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花車に託した希望
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*
がシャン! とカップの割れる音がして、琴子が金切り声を上げた。
「ちょっと! 目障りよ! わたくしが見えるところで掃除などしないで!」
「は、はい、申し訳ございません」
居間から見える縁側の拭き掃除をしていた使用人が即座に謝罪し、割れたカップを片付けていく。一緒にくつろいでいた茂三は琴子の様子に眉をひそめた。
「琴子、あまり些末なことに目くじらを立てない方がいい。それに、使用人とはいえ家のものではないのだからね、気をつけなさい。あまり辛く当たってしまうと、辞めてしまうだろう?」
「だって、お父さま。最近、使用人の仕事ぶりが悪いですわ。前は廊下が濡れていることもなかったですのに、昨日学校から帰ってきたら、廊下が濡れていて、わたくし、転びそうになったんですのよ」
琴子の言うことに、茂三も心当たりがあった。
もともと堀下家の使用人は、楓も含めてギリギリの人数で賄っていた。しかし楓を琴子の代わりに嫁がせたことで、使用人の数が足りなくなっているのだ。使用人の一人くらい、と思っていたら、楓以外の使用人の気の付かなさと言ったらなかった。もともと楓を引き取った時に、代わりに五人の使用人を解雇しており、結果として楓はその五人分の仕事を引き受けていたのだ。
これは茂三にとっても誤算だった。使用人というものは、兎に角勤勉に働くから給与がもらえるものであるはずである。今いる使用人たちが手を抜いているわけではないのだろうが、立ち返って見ると彼女たちは楓ほどの勤勉さはなかった。残念なことに堀下には、これ以上のしようにんを雇うほどの資金がない。荒れていく屋敷内を鑑みると、琴子や良子のイライラは収まらないし、解決策としては一つしかなかった。
(琴子をあの成金に嫁がせるかどうかは兎も角、やはり楓は使い手として連れ帰らなければ)
しかし、堀下(ここ)から嫁がせた娘を、どうやって?
茂三は眉間にしわを寄せて、深く考え込んだ。
*
「最初にお会いした日に旦那さまがお召しになっておられた七宝文は、ご縁のつながりを祈念する文様でもありました。失礼ながら、初対面の場にそぐう文様を、日本の方ではない旦那さまが選ぶことは困難だと思いました。ですので、あの時私は少し、驚いたのです」
健斗は楓の説明を、興味深そうに聞いていた。
「あの柄にそんな意味があったとは。控えめで好きな柄だったのだが」
「そうだったのですね。あの時、旦那さまが妻(わたし)を迎えるにあたって、七宝文をお召しになられていたのは、ある意味正解なのだと思います。日本では、催事の場で選ぶ柄がございますので」
「ほう、たとえば」
ぎし、と健斗の座っていた椅子が軋む。楓の話を真剣に聞くあまり、椅子から身を乗り出し、音が鳴ったのだ。
「吉兆文は、おめでたい席で選ばれます。良い前兆を意味する文様だからです。それぞれの意味は、日本の歴史風土から意味づけられていて、着物の柄に親しんで頂ければ、この国にも親しみを持っていただけるかと思います」
「キッチョウモンとは、どんな模様なんだ」
そう言って、具体的に説明しろと要求してくる健斗に、失礼します、と断って、机の上の書類を何枚かひろげた。以前見かけた、染匠が描いたものと同じ、きものの柄の構図を書き記した書類だ。
「『鶴は千年、亀は万年』と言う言葉のように、この鶴と亀の文様は長寿を意味します。こちらの松や竹・梅もそうです。鴛鴦(おしどり)はいつもつがいで居る様子から、夫婦円満の象徴と言われています。また、平安時代の貝合わせの貝を入れていた容器をあらわす貝桶は、貝が対になる貝としかかみ合わないことから、唯一無二の方との結婚を意味します」
「ほう、日本古来の文化の模様なのか……」
健斗は貝桶に興味を示して、まじまじと図面に見入った。自分の話に耳を傾けてくれるさまが嬉しいと思う。楓はその図面は健斗に預けて、他の柄についても説明していった。
「こちらの鳳凰は古代中国の伝説の鳥で、天下泰平をもたらす瑞鳥とされますので、平和や高貴であることを意味します。それから、こちらはおめでたいことを意味する束ね熨斗ですね。昔の不老長寿の象徴だった鮑の肉を薄く削ぎ、引き伸ばして乾かした熨斗(もの)の文様化です。こちらの図は末広がりの扇です。末広がりがめでたいという理由は、先に行くほど広がっていくさまが、未来へ行くほど発展・繁栄することを想わせて縁起がいいからだと言われています」
話に真剣に耳を傾けていた健斗が、ほう、と息をつく。小さな声で、Amazing、と呟いた。
