く息が頬を赤く染めていく。
あの夜あなたが灯した熱が、今でも疼きを訴えるように、私の中でくすぶっている。
「玲一さん」
周囲に漂う豚骨のにおい。繁華街特有の小汚い雰囲気。
ムードは最悪。でも、この勢いを止められないのは、今この瞬間が最初で最後のチャンスだと知っているから。
何も言わないまま別れてしまえば、また私たちは白紙に戻る。経営者と平社員。社長代理と新米秘書。前と後ろに並んで歩く、ビジネスのみの関係に戻ってしまう。
「帰りたく……ないです」
「…………」
「帰りたく、なくなっちゃったんです」
うつむく私の真正面へ、彼はゆっくりと向き直る。
私は意を決して顔を上げると、挑むような、なじるような瞳でまっすぐに彼を見つめた。
「あなたが好きです」
品のない客引きの声も、豪快な酔っ払いの声も、何もかもが彼方へと消えてあたりが沈黙に包まれる。
彼はその大きな瞳でまばたきもせず私を見つめる。私の言葉を一文字ずつ、着実に咀嚼するように。
そうしてやがて、彼はふいと逃げるように目を逸らした。何か言おうと開いた唇が、結局吐息だけを漏らして、きゅっと下唇を噛んだ後やや乱暴に頭を掻く。
私は黙って、待っている。どんな返事でも受け止める覚悟を、確かに持った――
「ごめん」
――つもりだった。
「悪いけどそれ、勘違いだと思うよ。うちの会社は男少ないし、俺たちは一緒にいる時間が長いから、なんかそんな気持ちになっちゃったってだけで」
「…………」
「誤解しないでほしいんだけど、高階のことはいい子だと思ってるよ。真面目で、仕事ができて、顔だって可愛いし。でも、だからこそ、変に俺に囚われないで、もうちょっと視野を広く持てないかな。別に」
そこで、ふっと小さく笑った彼は、
「俺がはじめての男だからって、無理に好きになる必要はないんだから」
自分自身を嘲笑うような、遠くを見るような眼差しで、そう言った。
私は――ただ立ちすくむ。喉元をやわく締められたみたいに、息苦しくて胸が痛い。じんと熱を持った頭が霞みがかったように重い。視界がぐらりと歪んでいく。まぶたをゆるく閉じるとともにフェイドアウトした彼の微笑が、分厚い水の膜をまとって揺らめきながら現れる。
「うわっ、高階?」
ぼたぼた、ぼたぼたと頬を伝うのは大粒の涙で、蛇口の壊れた水道みたいに次から次へと溢れてくる。
拭っても拭っても止まらない。……ああ、なんか鼻水まで出てきた。みっともなくて、恥ずかしくて、でもほとばしるものを抑えられない。
「わ、たし……無理に、すきに、なんて、そんなっ」
「おい、ここでは止めろ、泣くなって……人目があるから、ほら」
「そんなっ、つもりじゃ、……う、う、ほんとに、ほんきで、好きなのにっ、なんでっ」
「わかった、わかったから、……あー、車に戻ろう? とりあえず一旦、ちょっと落ち着こう。な?」
社長代理は子どもをあやすように私の背中を叩きながら、半ば引きずるようにコインパーキングへ歩き出した。私は化粧がドロドロになるのも構わず、大泣きしながらしゃくりあげる。悔しい。悔しい。すごく悔しい。
ただ振られるだけならまだよかった。そういう目で見られないとか、他に恋人がいるだとか。でも、今の言葉は明らかに違う。
私が告げた恋心を、彼は認めてすらくれなかった。
「しゃちょ、だいりはっ! とっても、優しくて、……仕事もできて!」
「ああはいはい、ありがとうね」
「周りが見えてて、しっかりしてて! ちゃらちゃらしてるけど、すごく真面目でっ!」
「そっかそっか、嬉しいなー」
「そういう、ところを、私は好きに、なったのに……そんな、無理にだとか、勘違いだとか、ひどい言い方、するなんてっ!」
「悪かったって。そんな怒るなよ」
「怒りますよ!!」
車の助手席に押し込まれながら、私は彼の腕を両手で掴み、
「こんなに本気で大好きなのに、あんな振り方ひどすぎます!!」
通行人が振り返るのも無視して、ありったけの大声で叫んでやった。
は、とそこで我に返ったのは、さっきまでずっと続いていた億劫そうな相槌が途切れたからだ。目の前に社長代理の顔。大きな瞳をぱちぱち瞬きして、……頬が、赤い……?
