初恋カレイドスコープ

雪静

文字の大きさ
上 下
11 / 50
第三章 こんにちは恋心

第十話

しおりを挟む
 藤沢駅まで、と一言告げて、タクシーはゆっくりと走り出す。

 社長代理と並ぶ後部座席。車窓から外を眺める横顔が、あまりにも綺麗でつい見入ってしまう。

「あの、ありがとうございました」

 小さな声でお礼を言うと、社長代理は目線だけをこちらへ向けて呆れたように苦笑した。

「次は自分で断りなよ」

 やっぱり。

 この人はきっと、私の本音を察した上で、わざわざ助けてくれたんだ。

 申し訳なさといたたまれなさと、それを遥かにしのぐ喜びにじわりと頬が熱くなる。ああ好き。本当に好き。何もかも見透かして、呆れた顔して、それでも助けてくれるあなたが好き。

「人事異動から一か月も経つのに、未だに異動した奴に頼ろうとするなんて、営業課にも困ったものだな」

「あの、私も悪いんです。今まではその、かなり率先してお酒の席に出ていたので」

「馬鹿だね、本当。誰彼構わず助けてやったところで、こっちに利益を返してくれる奴なんてほんの一握りだろうに」
 世の中は所詮ギブアンドテイクってこと? 見返りを期待できる相手だけ見極めて助けろということかしら。

 ずいぶん冷めた発想に聞こえるけど、その主張に反論するほど私は若くもピュアでもない。確かにあの先輩、飲み会の度に私を呼んで利用していたけれど、彼から何かをしてもらった経験はなかったような気がする。

(利益、か)

 私は今、社長代理に助けていただいた。

 つまり今の社長代理にとって、私は利益を返す見込みがある人間だということだ。

(私は社長代理に何を返せるだろう。この間の夜も、シンガポールでも、私はこの人から貰ってばかりだ)

 もし私が見返りのない人間だと判断されたなら、社長代理は私になんて目もくれなくなってしまうのだろうか。恐ろしい想像にぶるっと身震い。このままじゃだめだと気合を入れる。

「ところで社長代理、藤沢でのご用事とは……」

「ネイルサロンの抜き打ちチェック。うちのグループのサロンの中で、藤沢店だけが図抜けて評判悪いんだよ。だから視察……という名目で」

 そこで言葉を切り、社長代理はくしゃっと笑う。

「本当はちょっと、あの部屋から出たかったんだよね。あそこはどうも息が詰まるから」

 仕事中は怜悧な社長代理の、予想外の本音の言葉。

 まさか聞かせてもらえるとは思っていなくて、私は思わず目を丸くしてしまう。それはもちろん好意的というか、私に本音を教えてくれて嬉しいですという驚きだったのだけど、社長代理は少し恥ずかしそうに「誰にも言わないでよ」と言い添えた。

