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土屋朱美の章

第41話 河川敷公園でのキス

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(これまでのあらすじ……)

 愛するおばさんとの辛い別れを経た少年は中学生活の中で思いを募らせた少女と同じ道を歩み始め、高校に進学して絆を深め合います。しかし、高校3年の春、愛する少女は遠く異郷の土地で不慮の事故死を迎えました。少女の死に責任を感じ自らに戒めを課した少年でしたが、その前に1人の少女が現れました。最愛の人を失い傷心の少年は憤りを隠さず彼女の前から駆け去ります。

**********

 あれから一週間、再び土屋朱美が下校時刻を狙って少年の目の前に現れました。しかし、今回は前回とは雰囲気が明らかに違っていました。

「うっ! 」

  校門を出た瞬間に少女を見つけた少年は、前回とはあまりにも違う彼女の佇まいに、思わずひるんでしまいました。彼女は悲しそうな憂いに満ちた表情で、少年が学校から出てくるのを待ち構えていたのでした。

「ごめんなさい。この前は、足立くんのこと、分かってあげられなくて。一番辛い思いをしているのに、その足立くんに無神経なことばかり言って。本当にごめんなさい。」

 前回は馴れ馴れしいファーストネームで呼んだものが、今回はまた元に戻って、改まった姓で呼び掛けます。

 この日の少女は、今までのようにポニーテールのような後ろ縛りをせず、髪を長く垂らしていましたので、彼女が頭を深々と下げた時、髪の毛も両側の肩からはらはらと下がっていきます。その姿は少年にもとても美しく見えました。

(そんな……こんなとこで……どうしよう。)

 今までとは雰囲気がまったく違って、清楚な雰囲気をたっぷり醸し出していた彼女を見とめた時、ややひるんだように困った少年でしたが、校門のそばで女の子に頭を下げさせているような状況は非常に少年にもバツの悪さを感じさせました。

「いや、ぼくこそ感情的になってしまって。……せっかく心配してくれているのに、ごめんなさい。」

  その時、通りすぎる何人かの生徒の中からも、いくつか心ない言葉が聞こえてきて、少年の心を刺します。

「あれ? ……あいつ。」

「おやおや、さっそく別の女か、やるねぇ。」

「いや、噂の浮気相手じゃねぇのか。」

「どっちにしろ城東女子か、羨ましいこったな。」

「あぁ、うちの学校の面汚しだよ。」

 さすがに学校の前ではいかにもまずいと少年は思い、帰路とは反対側ではありましたが徒歩5分ほどの近くの河川敷公園に彼女を連れていきました。そして、木陰になっているベンチに二人は並んで座りました。

  そこに至るまでふたりはずっと無言のままでしたが、最初に彼女が語り始めました。

「彼女のこと、三枝理恵子さん……。きっと素敵な人だったんでしょうね。」

 土屋朱美が話しを切り出すと、少年はしばらく懐かしむような、でも、悲しむような表情で視線を落としながらゆっくりと答えました。

「うん、素敵な子だった。でも、……ぼくが好きになった人は、みんなぼくの前から消えていくんだ。ぼくはひとを不幸にするのかもしれない。ぼくはもう誰も愛せない、いや、愛しちゃいけないのかもしれない。」

 少年の思いがけない唐突な考えを聞いて彼女は驚きます。ゲーム感覚で恋活をしている彼女にすれば、答えようのない言葉を投げかけられ、途方に暮れてしまいそうな気持になりました。

「やめて、そんな悲しいこと、言うのはやめて。」

 彼女は両手で耳を塞いで嫌々する素振りを見せました。少年のいまだ思い詰めた深刻な反応にかなり驚きながらも、まだ、少女には演出を考える余裕があるようです。

「いや、ほんとのことだよ、……きみに言う話しじゃないけど。……それに、彼女はぼくのために死んでしまったんた。ぼくが彼女と付き合わなければ、彼女は死ぬこともなく、家族みんなで今でも仲良くベルギーにいた筈だ。」

 少年は、感情をなくしたかのように静かに話しをします。まだまだ、気持ちに余裕を持っているつもりの彼女でしたが、その彼女が聞いていて怖くなるような、すべてをあきらめきったような静かな声色でした。

 でも、彼女はその少年の気持ちに興味が湧いてきました。なぜ、この少年がそんな世捨て人みたいな気持ちになるのか?