がシャン! とカップの割れる音がして、琴子が金切り声を上げた。
「ちょっと! 目障りよ! わたくしが見えるところで掃除などしないで!」
「は、はい、申し訳ございません」
居間から見える縁側の拭き掃除をしていた使用人が即座に謝罪し、割れたカップを片付けていく。一緒にくつろいでいた茂三は琴子の様子に眉をひそめた。
「琴子、あまり些末なことに目くじらを立てない方がいい。それに、使用人とはいえ家のものではないのだからね、気をつけなさい。あまり辛く当たってしまうと、辞めてしまうだろう?」
「だって、お父さま。最近、使用人の仕事ぶりが悪いですわ。前は廊下が濡れていることもなかったですのに、昨日学校から帰ってきたら、廊下が濡れていて、わたくし、転びそうになったんですのよ」
琴子の言うことに、茂三も心当たりがあった。
もともと堀下家の使用人は、楓も含めてギリギリの人数で賄っていた。しかし楓を琴子の代わりに嫁がせたことで、使用人の数が足りなくなっているのだ。使用人の一人くらい、と思っていたら、楓以外の使用人の気の付かなさと言ったらなかった。もともと楓を引き取った時に、代わりに五人の使用人を解雇しており、結果として楓はその五人分の仕事を引き受けていたのだ。
これは茂三にとっても誤算だった。使用人というものは、兎に角勤勉に働くから給与がもらえるものであるはずである。今いる使用人たちが手を抜いているわけではないのだろうが、立ち返って見ると彼女たちは楓ほどの勤勉さはなかった。残念なことに堀下には、これ以上のしようにんを雇うほどの資金がない。荒れていく屋敷内を鑑みると、琴子や良子のイライラは収まらないし、解決策としては一つしかなかった。
(琴子をあの成金に嫁がせるかどうかは兎も角、やはり楓は使い手として連れ帰らなければ)
しかし、堀下(ここ)から嫁がせた娘を、どうやって?
茂三は眉間にしわを寄せて、深く考え込んだ。
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「最初にお会いした日に旦那さまがお召しになっておられた七宝文は、ご縁のつながりを祈念する文様でもありました。失礼ながら、初対面の場にそぐう文様を、日本の方ではない旦那さまが選ぶことは困難だと思いました。ですので、あの時私は少し、驚いたのです」
健斗は楓の説明を、興味深そうに聞いていた。
「あの柄にそんな意味があったとは。控えめで好きな柄だったのだが」
「そうだったのですね。あの時、旦那さまが妻(わたし)を迎えるにあたって、七宝文をお召しになられていたのは、ある意味正解なのだと思います。日本では、催事の場で選ぶ柄がございますので」
「ほう、たとえば」
ぎし、と健斗の座っていた椅子が軋む。楓の話を真剣に聞くあまり、椅子から身を乗り出し、音が鳴ったのだ。
「吉兆文は、おめでたい席で選ばれます。良い前兆を意味する文様だからです。それぞれの意味は、日本の歴史風土から意味づけられていて、着物の柄に親しんで頂ければ、この国にも親しみを持っていただけるかと思います」
「キッチョウモンとは、どんな模様なんだ」
そう言って、具体的に説明しろと要求してくる健斗に、失礼します、と断って、机の上の書類を何枚かひろげた。以前見かけた、染匠が描いたものと同じ、きものの柄の構図を書き記した書類だ。
「『鶴は千年、亀は万年』と言う言葉のように、この鶴と亀の文様は長寿を意味します。こちらの松や竹・梅もそうです。鴛鴦(おしどり)はいつもつがいで居る様子から、夫婦円満の象徴と言われています。また、平安時代の貝合わせの貝を入れていた容器をあらわす貝桶は、貝が対になる貝としかかみ合わないことから、唯一無二の方との結婚を意味します」
「ほう、日本古来の文化の模様なのか……」
健斗は貝桶に興味を示して、まじまじと図面に見入った。自分の話に耳を傾けてくれるさまが嬉しいと思う。楓はその図面は健斗に預けて、他の柄についても説明していった。
「こちらの鳳凰は古代中国の伝説の鳥で、天下泰平をもたらす瑞鳥とされますので、平和や高貴であることを意味します。それから、こちらはおめでたいことを意味する束ね熨斗ですね。昔の不老長寿の象徴だった鮑の肉を薄く削ぎ、引き伸ばして乾かした熨斗(もの)の文様化です。こちらの図は末広がりの扇です。末広がりがめでたいという理由は、先に行くほど広がっていくさまが、未来へ行くほど発展・繁栄することを想わせて縁起がいいからだと言われています」
話に真剣に耳を傾けていた健斗が、ほう、と息をつく。小さな声で、Amazing、と呟いた。
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