 言うわけないじゃない、こんな話。内緒にするに決まってる。

 私が胸にしまっておけば、今の言葉は二人だけの秘密にできるんだから。

「そういや、仕事とか溜まってた? 何も聞かずに連れ出しちゃったけど」

「そこまでではないので大丈夫です」

「そう? じゃあいいけど。変な残業になりそうなら言って。なんなら今から高階だけ戻ってもいいし」

「いいえ!」

 思わず声を上げた私に、今度は社長代理のほうがきょとんと目を丸くする。

 うわ、いけない。大声になりすぎた。慌てて言い訳を考えて、でも、結局何も思いつかなくて、私は両手を膝に置いたままもごもごと口ごもる。

「私も、ええと……あの部屋から、出たかったので」

 あなたと一緒にいられるのなら、そこが私のいたい場所。

 当然そんなこと言えるはずないから、あまりにも稚拙な嘘を並べるしかなかったのだけど。

 社長代理はうつむく私を大きな瞳でじっと見つめ、それから少し口元を緩めると、

「なら、よかった」

 と言って、窓の外へと穏やかな視線を投げかけた。




「しゃ、社長代理!?」

 社長代理が突然来たと聞いて、店長さんは当然だけどひっくり返るほど驚いた。大急ぎで出迎えの準備を整えようと声を張り上げる姿を見て、

「俺、来ない方が良かったね」

 と社長代理は眉を下げる。

 いい加減な接客。仕事が雑なネイリスト。

 口コミに書かれた様々な悪評を思い出しながら店を見回すけど、お店の中はとても華やか、多くのお客さんで賑わっているように見える。

 ただ、人手不足なのかな? あっちでもこっちでもネイリストさんが必死の顔で走り回っているし、お店の端々に埃が溜まっていたり、待たされたお客さんがイライラしていたり……そういうところから悪い評価が出てきてしまっているのかもしれない。

 社長代理もそんな雰囲気を察したのだろう。焦る店長をそっと呼び止め、

「僕がいても邪魔にしかなりませんし、今日は帰ります。突然ご迷惑をおかけしました」

 と、本当に申し訳なさそうに声を潜めて謝罪した。

「いえ、そんなとんでもない! ぜひご覧になってください、みんな誇りを持って仕事をさせていただいているんです」

 必死に頭を下げながら、店長さんは泣き出しそうな顔で言う。

「ただ今日は、子どもの発熱で何人かネイリストが帰ってしまったので、ちょっとバタバタしておりまして……」

 ああ、と。

 私と社長代理は顔を見合わせ、お互い軽く頷きあう。

 お茶をお出ししますという店長さんを制し、私たちは足早にお店を出ると、なんともいえない気持ちを吐き出すようにため息を吐いた。

 弊社――株式会社シーナコーポレーションは、日本でも有数の女性に優しい大企業だ。

 本社の社員も女性が多く、中でも目立つのは働く女性への支援が充実していること。椎名一華社長の意向で、シングルマザーやDV被害者の女性を積極的に雇用し、本人の特性に合わせた様々な資格の取得を勧め、実際に働いてもらっている。

 ネイルサロンもその一つ。弊社の事業の中では非常に人気の高い部署であり、多くの女性がネイリストの資格を得てあちこちで活躍しているのだけど。

「目下、うちの会社の一番の悩みだな」

 子どもを育てながら働く女性が多いということは、それだけ様々にお休みを取る従業員が多いことにもなる。

 不意の発熱や学校行事。もちろんそのための休暇取得は、弊社においては強く奨励されていることだ。共働きで夫が休みを取得してくれる夫婦ならまだしも、弊社で働く女性の多くはパートナーや実家に頼れず、自分一人で家事育児のすべてをこなさなければならない環境にある。

 だからきっと、多くの従業員は、休む母親を責めはしない。でも。

「その分、他の従業員に負担が行ってしまうのは事実ですからね」

「ああ。実際、年休の取得率についても、子どものいる職員といない職員でどうしても差が出てしまっている」

 シフト通りの体制が整わず、少ない人数で仕事を回すことで、本来ならできるはずの業務が立ち行かなくなってしまう。

 だからといって母親を責めることもできず、ストレスは徐々に蓄積されていき、やがていつか小さなほころびから大爆発へと繋がるだろう。

「これは完全に本社の責任だ。早めに対策を考えないと、取り返しのつかないことになる」

 ぶつぶつと小声でつぶやきながら、社長代理は真剣な表情で対策を考えているみたい。ちょっとあの部屋から出たかっただけ、なんて言いながら、なんとまあ真面目な人だろう。

(まじめな人)

 すべてを店長の責任にして、もっと頑張れと活を入れるのはたやすいこと。

 それだけでも別に、上司として仕事をした気分にはなれるだろう。まして彼は社長ではない。あくまでも代理でその席にいるだけだ。

 でも今、この人は責任者として、目の前の問題にきちんと向き合おうとしている。

 根本的に対策を講じ、行動を起こさなければ、何の解決にもならないだろうことを知っている。

(本当、まじめな人)

