ランジェリーフェチの純情少年と純愛青春

清十郎

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エピローグ

第60話 ナイトクラブ

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 大都会、そこは数えきれない幸せと悲しみが交錯する不夜城でもあります。しかし、そこでは、幸せよりも悲しみの量の方が多いように感じる人は少なくありません。

 それでも人々はこの街に集まってきます。なぜなら、この街にはごく特殊な事情や背景を持つ人々であっても、それをより凝縮した環境で存在しやすくできる場所を、提供してくれる優しさがあるからです。

 そんな街の片隅、やはり特殊な事情を抱えた男女が行き交う地区の街角、多くのきらびやかなネオンが、そこに住まう人々の悲しみや痛みを、少しでも和らげねぎらうかのように、きらびやかさを誇り競いあって光り輝いていました。

**********

 その街の中の、とあるナイトクラブ……そんなに大きくはない店内のボックス席で、一組の男女が話しこんでいました。

 ひとりは20代前半の若く美しいホステスです。でも、ホステスにしてはケバケバしい原色使いのドレスでもなく、また、背中こそ少々開いているものの、露出度も少なめな七分袖のシックな感じのワンピースドレスを着ていました。紺地に大きめの花柄のプリントをあしらった、清楚で品の良いドレスです。

 それに対面している男性客は、よれよれのブラウン系スーツを着た30代も結構いってるような風体で、メガネをかけたパッとしないおじさんでした。

「でも、改めて見ても、ほんとにお美しいですね。わたしも仕事抜きで通いたいくらいですよ。」

「お上手ですね。でも、わたしたちにお熱を上げると火傷しちゃいますよ。ここはストレスでもなんでも、楽しんでいただくためにおいでください。」

 そのうら若き美しい新米ホステスが口に手を当てて、コロコロと笑います。

「そのお言葉に甘えて、ついついまた来たくなるんですよ。」

 ふたりは楽しそうにグラスを重ねます。

「でも、あなたも大変ですね。わたしのこんな話しが記事になるのかしら? もう一週間も通いつめじゃないの。」

 その美しいホステスがその客に水割りを差し出しながら言いました。

「いえいえ、とてもいい話をきかせてもらいました。長いことお付き合い願い、ほんとにありがとうございました。」

 その客は、思い出したようにテープを回しながら、前に聞いてテープ起こしした資料を再確認しつつ、水割りを一気にゴクリと口に流し込みました。

「いいのよ。わたしも商売ですから、酒を飲もうが話をしようが、お金さえもらえれば別に構わないんです。でも、しつこいようで申し訳ありませんが、記事にするなら、匿名でお願いしますね。」

 そのホステスは、出したばかりの客が飲み干したグラスを受け取り、新たに水割りを作りながら話し続けました。

「それにね、ここにいるお姉さんたちはみんな多かれ少なかれ似たような辛い思い出を持っているわよ。わたしだけじゃないわ。……みんな、つらい過去と一緒にそれまでの自分を消去して、新しく生まれ変わったの。だから、お姉さんたちは、みんなこんなに明るいの。」

 彼女は店内を見渡して、先輩のホステス達を優しい目で見つめています。それだけで、彼女が周りの先輩同僚から良くしてもらっているのが分かるような気がします。

「そうですね、人の数だけ物語はありますから。だからこそわたしのような者の仕事が必要なんです。……それはそうと、こちらのお店には大学を出てすぐに入ったんですか?」

 ふと、我に返ったように客に向きなおった彼女が答えます。

「いえ、大学からは京王線で一本だったし、在学中からここでバイトをさせてもらってたんです。思い切ってやってみたら、なんとなく肌が合うみたいだったし、なんとなくこっちの世界にこようかなと。……でも、高校3年の時から、漠然とそうは思っていたの。」

