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土屋朱美の章
第29話 絶縁宣言
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(これまでのあらすじ……)
愛するおばさんとの辛い別れを経た少年は中学生活の中で思いを募らせた少女と同じ道を歩み始めますが、高校3年の春、愛する少女は遠く異郷の土地で不慮の事故死を迎えました。少女の死に責任を感じる少年の悲壮な様子に、少女は我を忘れて少年に飛び込み口づけをしてしまいました。少年もまた次第に少女にひかれつつある時、理恵子の事件の際に知り合った女性記者と再会しました。その時、新聞記者から言われた言葉に少年はショックを受けます。自分はあれほど愛し合った理恵子のことを忘れてしまったのか。大好きだったおばさんの思い出も含め、自分の愛とはそんなものだったのか、少年は愕然としたのです。少年は決意を秘めて少女の自宅を訪ねようとしましたが、かえってそこで少女の介抱を受ける羽目になり、目的を果たせませんでした。それどころか、少女の体操着で自慰をしてしまい、更なる自己嫌悪に陥ります。
**********
いつものように爽やかな朝が訪れました。少年が憂鬱に感じるほどに美しい秋晴れの空でした。もう9月も最後の日で、明日からは衣替えで、学生達も黒ずくめとなります。
少年が駅に来ると通勤通学の人波が、改札に向けて、更にはホームに向けて、大きな流れを作っています。今日も、これから、少年にとっての無意味で張り合いのない日々が始まります。
「あだち先輩!」
突然、背後から少年にをかけてくる人がいました。少年が振り替えると、そこに中村朋美が底抜けに明るい笑顔で立っていました。
「……やあ。」
朋美は、濃紺のベストとスカートから見える白い長袖のブラウスが、爽やかにまぶしい中間服の中央高校の制服姿……かつて、2年間一緒に通学した理恵子と同じ服装で、少年はその制服姿を懐かしく見つめました。
でも、その少女の笑顔は、彼女なりに頑張って無理をしている作り笑いであることは、彼女の口の端の不自然なヒクツキで、なんとなくそれと感じられました。
辛いときの特効薬は心から笑うこと、恐らくは、それを健気に少年の前で実践してくれているのでしょう。
「先輩のことを、ずっと心配していました、元気を出してください。」
他に言うべき言葉もなかったのでしょうが、彼女の飾り気のない精一杯の誠意は、少年にもよく伝わりました。
地方都市の同じ年代の子のニュースですし、ましてや同じ出身中学で朋美と同じ高校の生徒です。根拠のない不確かな噂まで含めて話しが広がらないわけがありません。
それに後輩のこの彼女にも、あの時のデートで、ブリュッセルにいる理恵子のことをも確かに話しをしていました。彼女にとっても理恵子の事件は衝撃であったろうと思います。
「ありがとう。」
少年は無理に作った照れたような笑顔で、右手で小さくガッツポーズを見せました。けなげに、小さな胸を、その少年のことで悩み痛めている後輩の少女に、可愛い妹のようなその子に、暗い顔をしても何の益もありません。
歳上の先輩に憧れを持つ少女なんて思春期にありがちな話しです。その少女は、勇気を奮って声をかけるという自分の行動に酔って満足することでしょう。それが彼女にとっての青春の1ページを飾るのであれば、それで良いと少年は思っていました。
しかし、振り返った少年が目にとめたのはそれだけではありませんでした。中村朋美の後方、数メートル先に、中学の合唱団からの朋美の友人達の姿が見えました。彼女達は一様に少年に対して冷たい視線を投げつけていました。
慎一は、思わずそれを見ていないようなフリをして、視線を落としました。そして、早々に挨拶を切り上げて、この場を離れなければならない必要性にとらわれたのでした。
「じゃあね……。」
そう言って手を振り、少年は後輩の少女に背を向けました。その少女は笑顔のまま、キラキラするあどけない瞳で少年の後ろ姿を見送りました。しかし、一方の少年は、後輩に背を向けると、再び深い憂いを帯びた表情に戻ってしまいました。