 まじめだねえ、と声をかけたくなる気持ちをこらえ、私は社長代理の斜め後ろにつく。ワイシャツの背中に滲んだ汗が、ちゃらついた仮面の下に隠された彼の真摯さを物語っているような気がした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

完全なる飼育

浅野浩二
恋愛
完全なる飼育です。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

Sweet Healing~真摯な上司の、その唇に癒されて~

汐埼ゆたか
恋愛
絶え間なく溢れ出る涙は彼の唇に吸い取られ 慟哭だけが薄暗い部屋に沈んでいく。    その夜、彼女の絶望と悲しみをすくい取ったのは 仕事上でしか接点のない上司だった。 思っていることを口にするのが苦手 地味で大人しい司書 木ノ下 千紗子 (きのした ちさこ) (24)      × 真面目で優しい千紗子の上司 知的で容姿端麗な課長 雨宮 一彰 (あまみや かずあき) (29) 胸を締め付ける切ない想いを 抱えているのはいったいどちらなのか——— 「叫んでも暴れてもいい、全部受け止めるから」 「君が笑っていられるなら、自分の気持ちなんてどうでもいい」 「その可愛い笑顔が戻るなら、俺は何でも出来そうだよ」 真摯でひたむきな愛が、傷付いた心を癒していく。 ********** ►Attention ※他サイトからの転載(2018/11に書き上げたものです) ※表紙は「かんたん表紙メーカー2」様で作りました。 ※※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

社長室の蜜月

ゆる
恋愛
内容紹介: 若き社長・西園寺蓮の秘書に抜擢された相沢結衣は、突然の異動に戸惑いながらも、彼の完璧主義に応えるため懸命に働く日々を送る。冷徹で近寄りがたい蓮のもとで奮闘する中、結衣は彼の意外な一面や、秘められた孤独を知り、次第に特別な絆を築いていく。 一方で、同期の嫉妬や社内の噂、さらには会社を揺るがす陰謀に巻き込まれる結衣。それでも、蓮との信頼関係を深めながら、二人は困難を乗り越えようとする。 仕事のパートナーから始まる二人の関係は、やがて揺るぎない愛情へと発展していく――。オフィスラブならではの緊張感と温かさ、そして心揺さぶるロマンティックな展開が詰まった、大人の純愛ストーリー。

腹黒上司が実は激甘だった件について。

あさの紅茶
恋愛
私の上司、坪内さん。 彼はヤバいです。 サラサラヘアに甘いマスクで笑った顔はまさに王子様。 まわりからキャーキャー言われてるけど、仕事中の彼は腹黒悪魔だよ。 本当に厳しいんだから。 ことごとく女子を振って泣かせてきたくせに、ここにきて何故か私のことを好きだと言う。 マジで? 意味不明なんだけど。 めっちゃ意地悪なのに、かいま見える優しさにいつしか胸がぎゅっとなってしまうようになった。 素直に甘えたいとさえ思った。 だけど、私はその想いに応えられないよ。 どうしたらいいかわからない…。 ********** この作品は、他のサイトにも掲載しています。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

そんな目で見ないで。

春密まつり
恋愛
職場の廊下で呼び止められ、無口な後輩の司に告白をされた真子。 勢いのまま承諾するが、口数の少ない彼との距離がなかなか縮まらない。 そのくせ、キスをする時は情熱的だった。 司の知らない一面を知ることによって惹かれ始め、身体を重ねるが、司の熱のこもった視線に真子は混乱し、怖くなった。 それから身体を重ねることを拒否し続けるが――。 ▼2019年2月発行のオリジナルTL小説のWEB再録です。 ▼全8話の短編連載 ▼Rシーンが含まれる話には「*」マークをつけています。

処理中です...