「……とりあえず乗って!」
ぐいっと助手席に放り込まれて、乱暴に車のドアを閉められる。
そのまま運転席へと入ってきた社長代理は、ハンドルにかけた両手の間に顔を伏せて黙り込んでしまった。ここでようやく、私は自分がとんでもないことをしでかしたと気づく。なんてこった。つい怒りに我を忘れて、上司にとんだ失礼を……。
「……あのさ」
長いこと黙りこくっていた社長代理が、ひどく低い声でぽつりと呟く。私は跳ね上がるように肩を震わせ、姿勢を正して彼の言葉を待つ。
「……は、はい」
「お付き合いっていうのは、俺、やっぱりできないんだけど」
刺し貫くような胸の痛み。
改めてきちんと言葉にされると、それはそれで重たくて――でも、まだ続きがあるというみたいに、彼の唇は苦しそうに必死に言葉を探している。
「高階さえ、嫌じゃなければ――」
彼がゆっくりと顔を上げる。
気の毒そうな、申し訳なさそうな……それでいて、どこか甘えたような眼差しで、大きな瞳が私を射抜いた。
「――セフレになる?」
「じゃ、帰ろうか。家どのあたり? 近くまで送るよ」
歩道へ出た社長代理が、車の鍵を片手に振り返る。
そして、ふと表情を変えた。お店の前で立ちすくむ私が、いつかみたいに唇を噛み、アスファルトを睨みつけていることに気がついたからだ。
「高階?」
お腹の中の炎が熱い。
吐く息が頬を赤く染めていく。
あの夜あなたが灯した熱が、今でも疼きを訴えるように、私の中でくすぶっている。
「玲一さん」
周囲に漂う豚骨のにおい。繁華街特有の小汚い雰囲気。
ムードは最悪。でも、この勢いを止められないのは、今この瞬間が最初で最後のチャンスだと知っているから。
何も言わないまま別れてしまえば、また私たちは白紙に戻る。経営者と平社員。社長代理と新米秘書。前と後ろに並んで歩く、ビジネスのみの関係に戻ってしまう。
「帰りたく……ないです」
「…………」
「帰りたく、なくなっちゃったんです」
うつむく私の真正面へ、彼はゆっくりと向き直る。
私は意を決して顔を上げると、挑むような、なじるような瞳でまっすぐに彼を見つめた。
「あなたが好きです」
品のない客引きの声も、豪快な酔っ払いの声も、何もかもが彼方へと消えてあたりが沈黙に包まれる。
彼はその大きな瞳でまばたきもせず私を見つめる。私の言葉を一文字ずつ、着実に咀嚼するように。
そうしてやがて、彼はふいと逃げるように目を逸らした。何か言おうと開いた唇が、結局吐息だけを漏らして、きゅっと下唇を噛んだ後やや乱暴に頭を掻く。
私は黙って、待っている。どんな返事でも受け止める覚悟を、確かに持った――
「ごめん」
――つもりだった。
「悪いけどそれ、勘違いだと思うよ。うちの会社は男少ないし、俺たちは一緒にいる時間が長いから、なんかそんな気持ちになっちゃったってだけで」
「…………」
「誤解しないでほしいんだけど、高階のことはいい子だと思ってるよ。真面目で、仕事ができて、顔だって可愛いし。でも、だからこそ、変に俺に囚われないで、もうちょっと視野を広く持てないかな。別に」
そこで、ふっと小さく笑った彼は、
「俺がはじめての男だからって、無理に好きになる必要はないんだから」
自分自身を嘲笑うような、遠くを見るような眼差しで、そう言った。