「いえ、聞かせて、足立くんのことをもっと知りたい。なんでそんな風に思うのか、足立くんの気持ちを確かめたい。」

 少年ははにかむような笑みで彼女を一瞥して、そして再び静かな語り口で話を始めました。ベンチに腰を掛けて両足の腿の上に両肘をついた先で手のひらを組み、遠くの川面を見つめるように目を細めて話しを始めたのです。

「最初に好きになった人はぼくよりずっと歳上の大人のお姉さんだった。だけどぼくはそのお姉さんを、ずいぶんと悩ませ、苦しめた挙げ句に、あの人はぼくの前から姿を消した。」

 少年は懐かしい昔を思い出し、はにかむような笑みを浮かべました。

「どうやらぼくはその人を知らず知らずの内にどこかに追い込んでしまっていたようなんだ。その時はぼくも苦しみ悩んで、その経験で少しは大人になったかもしれないと、勝手に思い込んでいたんだ。」

 そこで少年は視線を下に向け、両手の手のひらを握りしめ、その拳を額に当てて目をつむりました。何かを必死に耐えようとするかのように。

「でも違った。大人の対応なんか、ぼくにはいらなかったんだ。……まだ高校生のガキに何が正解なんかは分からない。でも、ガキならガキらしく、あの時、理恵子に『行くな! 』と、『ずっと一緒にいたい! 』『離れたくない! 』と、素直な本当の気持ちをぶつけていたら、理恵子は外国に行かずにすんで、理恵子のお父さん達もベルギーで死なずに済んだかもしれない。」

 しかし、次の言葉を言う時、少年はカッと目を見開き、川面を見つめました。まるで、何かに目を背けるようなことを自らに戒めるかのように。

「それに、あの日、理恵子はぼくへのプレゼントを買いに両親と出かけたんだ。そんなことさえしなかったら、あの日、車で買い物なんかに行かなければ……。」

 そして、少年はうなだれ再び目を閉じると、閉じたその瞳から溢れた涙がぼろぼろとこぼれ落ちていきました。

「慎一くん……。」

 この少年の嘆き悲しみはどれだけ深いんだろう。彼女にはそれが到底分からないように思いました。でも、次の行動は彼女本人にも意外に思う行動でした。何かに突き動かされたかのように、彼女は衝動的に行動します。

 彼女は、少年の肩を揺さぶり顔を起こさせました。そして、……。

(パシン!)

 揺さぶられて少年が顔をあげた瞬間、彼女の右の手のひらが少年の左の頬を見事にはたきました。平手打ちです。

「え? 」

 呆然とする少年に対して、彼女が言葉をたたみ掛けます。

「慎一くん、あなた、顔が死んでるよ! もう、生きていたくない、いつでも死にますって顔してる! お母さんに見捨てられた子供みたい! あの世まで理恵子さんを追っかけていく気! 」

 少年は呆然と朱美を見つめるしかありませんでした。そこにすかさず彼女が体ごと少年に抱きつき、少年の首に両腕を回して、強引にキスを仕掛けてきました。

「な! 」

 少年はあまりの驚きに目をむいてしまいましたが、彼女を突き放すこともできず体を硬直させてしまいました。

 理恵子とは何度も唇を重ねてきましたが、それは二人の気持ちが常にシンクロした状態で自然な流れで行われました。

 こんな風に少年が唇を奪われたことはない、と少年は思いましたが……いえ、それは違います。少年はいつも肝心な時に受け身となり、いつも愛する女性から強烈なキスを受けるのです。

 麗美おばさんから結婚式の終わりに突然のキスをされ、また、理恵子からもザーメン入りのキスを無理矢理させられたことがあります。それぞれのシチュエーションは違うものの、今回、少年が女性から唇を奪われたのは三度目になります。

 それらはすべて、その素晴らしい女性たちからの未熟で臆病な幼い少年に対する躾であり、教えであり、導きなのでした。少年は別れの辛さを学び、少女の思いを教えられたのです。今回の少女からのキスもまたそうでした。

 土屋朱美とのキスは随分と長かったような気がします。彼女の長い髪の毛が少年の顔を覆い、理恵子とは違う別の少女の甘ったるい香りとシャンプーの香りが少年の鼻腔をくすぐります。

「……んんっ。」

 唐突なキスに硬直していた少年の両手は、次第に硬さが取れて、自然に彼女の背中に回りました。朱美のセーラー服の背中に現れたブラジャーとスリップのラインに少年の手のひらが柔らかくタッチダウンしていきます。