**********
電車に揺られながら、少年は再び自己嫌悪にさいなまれます。ついさっき、後輩から挨拶された時、自分は朋美の制服ブラウスの奥の、スリップの肩紐ストラップを無意識に追っていました。
(なんていやな自分なんだろう、妹としか思っていないなんて言いながら、そんな女の子にぼくは欲情したと言うのか? )
少年はふしだらな自分への激しい嫌悪感を感じてしまいました。あの純粋な素直な子に、自分はふさわしくないと思えるほどに、少年は自分を唾棄していました。
そう言えば、後ろの後輩達の中にも何人かセーラー服姿の子もいました。自分に突き刺さるような冷たく軽蔑するような瞳が、そこらじゅうにあるようにさえ感じてしまいます。
遠目でしたが、あれは間違いなく城東女子の制服です。まだ自分は世間の好奇の目から追いかけられている……そう思うと少年はやるせない気持ちになってしまいます。たとえそれが、理恵子とその家族を死に追いやった罪の戒めであると自覚していたとしても。
(朋美ちゃん、ありがとう。……でも、彼女のためにも、ぼくはあまり仲良くならない方が良い。朱美のような辛さや苦しみは、あの可愛い無邪気な笑顔には似合わない。)
そこで少年は改めて気づかされたのです。
(そうだ、朱美のためにも、ぼくはいつまでも愚図愚図できないんだ。)
**********
「いい加減に目をさましなさいよ。」
電車の吊り革につかまった女子高生の一団が会話をしています。
「えぇ……でも……。」
ひとりの少女が口ごもります。
「あの男は、もう、昔の優しかった先輩じゃないのよ。分かって、わたしは朋美のことが心配なだけ。」
「そうだよ、久美子の言う通りだよ。わたしだって最初は信じらんなかったよ。でも、見た友達が何人もいるんだから。」
「そうそう、女を騙す奴に限って、優しいこと言うんだから。朋美みたいにトロいのが騙されて、飽きたらポイッて、中央高の理恵子先輩みたいに捨てられちゃうんだよ。」
「だよね。あいつ、すぐ、可愛いね、とか、綺麗だね、とか、口だけはうまいから、油断してると乗せられちゃうから。さっきも朋美をイヤらしい目つきで見ていたよ。」
次から次へと、十代の女子トークは矢継ぎ早に機関銃の連射のように、途切れる隙もありません。
「でも……。」
その少女は知っていました。先輩がどれほどベルギーに行った恋人のことを愛しているか。一度だけでしたが、丸一日親しく話しをしてくれた先輩は、いつもどんな時も恋人のことを忘れていることはありませんでした。
先輩を慕う少女としては、それは辛く残念なことだったかもしれません。でも、残念に思う以上に、先輩の恋人に対する深い愛情と誠実さを知って、少女はもっと先輩のことがより大好きになったのも事実です。
だからこそ、友人たちが自分を心配してくれている深い友情を感じながらも、どうしてもうまく自分の思いを理解してもらえない辛さが一層つのるのでした。
「でも……。」
口ごもる少女を押さえ、会話を主導していた背の高いボーイッシュな男前の女子高生が、最終裁決を下します。
「デモもカカシもない!わたしがクギ刺してきてやるから。いい、朋美も、もう綺麗さっぱり忘れるんだよ。」
「……。」
何も言えぬままの少女は、うつむいたまま暗い顔をしていました。
(辛いときの特効薬は、心から笑うこと……笑わなきゃ……笑わなきゃ……。)
頑張っても、頑張っても、どうしても顔が歪んでしまい、笑顔の作り方を忘れて、泣きそうになる少女でした。
**********
数日後の日曜日、少年が自宅にこもり受験勉強をしていた時のことでした。
「慎一、下の階の久美ちゃんが来てるわよ。久しぶりだけど、ずいぶん綺麗になったわね。……ほら、慎一、女の子を待たせちゃダメでしょ。」
母親から呼ばられた少年が玄関に向かうと、そこには同じマンションに住んでいる後輩の柏倉久美子が立っていました。
「こんにちは。あだち先輩、お休みの日に申し訳ありませんでした。ちょっとだけ、お時間よろしいですか。」
慎一の母が応対していた時にはにこやかな笑顔を浮かべていた久美子でしたが、母が中へ引っ込むと、途端に顔を引き締めたようにして、改まった口調で慎一に話しました