私は――ただ立ちすくむ。喉元をやわく締められたみたいに、息苦しくて胸が痛い。じんと熱を持った頭が霞みがかったように重い。視界がぐらりと歪んでいく。まぶたをゆるく閉じるとともにフェイドアウトした彼の微笑が、分厚い水の膜をまとって揺らめきながら現れる。
「うわっ、高階?」
ぼたぼた、ぼたぼたと頬を伝うのは大粒の涙で、蛇口の壊れた水道みたいに次から次へと溢れてくる。
拭っても拭っても止まらない。……ああ、なんか鼻水まで出てきた。みっともなくて、恥ずかしくて、でもほとばしるものを抑えられない。
「わ、たし……無理に、すきに、なんて、そんなっ」
「おい、ここでは止めろ、泣くなって……人目があるから、ほら」
「そんなっ、つもりじゃ、……う、う、ほんとに、ほんきで、好きなのにっ、なんでっ」
「わかった、わかったから、……あー、車に戻ろう? とりあえず一旦、ちょっと落ち着こう。な?」
社長代理は子どもをあやすように私の背中を叩きながら、半ば引きずるようにコインパーキングへ歩き出した。私は化粧がドロドロになるのも構わず、大泣きしながらしゃくりあげる。悔しい。悔しい。すごく悔しい。
ただ振られるだけならまだよかった。そういう目で見られないとか、他に恋人がいるだとか。でも、今の言葉は明らかに違う。
私が告げた恋心を、彼は認めてすらくれなかった。
「しゃちょ、だいりはっ! とっても、優しくて、……仕事もできて!」
「ああはいはい、ありがとうね」
「周りが見えてて、しっかりしてて! ちゃらちゃらしてるけど、すごく真面目でっ!」
「そっかそっか、嬉しいなー」
「そういう、ところを、私は好きに、なったのに……そんな、無理にだとか、勘違いだとか、ひどい言い方、するなんてっ!」
「悪かったって。そんな怒るなよ」
「怒りますよ!!」
車の助手席に押し込まれながら、私は彼の腕を両手で掴み、
「こんなに本気で大好きなのに、あんな振り方ひどすぎます!!」
通行人が振り返るのも無視して、ありったけの大声で叫んでやった。
は、とそこで我に返ったのは、さっきまでずっと続いていた億劫そうな相槌が途切れたからだ。目の前に社長代理の顔。大きな瞳をぱちぱち瞬きして、……頬が、赤い……?
「……とりあえず乗って!」
ぐいっと助手席に放り込まれて、乱暴に車のドアを閉められる。
そのまま運転席へと入ってきた社長代理は、ハンドルにかけた両手の間に顔を伏せて黙り込んでしまった。ここでようやく、私は自分がとんでもないことをしでかしたと気づく。なんてこった。つい怒りに我を忘れて、上司にとんだ失礼を……。
「……あのさ」
長いこと黙りこくっていた社長代理が、ひどく低い声でぽつりと呟く。私は跳ね上がるように肩を震わせ、姿勢を正して彼の言葉を待つ。
「……は、はい」
「お付き合いっていうのは、俺、やっぱりできないんだけど」
刺し貫くような胸の痛み。
改めてきちんと言葉にされると、それはそれで重たくて――でも、まだ続きがあるというみたいに、彼の唇は苦しそうに必死に言葉を探している。
「高階さえ、嫌じゃなければ――」
彼がゆっくりと顔を上げる。
気の毒そうな、申し訳なさそうな……それでいて、どこか甘えたような眼差しで、大きな瞳が私を射抜いた。
「――セフレになる?」
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