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雪女の郷で
裏切り
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「華乃子さん! ご無事で何よりです!」
屋敷で宛がわれた部屋に戻っていると、襖を開けた雪月が狼狽した様子で現れた。
「雪樹が先に戻ってきていたので、心配したのですが……。助けに行かなくて申し訳ありませんでした」
そう言って雪月は謝ってくれる。確かに華乃子はこの郷のことを何も知らないで雪月に付いて来ているのだから、雪月が気遣ってくれても良さそうなものだった。しかし、雪樹に手を引かれて雪月と別れた時、雪月は誰かに呼ばれていた。きっとそれで手が離せなかったのだろう。
「良いんですよ、結果として帰って来れましたし……。兎ちゃんも頑張ってくれましたし、先生もお忙しかったのですよね?」
華乃子がそう言うと、雪月が苦渋を滲ませた、気まずそうな顔をした。
「いえ……。行かなくて、すみませんでした……」
『行けなくて』ではなく『行かなくて』と雪月は言った。その謝罪の言葉と雪月の表情から、華乃子を助けに来られないような、どうしても手が離せないことあったわけではないようだった。
(え……っ? もしかして、私の危機を知りながら、出向いてくださらなかったってこと……?)
にわかには信じられず、ぱちぱちと瞬きをして雪月を見ても視線は返らない。
(そんな……。あの時偶然頭の中に聞こえた言葉がなかったら、私たちはあの場所で凍えて死んでいたかもしれないのに……。番うならこの人、って決めていた相手に、そんな薄情なことが出来るものなの……?)
雪月の気持ちは、あの言葉は、そんな軽いものだったのだろうか……。
華乃子が求めて求めて……、でも手に入らなかった、丸ごとの『自分』を愛して大切にしてくれる人だと思っていたのに……。
「……先生は……、……私が凍え死んでしまっても良かったのですね……」
震えそうになる唇を必死で動かしてそう言うと、雪月は狼狽えて、違うんです、と言った。
「違う? 何が違うのですか? 兎だけを私に渡して、それで私を助けてくださったと思っておられたのですか? 私を助けに来てくださらなかった理由が、あるのですか?」
「きっと帰ってきてくださると、信じていたんです」
信じていたら、雪の中を迎えにも来てくれないってこと? あやかしってそういうものなの? 沙雪が雪樹を連れ帰ってしまった後の吹雪で、そして兎の力が及ばなくなった雪嵐の中で、本当に凍え死ぬと思ったのに……。
「……先生が信じていてくださったって、私を救ったのは先生じゃないわ……。頭の中に、不意に聞こえたあの言葉……。あの言葉がなかったら、私はあの場所で太助たちと凍死していました……!」
拳を握り、半ば叫ぶように華乃子は言った。雪月は焦ったように口を継いだ。
「私には、信じることしか出来なかったのです……。どうか分かってください……」
信じることしか出来ないだって!? 雪月はその指一本で雪を降らせ、吹雪の中、隣に居た華乃子の周りの温度を一定に保つ妖力があるではないか。それを信じることしか出来なかったとは、どういうことだ。
「死んでいたかもしれなかったんですよ!? 私が死んでも良かったんですか!?」
「そんなわけありません……! 必ず帰ってきてくださると信じていました……!」
信じる信じる。さっきからそればっかりだ。雪月は華乃子の危機に、結果として何も行動を起こしてはくれなかった。事実はそれだけだ。
「……先生のお考えは分かりました。……私は、先生にとって、助けるべき相手ではないのですね……」
「違います……っ。何時でも華乃子さんをお助けしたいと思ってます……っ。だからあの小説も書けたんですし……っ」
「行動が伴わない想いを、私は信じられません。あの小説だって、先生の空想でしかないわ……っ!」
言ってしまってからはっとした。あの小説は華乃子を小説の中でだけでも幸せにしたいという、雪月の切なる願いがこもっていたものだったのに……。
雪月は目を見開いて、何かを言いたそうに口を数度開閉した後、肩を落として力なく笑った。
「そう……、ですね……。……確かに、空想でしかありません……。あの小説を書いたくらいで、華乃子さんの負った傷が癒える筈が、ありませんでした……」
違う……。
あの小説を読んだ時、華乃子は震えるくらい嬉しかったのだ。
独りぼっちだった華乃子に、雪月が寄り添ってくれたような気がしたのだ。
でもその気持ちと、今さっき命の危険に晒されたという事実を並べると、どうしても『何故助けてくれなかったのか』という問いに答えが欲しかった。
しん、と静まった部屋に落ちたのはこんな言葉だった。
「私は失礼します……。……華乃子さんは休んでください……」
雪月がなにも答えを言わずに部屋を去って行く。
『だからあいつは駄目だと言ったんだ』
『あやかしで人に寄り添うやつはそう多くない。あやかしにとっては、力が全て。そんな価値観の前では、華乃子の心が叶うことはないんだ』
太助と白飛が口々に言う。確かに二人は最初から雪月は止めておけ、と言っていた。その意味がようやく分かった。
でもやはり雪月のことを考えてしまう。好きだと言った相手を、あやかしはそう簡単に裏切れるものなのか。
どうして……、という言葉が、華乃子の頭の中に渦巻いた……。
屋敷で宛がわれた部屋に戻っていると、襖を開けた雪月が狼狽した様子で現れた。
「雪樹が先に戻ってきていたので、心配したのですが……。助けに行かなくて申し訳ありませんでした」
そう言って雪月は謝ってくれる。確かに華乃子はこの郷のことを何も知らないで雪月に付いて来ているのだから、雪月が気遣ってくれても良さそうなものだった。しかし、雪樹に手を引かれて雪月と別れた時、雪月は誰かに呼ばれていた。きっとそれで手が離せなかったのだろう。
「良いんですよ、結果として帰って来れましたし……。兎ちゃんも頑張ってくれましたし、先生もお忙しかったのですよね?」
華乃子がそう言うと、雪月が苦渋を滲ませた、気まずそうな顔をした。
「いえ……。行かなくて、すみませんでした……」
『行けなくて』ではなく『行かなくて』と雪月は言った。その謝罪の言葉と雪月の表情から、華乃子を助けに来られないような、どうしても手が離せないことあったわけではないようだった。
(え……っ? もしかして、私の危機を知りながら、出向いてくださらなかったってこと……?)