いつもはもっとフランクな口調で慎一に話しかける久美子でしたが、丁寧過ぎる言葉はかえって慎一に緊張感を強いらせました。それだけに、どんな用件で来たのか、慎一にもおおよそ察しがつきそうな雰囲気でした。
呼び出された少年は、その少女の先導で、マンションの共用部分であるテラス通路の一番端に行きました。
彼女がどんな用件で来たのか、少年には薄々分かっていました。彼女は中村朋美と親友と言える程に仲が良く、また、彼女は土屋朱美と同じ城東女子に通っています。
通路の行き止まり、建物の端まで来たところで彼女は振り向き、少年と対峙しました。しかし、少年は彼女と向かい合う必要を感じず、彼女に対して横向きとなって、テラス通路の欄干に手を付きました。
「なんとなく分かるような気もするけど……用件ってなんだい? 」
少年は別に虚勢をはったわけでもなく、最初から自分を飾るつもりもないので自然にそうしたのですが、彼女は傲慢に無視されたような気持ちになったらしく、初手から挑戦的な言葉が出たのでした。
「失礼を承知で、結論から申し上げますが、あだち先輩、今後は一切、朋美に近づかないでください。」
少年の予測通り、やはり、用件というのはそれでした。
「同じ中学でしたから、私も三枝理恵子先輩のことは知ってます。後輩の間でも先輩達は有名でした。私達みんなが憧れた相思相愛の素敵なカップルでした。だから、わたしも先輩のことが大好きでした。」
少女は怒りで睨み付けるような激しい目を向けています。
「でも、あの事件のあと、先輩は理恵子さんのお葬式にも来なかった。それどころか、あの事件の前から、先輩は城東の女子と付き合っているのを見た人が何人もいます。……あなたは、私達が大好きだった優しかったあの先輩じゃない。先輩を見損ないました。不潔です。」
理恵子が死ぬ前に少年が土屋朱美と会ったのは1回だけ、それも本当に偶然の出来事でした。しかし、人の噂なんてそんなものです。前後関係は面白い方向に簡単に置き換えられるものです。
慎一には、理恵子が死んでから、もしくは、その前から別の女性と付き合っていたひどい男という噂が広まっているであろうことを、なんとなく知っていました。しかし、それを無理に否定するつもりもありませんでした。
偶然とはいえ、朱美と会ったのは事実だし、その後も何度も会っていることも疑いようのない事実です。しかも、いきさつはともかく、唇まで重ね合った少年に弁解の余地はありません。
すべては彼女の言う通りです。少年はそれで良いと思いました。事実ですから、少年が言い訳する必要性も認められません。
それに、少女の怒りにも正当な理由がありました。少年は彼女達の信頼を裏切り、ある意味で、彼女達の夢や理想をぶち壊しにしたのですから。その点につき、自分は言い訳できる立場にはないと思っていました。
「先輩が何をしようと構いませんが、わたしの大事な友達の朋美を悲しませることは、絶対に見過ごせません。だから、これからは絶対、朋美に近づかないでください。今、ここでわたしに約束してください。」
素晴らしい友人愛です。
少年は思い出しました。柏倉久美子は、見た目にも背が高く短髪のボーイッシュな子でしたが、性格も一本気の男まさりなのでした。何も言えない内気な子に代わって、先生や男子とも堂々と渡り合う光景を、短い合唱団生活の中で何度も垣間見たことを少年は覚えています。
(この子の言う通りだ。ぼくが近くにいたら、朋美ちゃんもきっと不幸になる。この子はしっかりしているから、あの甘えん坊な感じの朋美ちゃんも、きっと頼りにするだろう。)
少年は振り替えって柏倉久美子に正対しました。そして、微笑みながら答えました。
「約束する。中村さんとは、もう会わない。……それで良いね、久美ちゃん。」
少年はむしろスッキリした気持ちになりました。今までもやもやしてウジウジと思い悩んでいたことが軽くなったように感じたのです。
そして、それと共に、今の自分がやるべきこと、やらねばならないことが一体、何か、ハッキリと見えたように感じたのでした。
(……ありがとう、久美ちゃん。本当にありがとう。)
少年は傲然と立ち去る久美子の後ろ姿に、心から感謝して見送るのでした。
