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寛人の野望

明かされた真実-3

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翌日は日曜日で会社は休みだった。華乃子は人力車を頼って寛人の家を訪れた。

「やあ、華乃子ちゃんから訪ねてきてくれるとは光栄なことだ」

応接間に通された華乃子に、部屋に入って来た寛人は嬉しそうにそう話し掛けて華乃子の向かいに腰掛けると、さて、と手を組んだ。

「僕の求婚を受けてくれる気になったのかな?」

にっこりと美しい顔で微笑む。その笑顔からは華乃子が結婚を承諾するのか拒否するのか、見分けているように見えた。華乃子はごくりと唾を飲み込み、姿勢を正した。

「……、……お話は、お受けできません……」

テーブルの下の膝の上に置いた手をぎゅっと握って、華乃子は応えた。何故だい? と肩をすくめた大げさすぎる動作で寛人が華乃子の拒絶を嘆く。

「私が寛人さんに抱いている気持ちは……、……結婚のお話をお受けするような、情熱的なものではないのです……」
「うん。しかし、燃え滾るような恋情がなくとも結婚は出来るのではないかな」
「寛人さんが私を妻にと思う理由は何ですか」

昨日寛人は力を持つ者同士なら、強い者が弱い者を囲うのが良いと言った。寛人は華乃子が力を持っていることを知っているのだ。それならば華乃子を欲する理由は……。
寛人が薄い笑みを浮かべる。

「物わかりのいい女性は好きだよ。……つまり、君の力に僕が惹かれているからなんだ」
「……、…………えっ?」

一瞬、訳が分からなくなった。力の強い寛人が半妖で力の弱い華乃子を囲おうとしていたのではなかったのか?

「えっ……? 寛人さんが……、わたし……、に……?」
「そうだ。君の力は偉大だよ。少なくとも我が一族の中で三番目だ」

『我が一族』? 寛人も雪女なのだろうか。
戸惑った華乃子に、寛人はあっさりと答えを教えた。

「君のお母さまは我が龍族の長の娘だ。君は長の直系の孫ということになる。僕は龍族の傍系でね。血の濃さで言うと僕と君では圧倒的に君の方が強い。だから僕は君に惹かれるんだよ」

寛人の口から語られる自分のことを、半ば他人事のように聞いた。寛人は尚も語る。

「長が雪女族の女性との間にもうけたのが君のお母さまの千雪さんだ。長はもう千年生きておられる。人間の時間で言えばまだ余命はあるが、龍族の長としては時間は残り少ない。次の長候補を探すにも、千雪さんを雪女の郷に囚われている状態では、君以外にあり得ないんだ」

ぽかんと。

寛人の話に華乃子は思わず呆けてしまった。雪月が華乃子のことを雪女だと言った時にも、運命は随分強引に来るものだなと思ったのだが、今回もかなり強引だ。

「僕は君を手放したくなかったから、別宅の君の許へも通ったし、九頭宮出版にも入社させた。僕の目の届くところに置いて、君を見守って来た。君は九頭宮出版の副社長夫人として君を捨てた鷹村家を見返し、そして僕は君と共に龍族の頂点に上り詰める。君と僕は隣にいるべきなのだよ」

寛人の言葉にショックを受ける。
本が好きだった華乃子の、その意欲を買って九頭宮出版にと誘ってくれたのではなかったのか。華乃子の力を虎視眈々と狙っていたのか。寛人のその行いに、裏切られた気持ちになっても責められることはないだろう。

あやかしの力を欲して寛人が華乃子を求める。そして華乃子が鷹村を見返すために九頭宮を利用しろと言う。
どんな力でも、利用してこそ価値があるのだと寛人は信じている。だから半妖の華乃子の力でも欲しがるのだ。

確かに華乃子が母、千雪に会えたのは、華乃子が半妖であったが故に幼い頃のあの雪の日に雪月に会えたからなのだ。雪月が再び華乃子を探し当ててくれたのも、もしかしたら力が関係しているのかもしれない。そう思うと、力がなければ叶わなかったこともあるだろう。

でも、どんな力があっても、それを利用し、されるだけの関係では、心は寂しい。

心が満たされなければ、人生は輝かない。

華乃子はこれまで自分自身を何度となく否定されてきたけれど、その度に前を向いて歩んできた。そうして過ごしてきた時間には、心が通った人たちが居た。子供の頃から支えてくれたはなゑ、婦人部の佐藤、それに太助や白飛、一つ目傘のあやかしだって華乃子と心を通わせた。そのことがとても幸せだったと思っている。
だから、これからもそうやって生きていきたい。自分は確かに半分あやかしかもしれないけれど、でも、自分が大切にするのは力ではなく、人として生きてきた証の心だ。結ばれるなら、心で結ばれたい。

「寛人さん。私には寛人さんの考えが分かりません……。私は十八年間、人間として育ってきました。人の心は尊いと思います。……たとえその、人の心ゆえに過去に私が辛い思いをして来たとしても、一方で私をあたたかく包んでくれた人たちも居ます。その人たちの気持ちに、私は救われてきました」

華乃子は真っすぐな瞳で寛人を見た。寛人は口許に笑みを浮かべたまま、こう言った。

「では雪月先生のことはどう思う」
「え……」

どきりと胸が鳴った。

「雪月先生もあやかしだと言うことは知っている。彼が君を担当に引き抜き、自分の傍に置いたことと、僕が君と一緒に居たいと思う気持ちとに、差異はあるかな?」

……そうだ、雪月もあやかしだ……。

そして、彼も華乃子があやかしだと知っていた。幼い頃は力が弱かったと言っていたが、もしかしてあの時から既に寛人と同じく華乃子の『力』に惹かれて華乃子を探し続けたのだろうか。『愛してくれている人』に自分を入れてくれ、と言ったのも、力を求める故の方便だったのだろうか。

それに、雪山に残された華乃子を助けに来てくれなかったことも、まだわだかまりとして残っている。
……そう考えると、とても悲しいし寂しいし、……やはり裏切られた気持ちは残る。

「つまり君が彼を選んでも僕を選んでも、同じだと言うことなのだよ。そして龍族傍系の僕から見ても、彼は僕より弱い」

あやかしは力に惹かれるもの。婚姻相手も力で決める世界。

雪月は弱いから俺にしろ、と寛人が言っている。
強者だけが勝つ世界。

それをやはり華乃子は悲しいと思う。

「それでしたら」

華乃子はもう一度、強く寛人を見た。

「私は誰も選びません。一生一人で、生きていきます」

幼い頃から疎まれてきた。このあとの人生が愛する人に恵まれなくても、悲しくない。

「鷹村を見返せなくても良いと?」
「元より、捨てた家です」
「ふむ……」

寛人は一瞬だけ、思案気な顔をした。しかし直ぐに余裕の表情が戻る。

「わかった。今日はここまでにしよう。だが、華乃子ちゃん、僕は諦めないよ。僕にとって君は、最後に残された希望の光なんだ」

椅子から立ち上がった寛人の目は、欲望露わにぎらぎらとしていた。

寛人の見送りを受けて九頭宮の家を出る。水がまとわりつくような空気の中、華乃子は別宅へ戻っていった。華乃子の首をぐるりと回って、細い水が糸を引くようにたなびいているのを、誰も見ることは出来なかった……。





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