 そのホステスは、ややかげりのある寂しげな微笑みを浮かべて答えました。

「なるほど、だから現代社会学科なんて珍しいとこに行ってみたんですか。」

 その記者は、その答えにひとり合点したように頷いています。

「まぁ、高校の頃は漠然としていて、まだよく分からなかったけど。……でも、就職は普通にしましたよ。親をだますみたいで悪かったけど。一応は親を安心させて義理を果たしてから、すぐに仕事をやめて親とも音信を絶っちゃった。こちらのママにお願いして住所も転々としてね。」

 ちょっと恥ずかしそうに、でも、ちょっといたずらな笑顔をして、可愛い舌をチロリと出して答えます。その言葉の中にはお店のママに対する信頼と感謝の気持ちが感じられました。

「そうだよ。うちのニューフェイス、最近の中でもピカイチの可愛い子なんだよ。だから、ヤマちゃん、変なこと書いたら承知しないからね。」

 すると、なかなかに個性的な貫禄のある先輩ホステスさんが素っ頓狂な声をあげてやってきました。

「え~ん、ママ~! あたしはぁ! いっつもレンホーちゃんばっかし~! 」

 そういうキャラクターなのか、ついつい周囲からも笑いが起きています。ママはそういう習性が身についているのか、別に笑うでもなく、憮然とした表情で辛辣に答えます。

「あんたはイロモノだからいいんだよ! この子はあたしらとは違う正統派さ。だから変なAVやグラビアの奴らに騙されないように、あたしがお目付け役やってんだよ。そこんとこ、ヤマちゃんも気をつけてくれよ。」

 ママからたしなめられたその先輩は、口を尖らせていじけたような表情をしていますが、思ったほどには深刻に受け止めてはいないようです。恐らくは似たようなやりとりが、日常茶飯事的に常日頃から行われていたのでしょう。

「……まったく、なんべん名前を間違えるかね。性格は悪くはないんだけど、オツムがちょっと弱いからねぇ。」

 ヤマちゃんと言われたそのルポライターも頭をかきながら、そんな困った風でもないながらも、とりあえず抵抗の返事だけは返してきました。

「まいったなぁ、ママ、昔からの付き合いじゃない。ママに迷惑かけたことなんかないでしょう。だから、お店に来てお話しを聞いてるんじゃない。」

「結構、迷惑してんだよ、この疫病神! 寛大なあたしじゃなかったら、とっくに、その汚いケツ、蹴っ飛ばして、はっ倒してるよ。お店の外でうちの子にちょっかいかけたら許さないからね。」

 ママは憮然とした表情で、遠慮会釈なしに返します。

「ひどいなぁ。」

「ふふふ。」

 そのルポライターもさすがのママには貫禄負けです。頭をかいたまま反論のしようもありません。その美人ホステスも口に手を当ててコロコロと笑ってしまいました。

**********

「あぁ、そうそう、最後に、あなたにお会いしたいという方たちがいるんですけど、……ごめんなさい、実はもう、そこに来てるんです。」

 彼女の顔が、一瞬、曇りました。無理もありません。過去を捨てて別の世界に飛び込んだ人間に会いたいなんて、誰が来たとしてもあまり歓迎できそうにはないと感じざるを得ません。

 突然のその言葉に、先刻のママも厳しい目つきでそのルポライターを睨み付けます。

「え? そんなこと……いきなり、わたし、困ります……。」

 しかし、彼女が逃げるように席を立つのを待つまでもなく、ふいにお店のドアが開いて、一人の女性が入ってきました。

 年の頃は30代の半ばくらい、この場所にはそぐわない、美しい楚々とした女性です。ホステスは、もはやその場を去る機会を逃したことを知りました。

 その女性はゆっくりとホステスのいるボックスシートに歩み寄ってきました。懐かしい優しい笑顔を表情にたたえて。

「ずいぶんと探したのよ。……でも、元気そうで良かった。」

 そのホステスは、入ってきた女性の姿を見て、身体全体が金縛りにあったようになってしまいました。今の自分の姿を、一番、見られたくない人に見られてしまったのかもしれません。