愛するおばさんとの辛い別れを経た少年は中学生活の中で思いを募らせた少女と同じ道を歩み始めますが、高校3年の春、愛する少女は遠く異郷の土地で不慮の事故死を迎えました。少女の死に責任を感じる少年の悲壮な様子に、少女は我を忘れて少年に飛び込み口づけをしてしまいました。少年もまた次第に少女にひかれつつある時、理恵子の事件の際に知り合った女性記者と再会しました。その時、新聞記者から言われた言葉に少年はショックを受けます。自分はあれほど愛し合った理恵子のことを忘れてしまったのか。大好きだったおばさんの思い出も含め、自分の愛とはそんなものだったのか、少年は愕然としたのです。少年は決意を秘めて少女の自宅を訪ねようとしましたが、かえってそこで少女の介抱を受ける羽目になり、目的を果たせませんでした。それどころか、少女の体操着で自慰をしてしまい、更なる自己嫌悪に陥ります。
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いつものように爽やかな朝が訪れました。少年が憂鬱に感じるほどに美しい秋晴れの空でした。もう9月も最後の日で、明日からは衣替えで、学生達も黒ずくめとなります。
少年が駅に来ると通勤通学の人波が、改札に向けて、更にはホームに向けて、大きな流れを作っています。今日も、これから、少年にとっての無意味で張り合いのない日々が始まります。
「あだち先輩!」
突然、背後から少年にをかけてくる人がいました。少年が振り替えると、そこに中村朋美が底抜けに明るい笑顔で立っていました。
「……やあ。」
朋美は、濃紺のベストとスカートから見える白い長袖のブラウスが、爽やかにまぶしい中間服の中央高校の制服姿……かつて、2年間一緒に通学した理恵子と同じ服装で、少年はその制服姿を懐かしく見つめました。
でも、その少女の笑顔は、彼女なりに頑張って無理をしている作り笑いであることは、彼女の口の端の不自然なヒクツキで、なんとなくそれと感じられました。
辛いときの特効薬は心から笑うこと、恐らくは、それを健気に少年の前で実践してくれているのでしょう。
「先輩のことを、ずっと心配していました、元気を出してください。」
他に言うべき言葉もなかったのでしょうが、彼女の飾り気のない精一杯の誠意は、少年にもよく伝わりました。
地方都市の同じ年代の子のニュースですし、ましてや同じ出身中学で朋美と同じ高校の生徒です。根拠のない不確かな噂まで含めて話しが広がらないわけがありません。
それに後輩のこの彼女にも、あの時のデートで、ブリュッセルにいる理恵子のことをも確かに話しをしていました。彼女にとっても理恵子の事件は衝撃であったろうと思います。
「ありがとう。」
少年は無理に作った照れたような笑顔で、右手で小さくガッツポーズを見せました。けなげに、小さな胸を、その少年のことで悩み痛めている後輩の少女に、可愛い妹のようなその子に、暗い顔をしても何の益もありません。
歳上の先輩に憧れを持つ少女なんて思春期にありがちな話しです。その少女は、勇気を奮って声をかけるという自分の行動に酔って満足することでしょう。それが彼女にとっての青春の1ページを飾るのであれば、それで良いと少年は思っていました。
しかし、振り返った少年が目にとめたのはそれだけではありませんでした。中村朋美の後方、数メートル先に、中学の合唱団からの朋美の友人達の姿が見えました。彼女達は一様に少年に対して冷たい視線を投げつけていました。
慎一は、思わずそれを見ていないようなフリをして、視線を落としました。そして、早々に挨拶を切り上げて、この場を離れなければならない必要性にとらわれたのでした。
「じゃあね……。」
そう言って手を振り、少年は後輩の少女に背を向けました。その少女は笑顔のまま、キラキラするあどけない瞳で少年の後ろ姿を見送りました。しかし、一方の少年は、後輩に背を向けると、再び深い憂いを帯びた表情に戻ってしまいました。
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電車に揺られながら、少年は再び自己嫌悪にさいなまれます。ついさっき、後輩から挨拶された時、自分は朋美の制服ブラウスの奥の、スリップの肩紐ストラップを無意識に追っていました。
