花乙女は愛に咲く

遠野まさみ

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「リンファス。ちょっとだけこっちを向いてくれ、……そのまま笑っていて。ああ、力は抜いた方がいいな」

涼やかな川のせせらぎが聞こえる川べりで、リンファスはプルネルと一緒に絵を描いてもらっていた。
二人の絵を描いてくれると約束してくれた、アキムがカンバスを前に鉛筆を握っている。
画材は芝の上に置かれていて、瓶に詰まったそれらの色は、とても濃くて沈んだ色に見えるが、それが白いカンバスに塗られていくと、鮮やかに発色するのを、リンファスは既に一枚試し書きをしたアキムの手元を見ていて知っている。

まるで魔法のようだ、と言ったら、アキムは、「画家ならもっと素晴らしい色合いを出すよ」と言って謙遜したが、生憎リンファスは画家などという人に会ったことがなく、また、目の前で絵を描いてくれたのもアキムが初めてだったから、その賞賛がアキムに向けられるのは当たり前だった。

揃いのリボンを顔の横に結わえ、さわさわとしたそよ風に吹かれながら、芝の上でルドヴィックも交えて談笑する。
バスケットに詰めてきた茶器とサンドウィッチ、それからスコーンとジャム。あとはリンファスたちの花があれば、即席のティータイムが始まる。アキムは木の切り株に座ったまま、カンバスを前に、プルネルが差し出したお茶をひと口飲んだ。

「いや、実に素晴らしいティータイムだ。こんなに天気が良いと、絵筆も走るというものだよ」

「私はどうしたらいいのか、分からないわ、アキム……。ただこうやってじっとしているだけって、私にはとても難しくて……」

常に仕事を得て働いているから、じっとしていることに耐えられない。
ウエルトでは仕事でへとへとになって、漸くベッドに入ることにはもう疲労困憊で動けない、という事はあったが、インタルに来てからそのような疲れ方をしたことがなく、結果として、絵のモデルとしてじっとしていることは、リンファスにとってとても窮屈な事だった。

「まるきりじっとしていなくても、いいんだよ。お茶を飲んだり、花を食べたり……。
でも、顔を隠さないでほしいんだ。だって、折角君たち二人を描いているのに、顔が見えないんじゃあ、他の花乙女と間違ってしまうだろう?」

リンファスは、その花の着き方から違いは分かると思うが、プルネルは確かに他の乙女と同じように沢山の花を身に着けているから、絵に描いたプルネルは顔を描かないとどの花乙女だか分からなくなりそうだ。
リンファスがそう言うと、アキムはとても大袈裟に悲しんで見せた。

「リンファス、折角友人になった僕に、そんな冷たいことを言わないでくれ。僕は美しいものを描くことが大好きなんだ。
花乙女はアスナイヌトに次ぐ、美の象徴だよ。君たちをモデルにしていいと聞いたときの僕の歓喜の踊りを、君に見せてあげたいよ」

絵筆を持ったまま、アキムが両腕を広げて天を仰ぐようにすると、プルネルが小鳥のように笑って、ルドヴィックに、「どのくらいが脚色かしら?」と聞いていた。

「かなり、脚色が入っているな。ただ、君たちを描くことが出来ることを喜んでいたことは確かだから、そこは信じてやってほしい」

「……ですって、リンファス。だから気構える必要は、ないんだと思うわ」

ぽん、と手を合わせたプルネルと微笑んでいるルドヴィックにそう言われるが、それが分かったからといって、人に見つめられるのには慣れることが出来るものではない。
もともと居ないものとして扱われてきた時間が長いだけに、こうやって自分のところに人が集まって、あまつさえ交流してくれる、というのが未だに夢なのではないかと、時々思ってしまう程だ。

それは決まって、夢にファトマルが出てきて飛び起きた時で、リンファスはファトマルの怒った顔を頭から追い出すのに苦労した。

――『君が自分に対して自信が持てなかったのは、君の父親の罪だよ』

ふと思い出したのは、この前のロレシオの言葉だった。

あの時ロレシオは、リンファスのことをファトマルの呪縛の中に居ると言った。確かにファトマルに否定され続けて、自分は役立たずなんだと思っていた。
でもインタルに来て、ケイトからも、ハラントからも、プルネルからも、ねぎらいの言葉を貰った。
それが如何に幸せな事なのかという事を、リンファスは身にしみて感じていたし、館の乙女たちの役に立てることは、リンファスの自信を育てていた。
それが、何も出来損ないの役立たずではない、と知ることに繋がっており、ロレシオが言う、『ファトマルの呪縛』からは解き放たれているのではないかと考えるのだ。

それに。

(この、蒼い花……)

ロレシオが贈ってくれた蒼い花があるから、リンファスはお腹いっぱい食事を出来るし、以前は出来なかった、アスナイヌトへの花の寄進も出来るようになった。
勿論、プルネルやアキム、ルドヴィックからの花もそれぞれ美味しいのだが、ロレシオの花は、より甘くて満たされる気がする。
ロレシオはリンファスのことを『友人』だと言ったのに、プルネルたちがリンファスに対して思っている『友人』とは違うのだろうか? それに……。

リンファスも、思いの外野外音楽堂でのダンスが楽しくて、ロレシオに対して一気に親密感を持った。
窮屈な、宿舎と茶話会や舞踏会、という生活から抜け出した友人……、いわば『同志』だった。
収穫祭に似たダンスを楽しいと言い、リンファスの素行を注意しなかったロレシオも、あの生活を窮屈に思っていたに違いない。そう思うと、カーニバルがますます楽しみになる。
カーニバルでどんなロレシオに出会えるのだろうと思うと、気持ちが落ち着かなくなる。とくんとくんと拍動を打つ心臓に触れながら、リンファスは知らず微笑んでいた。それを、プルネルに指摘されて気付く。

「リンファス、どうしたの? なんだかうれしそうだわ」

「えっ……? え、そ、そうかしら……」

今まで心臓が動悸するときは、必ず怒られることを予兆しての時だったので、嬉しそうと言われて、困惑しつつも改めて自分の感情に向き直る。
そして、あの収穫祭でのことが、リンファスにとって初めて行動だった、と感じた。
其処に一緒に居たロレシオも、おそらく一緒に羽目を外していた。

リンファスの行動は常に、誰かの役に立つ為ということで成り立っていた。その『呪縛の枷』が、一つ外れたのだ。
そう思うと、そうさせてくれたロレシオに対する感謝と、一緒に羽目を外して、リンファスを楽しい気持ちにさせてくれた彼に対する恩義が、心を満たす。自分は良い友人を持った、と思った。

「野外音楽堂で楽しいダンスを踊ったの。全然形式ばっていなくて、とても楽しかったわ」

「まあ、どなたと?」

プルネルが目を輝かせて問うので、この花の方よ、と言って、右胸の『友情』の花を撫でる。するとプルネルはとても喜んでくれた。
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