 しばらく、ふたりは視線を合わせましたが、先にホステスの方が視線に耐えきれなくなったかのように目を伏せてしまいました。彼女は耐えきれないこの場の雰囲気に抗うように、膝の上に置いた両手に握りしめたハンカチを強く握りしめています。

 そして、顔を伏せたまま、かすれるような小さな声で言いました。

「レミねぇ……なんで、ここに……。」

 お店に入ってきた女性は涙を浮かべながら、それでもようやく会えた喜びで、嬉しそうに微笑みながら話します。

「圭子からも聞いていたの。圭子はちょっと誤解していたけど、……でも、圭子から紹介されたルポライターの方達に声をかけて、ようやくあなたを見つけることができたわ。」

 そのホステスには懐かしい名前です。それは、彼女の田舎にある地元新聞社の女性記者の名前でした。しかし、その名前は、彼女にとっては辛く苦い思い出に繋がる名前でもありました。

「……突然でごめんなさい。でも、こうでもしないと、あなたはきっと、わたしに会ってはくれないと思ったから。」

 そして、女性はそのホステスに向かい深々と頭を下げて言いました。

「……本当にごめんなさい、あなたを追い詰めたのは、わたしだったね。わたしが、あなたの気持ちに応えられなかったこと、それが良かったのかどうか、まだ分からない。」

 そう言った女性の顔は苦渋に満ちていました。でも、顔を上げて次の言葉を繋いだ時の彼女の顔は、ようやく会えた安堵の微笑みを浮かべています。

「……でも、1日もあなたのことを忘れた日はなかった。」

 顔を上げたその女性は涙ぐんでいましたが、その後もそのホステスに視線を外さず、じっと優しい微笑みを投げかけてきました。そして、その女性に答えるように、ホステスはポツポツと話し始めました。

「……いえ、追い詰められたなんてわたしは思っていない。最初からここがわたしの居場所だったの。ここにいて、新しい家族が出来て、わたしは初めて心から自由になれたの。」

 そう言ったそのホステスは、顔を上げると、哀しそうな笑顔を向けて話しを続けます。

「だからレミねぇが責任を感じることはないわ。わたしは、今、とっても自由で、とっても幸せなの。」

「……しんちゃん。」

 懐かしいその名前を口にした女性の表情が、少しだけ曇ったように見えました。

「私にとっては、とても豊かで幸せな青春だった。……お姉ちゃんとの思い出は楽しく美しいものばかり、お姉ちゃんとの別れも、わたしにはとても素晴らしい思い出だった。」

 そう話すホステスは、懐かしい過去を思い出しているのか、柔らかな笑みを浮かべています。

「だから、お姉ちゃんには感謝しかないし、他のみんなにも。……でも、これ以上、誰も愛したくないというのは本当なの。……だから、……だから。」

 そして、そのホステスは言葉と姿勢を改めました。席から立ち上がり、両手を前に揃えて、丁寧に語りかけました。

「お客様……お客様がお探しの方は、ここにはおりません。それに、ここは、お客様のような方の来られる所ではありません。……どうぞ、お引き取りください。」

 そのホステスは哀しい笑顔でその女性に対面し、頭を深々とさげました。

 ホステスの目の前の女性は、とりつくしまのないその様子に深い戸惑いをみせたまま、どうしようもなく立ちつくしていました。ふたりの間で、冷たく時間だけが凍りついたようになります。

「お客様がお探しのお方は、もうお亡くなりになったのです。この世のどこにも、そのお方はおりません。」

 感情を消し去ったかのようなホステスの悲しい作り笑顔に、その女性は自分の無力さを恨みました。崩れるように膝をついた女性は、床に手をついて涙に暮れるしかありませんでした。

「しんちゃん……、ごめんなさい……。もっと……もっと早く、あなたの苦しみに気付いてあげられたら……。もっと早く、あなたのもとに駆けつけられたら……。」

 嗚咽をする彼女の声だけが店内にしみわたります。それほどに、いつしか店内の喧騒までが凍りついたようになっているのでした。
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