にわかには信じられず、ぱちぱちと瞬きをして雪月を見ても視線は返らない。
(そんな……。あの時偶然頭の中に聞こえた言葉がなかったら、私たちはあの場所で凍えて死んでいたかもしれないのに……。番うならこの人、って決めていた相手に、そんな薄情なことが出来るものなの……?)
雪月の気持ちは、あの言葉は、そんな軽いものだったのだろうか……。
華乃子が求めて求めて……、でも手に入らなかった、丸ごとの『自分』を愛して大切にしてくれる人だと思っていたのに……。
「……先生は……、……私が凍え死んでしまっても良かったのですね……」
震えそうになる唇を必死で動かしてそう言うと、雪月は狼狽えて、違うんです、と言った。
「違う? 何が違うのですか? 兎だけを私に渡して、それで私を助けてくださったと思っておられたのですか? 私を助けに来てくださらなかった理由が、あるのですか?」
「きっと帰ってきてくださると、信じていたんです」
信じていたら、雪の中を迎えにも来てくれないってこと? あやかしってそういうものなの? 沙雪が雪樹を連れ帰ってしまった後の吹雪で、そして兎の力が及ばなくなった雪嵐の中で、本当に凍え死ぬと思ったのに……。
「……先生が信じていてくださったって、私を救ったのは先生じゃないわ……。頭の中に、不意に聞こえたあの言葉……。あの言葉がなかったら、私はあの場所で太助たちと凍死していました……!」
拳を握り、半ば叫ぶように華乃子は言った。雪月は焦ったように口を継いだ。
「私には、信じることしか出来なかったのです……。どうか分かってください……」
信じることしか出来ないだって!? 雪月はその指一本で雪を降らせ、吹雪の中、隣に居た華乃子の周りの温度を一定に保つ妖力があるではないか。それを信じることしか出来なかったとは、どういうことだ。
「死んでいたかもしれなかったんですよ!? 私が死んでも良かったんですか!?」
「そんなわけありません……! 必ず帰ってきてくださると信じていました……!」
信じる信じる。さっきからそればっかりだ。雪月は華乃子の危機に、結果として何も行動を起こしてはくれなかった。事実はそれだけだ。
「……先生のお考えは分かりました。……私は、先生にとって、助けるべき相手ではないのですね……」
「違います……っ。何時でも華乃子さんをお助けしたいと思ってます……っ。だからあの小説も書けたんですし……っ」
「行動が伴わない想いを、私は信じられません。あの小説だって、先生の空想でしかないわ……っ!」
言ってしまってからはっとした。あの小説は華乃子を小説の中でだけでも幸せにしたいという、雪月の切なる願いがこもっていたものだったのに……。
雪月は目を見開いて、何かを言いたそうに口を数度開閉した後、肩を落として力なく笑った。
「そう……、ですね……。……確かに、空想でしかありません……。あの小説を書いたくらいで、華乃子さんの負った傷が癒える筈が、ありませんでした……」
違う……。
あの小説を読んだ時、華乃子は震えるくらい嬉しかったのだ。
独りぼっちだった華乃子に、雪月が寄り添ってくれたような気がしたのだ。
でもその気持ちと、今さっき命の危険に晒されたという事実を並べると、どうしても『何故助けてくれなかったのか』という問いに答えが欲しかった。
しん、と静まった部屋に落ちたのはこんな言葉だった。
「私は失礼します……。……華乃子さんは休んでください……」
雪月がなにも答えを言わずに部屋を去って行く。
『だからあいつは駄目だと言ったんだ』
『あやかしで人に寄り添うやつはそう多くない。あやかしにとっては、力が全て。そんな価値観の前では、華乃子の心が叶うことはないんだ』
太助と白飛が口々に言う。確かに二人は最初から雪月は止めておけ、と言っていた。その意味がようやく分かった。
でもやはり雪月のことを考えてしまう。好きだと言った相手を、あやかしはそう簡単に裏切れるものなのか。
どうして……、という言葉が、華乃子の頭の中に渦巻いた……。
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