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軽井沢にて
出会った子供
しおりを挟む『かーしゃ? かーしゃ?』
子供の手を引いて道を歩いている。子供の母親らしき人を探しているのだ。
「私はお母さんじゃないのよ……? あなたのお母さん、何処に行ったのかしらね?」
そう思いながら、昔のことを思い出す。雪のあの日、母親とはぐれたという少年におにぎりを持って行ってやったこと。あの思い出たちは雪月のおかげで多少悲観して思い返すことが少なくなってきてはいたが、先程の梅の様子を見ると、やはり自分は異端なのだと痛感する。心に重たいものを抱えながら、両脇に樹木の立ち並ぶ道を子供の歩調に合わせてゆっくり歩くが、そろそろ日が暮れて、母親探しは難しくなってしまう。この子を別荘に連れて帰ることも出来ないし、早く母親が見つかって欲しい、と思っていたその時、背後から華乃子を呼ぶ声がした。白飛だった。
『おーい。華乃子。先生が華乃子を探してたぞ。戻ったほうが良くないか?』
「白飛、ちょうど良かったわ。この子、あやかしよね? お母さんを探してるみたいなの。分からないかな?」
華乃子の陰に隠れている子供を白飛の前に出して解を得ようとすると、白飛は、あれーと声を上げた。
『こいつはびっくりだ。こんな夏の時期に雪女かよ』
「雪女ですって? 雪なんて、何処にも無いわよ?」
華乃子の驚きに、白飛も、さもありなん、と頷いた。
『雪女は普通、現世では冬にしか活動しない。夏は涼しい山の奥に引きこもっちまってる。雪女の郷は常時雪があるって話だが、こいつはまだ子供で仲間とはぐれちまって、現世への入り口からこの郷に出てきたんだな、きっと。何かを探してるんだろうけど、これ以上は自殺行為だ。俺が郷の入り口まで送ってくるから、華乃子は屋敷に帰れ。先生が探してる』
「そうね、白飛、任せたわ。私は別荘に戻る。その子をよろしくね」
合点承知、と言って、白飛は子供を背に乗せると山の方へ飛んで行く。華乃子はその姿を見送った後、今来た道を戻ることにした。
ところが、今まで美しい夕景が広がっていたのに、急に灰色の雲が空を埋め尽くし、ぽつりぽつりと雨が降って来た。にわか雨だ。夕方でなおかつ暗くなった木立の中を別荘へ急ぐが、さらさらと降って来た雨に髪も服も濡れる。華乃子が更に道を急いで戻っていると、不意に頭上に雨を感じなくなった。木の陰に入ったのだろうか、だったらこのにわか雨の間、此処でやり過ごそうかと頭上を見上げると、其処には一つ目傘のあやかしがふわふわと浮いていた。
「ひ……っ!」
驚いて目を剥く華乃子に、一つ目傘は華乃子が雨に濡れないように降り注ぐ雨から華乃子を守ってくれた。一つしかない目を細めてにこにこと華乃子を見てくるので、悪いあやかしではないのだと分かる。
(……私に親切にしてくれているんだわ……)
どういう思いからなのかは分からないが、華乃子が最近あやかしを邪険にしなくなったからなのだろうか、一つ目傘のあやかしは、その後華乃子が別荘に帰るまで、ずっと華乃子の頭上に浮いて付いて来てくれて、華乃子がそれ以上雨に濡れることはなかった。
華乃子が別荘の玄関のアーチにたどり着くと、一つ目傘は跳ねるように何処かへ行ってしまった。遠くなって薄暗闇に紛れていくその姿を見つめて、やがて見えなくなってから、これは雪月に報告しなくては、と思った。
呼ばれていたという雪月の部屋を訪れると、華乃子は興奮気味に今あったことを伝えた。
「先生! 今、一つ目傘のあやかしが私をにわか雨から守ってくれたんです! にこにこと笑って私をこの屋敷まで送ってくれて、そして何処かへ行ってしまいました。最近、私の心掛けが変わったからでしょうか、見知らぬあやかしに親切にされたのはこれが初めてです!」
両手を握ってそう報告すると、雪月も嬉しそうに微笑んでくれた。
「人間の持ち物が姿を変えて恩を返すことは良くあることです。貴女に視えているという一反木綿、元は誰かの持ち物の大切な手ぬぐいだったかもしれない。華乃子さんが会ったという一つ目傘は、華乃子さんが大切になさっているあの日傘なのではないですか?」
そう言えばあの一つ目傘は見覚えのあるレース地だった。まさか、あの日傘が……?
「先生……、そう考えると、あやかしの存在も悪くないものだと思えます……。あの日傘は私の母の形見なのです。もし母が生きていたら、あやかしが視える私になんて言ってくれるかと考えたことがあったのですが、あの一つ目傘のあやかしに聞いてみれば良かった……」
「あやかしとの出会いは人との出会いと同じく、一期一会ですよ。そのご縁を大切になさってください」
微笑む雪月に、はい、と応える。なんだか本当の母も、華乃子があやかしを視えてしまうことを肯定してくれたような気持ちになった。
「ところで先生、なにか御用だったのですよね?」
白飛が呼びに来たことを思いだす。雪月は、そうそう、と言って、ちょっと聞きたいことがあったんです、と微笑んだ。
「何でしょう。お役に立てると良いのですが……」
「僕に、華乃子さんが理想とするモダンガールと言うものを、教えて欲しいのです」
華乃子が、まあ、と目を見開くと、雪月は少し照れたようにこう言った。
「華乃子さんのように、西洋の文化を積極的に取り入れてらっしゃる職業婦人でありながら、あやかしを視たことのある人も居るのだと分かったので、以前華乃子さんがおっしゃっていたモダンガールを題材にしてみようかと思いついたんです。全く書いたことのないキャラクターなので、僕が生かし切れるかどうか、分からないのですが……」
雪月の言葉に、華乃子は是非書いてみてください、と応じた。
「モダンガールとあやかしの恋物語ですか? 新しいジャンルを切り拓かれるんですね、素晴らしいです」
ぱちぱちと拍手をすると、雪月は恐縮したように頭を掻いた。
「そんな、大袈裟なことではないですよ……。お約束したでしょう。もし、華乃子さんがあやかしに係わったことで辛い思いをされてきていたのだったら、物語の中でだけでも、幸せにして差し上げたいと……」
「え……」
本当に華乃子を題材に幸せな物語を書いてくれるつもりなんだ。華乃子は嬉しさのあまり、雪月を見つめた。雪月は恥ずかしそうに、でも華乃子の瞳を見つめてくる。雪月の視線に込められた気持ちは何だろう。
どきどきしながら、せんせい、と言葉の真意を確かめようとした時に、無粋なノックの音がした。
「鷹村さま、お夕食の支度が整いました」
梅が呼びに来たのである。一瞬の密度の濃い甘い空気は霧散し、ただ、恐縮したような苦笑いの雪月が其処に立っていた。
「お、お食事だそうです。……行きましょうか……」
部屋を出て行く雪月に続くしかなかった。……さっきの言葉をもう一度聞きたい。出来ればその先も。でも、雪月の背中を見て、それは叶わないのだとなんとなく分かった。
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