 少年の手のひらに、美しいスリップのレースの感触が伝わります。そして、両肩の背中に片側2本ずつのストラップの感触も感じられます。

(……ああぁ……スリップだ……。)

 時に視覚的効果よりも、時に直接的な触感よりも、セーラー服の生地を通して指先に感じるものが、よりリアルに、より官能的に、より妄想の翼を広げることがあります。まさしくこの時がそうでした。

 同時に少年は自分の胸元に、セーラー服を通して、少女の柔らかく弾力のある心地よい膨らみを感じました。それもまた視覚的効果以上の官能的な効果を少年の脳髄に与えていました。

 少年は何か月かぶりの感触に、最高級の羽毛布団か、柔らかな巨大マシュマロに包まれたような、夢見心地の気分を思い出していました。僅か数ヶ月前まで、毎日のように抱擁し、愛を確かめあっていた幸せな日々を思い出させたのです。

(……ああ……ああぁ……。)

 少年が少女の背中に手を回した時、少女もまた少年の背中に手を回し少年を強く抱きしめました。その少女の手のひらの感触を背中に感じ、少年は久しぶりに背中を手のひらと腕で愛撫されるゾクゾクする感覚も思い出しました。

 更に少年に覆い被さるように抱きついた少女の左足が、濃紺のプリーツスカートを挟んで少年の股間を、はからずも圧迫するような形となっていました。少女が身悶えるたびに少女の柔らかく温かい太股が少年のモノを刺激して、少年の官能を高めていくのです。

「んんん……。」

 そして、最後に彼女は上下の唇で少年の唇を何度もはむはむして、名残を惜しむかのようにゆっくりと唇を離しました。少年はあまりの心地よいキスに、一瞬、我を忘れて恍惚となってしまいました。

 そんな少年に、頬を真っ赤にした彼女は、恥ずかしさを圧し殺すように斜め下に視線をずらしながら言いました。

「どう? わたしの唇、柔らかいでしょ。……あたたかいでしょ。」

 まだ忘我の境地にたゆとうていた少年に、少女は心に突き刺さる言葉を浴びせかけます。次の瞬間、彼女は顔をキッと上げて、少年に対して瞳をしっかりと向けて言い放ちました。

「わたし、理恵子さんにはなれない。……なれないけど、……けど、慎一くんのガチガチになった心を解きほぐせるのは、死んだ人じゃない、理恵子さんじゃない。今もこうして生きている人なの。」

「え? 」

 少女の豹変に驚く少年でしたが、少女の方は話しをしている内に今度は自分自身が涙をぼろぼろと流して、制服の袖を濡らしぬぐいながら、最後の言葉を吐き出しました。

「ずるいよ、慎一くん、わたしがいくら頑張ってみても、あなたのことを心配していっぱい考えても、……でも、でも、死んだ慎一くんの彼女には、絶対に勝てるわけないよ。」

「……。」

 いつの間にか、目の前の少女をも何かに追い込んでいたのだろうか……少年はうなだれたまま沈黙してしまいました。

「どんなにわたしが頑張っても、あなたの思い出に勝てるわけがないじゃん。」

 そう言い放ち、少女はスクッと立ち上がりました。しばらく彼女が涙目で少年を見おろし、少年もまた赤く腫らした瞳で少女を見上げました。

「バカ! 」

 大声でそう捨て台詞を残し、目に涙をためたまま彼女が走り去っていきました。少年は何もできず、その後ろ姿を見送るのみでした。

(困ったなぁ、あんな可哀想な慎一くんを見てると、わたし、本気になっちゃうじゃない。……本当はキスまでするつもりなんか全然なかったのに。……わたしだって初めてのキスだったのに……もお……なんでよぉ……ぐすっ……。)

 今日の髪型も、本当は少女の作戦でした。耳をふさいでイヤイヤして見せたのも、女子的なあざとい演技みたいなものでした。ところが、突然、何かに乗り移られたかのように、途中から、まるで人格が変わってしまいました。

 自分の行動に自分自身も不思議に思う少女でした。最愛の女性の死にまで自分を責める少年の言葉を聞いた時、少女の中で何かが変わりました。それまでは気楽なゲーム感覚の恋活だったものが、たちどころに雲散霧消したのです。
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