(なんていやな自分なんだろう、妹としか思っていないなんて言いながら、そんな女の子にぼくは欲情したと言うのか? )
少年はふしだらな自分への激しい嫌悪感を感じてしまいました。あの純粋な素直な子に、自分はふさわしくないと思えるほどに、少年は自分を唾棄していました。
そう言えば、後ろの後輩達の中にも何人かセーラー服姿の子もいました。自分に突き刺さるような冷たく軽蔑するような瞳が、そこらじゅうにあるようにさえ感じてしまいます。
遠目でしたが、あれは間違いなく城東女子の制服です。まだ自分は世間の好奇の目から追いかけられている……そう思うと少年はやるせない気持ちになってしまいます。たとえそれが、理恵子とその家族を死に追いやった罪の戒めであると自覚していたとしても。
(朋美ちゃん、ありがとう。……でも、彼女のためにも、ぼくはあまり仲良くならない方が良い。朱美のような辛さや苦しみは、あの可愛い無邪気な笑顔には似合わない。)
そこで少年は改めて気づかされたのです。
(そうだ、朱美のためにも、ぼくはいつまでも愚図愚図できないんだ。)
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「いい加減に目をさましなさいよ。」
電車の吊り革につかまった女子高生の一団が会話をしています。
「えぇ……でも……。」
ひとりの少女が口ごもります。
「あの男は、もう、昔の優しかった先輩じゃないのよ。分かって、わたしは朋美のことが心配なだけ。」
「そうだよ、久美子の言う通りだよ。わたしだって最初は信じらんなかったよ。でも、見た友達が何人もいるんだから。」
「そうそう、女を騙す奴に限って、優しいこと言うんだから。朋美みたいにトロいのが騙されて、飽きたらポイッて、中央高の理恵子先輩みたいに捨てられちゃうんだよ。」
「だよね。あいつ、すぐ、可愛いね、とか、綺麗だね、とか、口だけはうまいから、油断してると乗せられちゃうから。さっきも朋美をイヤらしい目つきで見ていたよ。」
次から次へと、十代の女子トークは矢継ぎ早に機関銃の連射のように、途切れる隙もありません。
「でも……。」
その少女は知っていました。先輩がどれほどベルギーに行った恋人のことを愛しているか。一度だけでしたが、丸一日親しく話しをしてくれた先輩は、いつもどんな時も恋人のことを忘れていることはありませんでした。
先輩を慕う少女としては、それは辛く残念なことだったかもしれません。でも、残念に思う以上に、先輩の恋人に対する深い愛情と誠実さを知って、少女はもっと先輩のことがより大好きになったのも事実です。
だからこそ、友人たちが自分を心配してくれている深い友情を感じながらも、どうしてもうまく自分の思いを理解してもらえない辛さが一層つのるのでした。
「でも……。」
口ごもる少女を押さえ、会話を主導していた背の高いボーイッシュな男前の女子高生が、最終裁決を下します。
「デモもカカシもない!わたしがクギ刺してきてやるから。いい、朋美も、もう綺麗さっぱり忘れるんだよ。」
「……。」
何も言えぬままの少女は、うつむいたまま暗い顔をしていました。
(辛いときの特効薬は、心から笑うこと……笑わなきゃ……笑わなきゃ……。)
頑張っても、頑張っても、どうしても顔が歪んでしまい、笑顔の作り方を忘れて、泣きそうになる少女でした。
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数日後の日曜日、少年が自宅にこもり受験勉強をしていた時のことでした。
「慎一、下の階の久美ちゃんが来てるわよ。久しぶりだけど、ずいぶん綺麗になったわね。……ほら、慎一、女の子を待たせちゃダメでしょ。」
母親から呼ばられた少年が玄関に向かうと、そこには同じマンションに住んでいる後輩の柏倉久美子が立っていました。
「こんにちは。あだち先輩、お休みの日に申し訳ありませんでした。ちょっとだけ、お時間よろしいですか。」
慎一の母が応対していた時にはにこやかな笑顔を浮かべていた久美子でしたが、母が中へ引っ込むと、途端に顔を引き締めたようにして、改まった口調で慎一に話しました
いつもはもっとフランクな口調で慎一に話しかける久美子でしたが、丁寧過ぎる言葉はかえって慎一に緊張感を強いらせました。それだけに、どんな用件で来たのか、慎一にもおおよそ察しがつきそうな雰囲気でした。
呼び出された少年は、その少女の先導で、マンションの共用部分であるテラス通路の一番端に行きました。
彼女がどんな用件で来たのか、少年には薄々分かっていました。彼女は中村朋美と親友と言える程に仲が良く、また、彼女は土屋朱美と同じ城東女子に通っています。
通路の行き止まり、建物の端まで来たところで彼女は振り向き、少年と対峙しました。しかし、少年は彼女と向かい合う必要を感じず、彼女に対して横向きとなって、テラス通路の欄干に手を付きました。
「なんとなく分かるような気もするけど……用件ってなんだい? 」
少年は別に虚勢をはったわけでもなく、最初から自分を飾るつもりもないので自然にそうしたのですが、彼女は傲慢に無視されたような気持ちになったらしく、初手から挑戦的な言葉が出たのでした。
「失礼を承知で、結論から申し上げますが、あだち先輩、今後は一切、朋美に近づかないでください。」
少年の予測通り、やはり、用件というのはそれでした。
「同じ中学でしたから、私も三枝理恵子先輩のことは知ってます。後輩の間でも先輩達は有名でした。私達みんなが憧れた相思相愛の素敵なカップルでした。だから、わたしも先輩のことが大好きでした。」
少女は怒りで睨み付けるような激しい目を向けています。
「でも、あの事件のあと、先輩は理恵子さんのお葬式にも来なかった。それどころか、あの事件の前から、先輩は城東の女子と付き合っているのを見た人が何人もいます。……あなたは、私達が大好きだった優しかったあの先輩じゃない。先輩を見損ないました。不潔です。」
理恵子が死ぬ前に少年が土屋朱美と会ったのは1回だけ、それも本当に偶然の出来事でした。しかし、人の噂なんてそんなものです。前後関係は面白い方向に簡単に置き換えられるものです。
慎一には、理恵子が死んでから、もしくは、その前から別の女性と付き合っていたひどい男という噂が広まっているであろうことを、なんとなく知っていました。しかし、それを無理に否定するつもりもありませんでした。
偶然とはいえ、朱美と会ったのは事実だし、その後も何度も会っていることも疑いようのない事実です。しかも、いきさつはともかく、唇まで重ね合った少年に弁解の余地はありません。
すべては彼女の言う通りです。少年はそれで良いと思いました。事実ですから、少年が言い訳する必要性も認められません。
それに、少女の怒りにも正当な理由がありました。少年は彼女達の信頼を裏切り、ある意味で、彼女達の夢や理想をぶち壊しにしたのですから。その点につき、自分は言い訳できる立場にはないと思っていました。
「先輩が何をしようと構いませんが、わたしの大事な友達の朋美を悲しませることは、絶対に見過ごせません。だから、これからは絶対、朋美に近づかないでください。今、ここでわたしに約束してください。」
素晴らしい友人愛です。
少年は思い出しました。柏倉久美子は、見た目にも背が高く短髪のボーイッシュな子でしたが、性格も一本気の男まさりなのでした。何も言えない内気な子に代わって、先生や男子とも堂々と渡り合う光景を、短い合唱団生活の中で何度も垣間見たことを少年は覚えています。
(この子の言う通りだ。ぼくが近くにいたら、朋美ちゃんもきっと不幸になる。この子はしっかりしているから、あの甘えん坊な感じの朋美ちゃんも、きっと頼りにするだろう。)
少年は振り替えって柏倉久美子に正対しました。そして、微笑みながら答えました。
「約束する。中村さんとは、もう会わない。……それで良いね、久美ちゃん。」
少年はむしろスッキリした気持ちになりました。今までもやもやしてウジウジと思い悩んでいたことが軽くなったように感じたのです。
そして、それと共に、今の自分がやるべきこと、やらねばならないことが一体、何か、ハッキリと見えたように感じたのでした。
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