41 / 77
リンファスとロレシオ
(7)
しおりを挟む
「約束を、違えなかったのだな、君は」
耳心地の良いテノールが暗闇に響いて溶けた。
声の方を見ると、其処に人影が立っていた。
こんな暗闇でも微かに届く広間の灯りで分かる淡い金の髪が背中から右胸に垂れている。間違いなく、ロレシオだ。
「こ……、この前は、花をありがとうございました……」
こんな暗がりで大きな声を出すのが躊躇われて、声は小さなものになった。それでも彼は言葉を拾ってくれた。
「どうだろう……? あの時君が、あそこに来る前に広間ですれ違った誰かからの花だったかもしれないじゃないか」
「……だから、あんな風におっしゃったのですか……?」
――『わからない……』
確かにあの時彼はそう言った。
自分で咲かせた心当たりがなかったから、彼はそう言ったのではないだろうか。だったら、あの花のことをこの人にありがとうと言うのは相手が違う。
しかしその時。
やはりこの前のように体の奥からあたたかく込み上げてくるものがあると感じた。そのぬくもりはだんだん左の手首に集中していき、其処にこの前と同じような小さな花弁をふわりと花開かせた。
「花が……」
「……まさか、二度も……? まさか、本当に僕が……?」
リンファスはこの前と同じように花が咲いたことに驚いている目の前の人がぼんやりとしている間に、この前の失敗を取り戻そうと思った。
あの時はロレシオと喋っているときに花が咲いて驚きのあまりその場で花の色を確認できなかったが、今日は二回目ということもあり、突然のことだったけどこの前よりは落ち着いて行動することが出来ている。
……つまり、花の色を確かめようと、左手首を目の前に持ってきた。
淡い花芯のその花は、花弁を闇と同じ濃い色にしており、暗闇でよく見ると胸の蒼い花の形によく似ていた。
ハラントは胸の花のことを『同情』の花だと言っていた。
もし今ロレシオがこの花をくれたのだとしたら、この人はリンファスの何に同情したのだろうか?
「……お尋ねしても良いでしょうか……?」
リンファスが声を掛けるとロレシオははっとした様子で、なんだ、と応えた。
「……この花は……、私の胸の花に似ています。
……ハラントさんが言うには、私の胸の花は『同情』の花なんだそうです。
……もし貴方がこの花をくださったのなら、……貴方は私の何に、……同情してくださったのですか……?」
リンファスの言葉に、彼は少し息を吐いたようだった。
それは、安堵の吐息に似ていた。そして息を漏らすように、ふふ、と静かに笑った。……口許が、歪んでいる……。
「同情……。……そうか、同情か……。それなら説明が付く……」
「説明……、ですか? どんな説明なんですか?」
ロレシオの言葉から推測するに、彼はこの花を自分の花だと認めたようだった。
その理由が同情にあるのだろうか。
リンファスは口を黙って彼の答えを待っていると、彼は口を開くとリンファスが驚くようなことを言った。
「以前、君がカーンの店で倒れた時に、僕が君を宿舎まで運んだことはケイトから聞いているんだろう。
あの時、僕がセルン夫人を呼んだ。
『母なる愛情の花』で癒せばいいことは知っていたが、男の僕があの館に長居するわけにもいかなかったからだ。
あの後『母なる愛情の花』で手当てを受けていたのを見て、驚いた。
『母なる愛情の花』をあんなにたくさん使って癒さなければならない程、愛情に縁遠かった君を哀れに思ったんだ」
「まあ!」
じゃあ、命の恩人だ。
あの時にセルン夫人からの治療を受けて、リンファスはまた働けるようになったのだから。リンファスは慌てて頭を下げた。
「そんな恩人とは知らず、失礼致しました。おかげでこの通り、元気になりました」
そうか。だからこの人はリンファスに同情してくれたのだ。
分けてもらう花も栄養にならず、治療の花に頼るしかなかったリンファスのことを、哀れだと思ったのだ。
でもそれで分かった。あの後スカートに咲いた最初の花は、確かにこの人からの贈り物だったのだ。嬉しい。花の贈り主に会えたのだ。
「あの……! この前食べてしまったことを懺悔した花は、確かに貴方からの花だったと思います……!
だって、治療するしかなかった私を、憐れんでくださったのでしょう……!?
ああ、ありがとうございます……! 貴方は二重に私の恩人です……!」
嬉々として礼を述べるリンファスに、ロレシオは戸惑ったようだった。息を詰めたような音をさせた後、何も言わない。
「……あの……」
なにかおかしなことを言っただろうか。もし彼の機嫌を損ねていたらと思うと、リンファスはそれだけで身が縮む思いだった。
やがて、ふう、と大きなため息を零したその人は、本当に不思議な花乙女だ、と呟いてこう言った。
「確かに僕はあの時、君のことを憐れんだ。
花乙女なのに一つも花を持たず、治癒の花に頼るしかない君のことをそう思った。
おまけに君は、その後も花がないのに仕事を続けただろう? 同情を買いたいんだと思っても、当然だとは思わないか?」
風を震わせるテノールが滲むように響く。リンファスは彼の言葉を不思議に聞いていた。
「……確かにケイトさんがおっしゃる通り、愛されていなかったのかもしれません……。だからこそ、働かなければいけないのだと思うのですが……」
「そうかい? 立っていられなくなるほど愛情に飢えていたんだ。
同情ではなく、僕らイヴラに愛してもらおうとすることが、体調回復の近道だったとは思わなかった?
……例えば他の乙女たちがしているように、身なりに気を付け、マナーを学び、社交を覚えることを、君は考えなかったの?」
彼の口から出た言葉を、不思議な気持ちで聞いた。そんなこと、思いつきもしなかった。だって。
耳心地の良いテノールが暗闇に響いて溶けた。
声の方を見ると、其処に人影が立っていた。
こんな暗闇でも微かに届く広間の灯りで分かる淡い金の髪が背中から右胸に垂れている。間違いなく、ロレシオだ。
「こ……、この前は、花をありがとうございました……」
こんな暗がりで大きな声を出すのが躊躇われて、声は小さなものになった。それでも彼は言葉を拾ってくれた。
「どうだろう……? あの時君が、あそこに来る前に広間ですれ違った誰かからの花だったかもしれないじゃないか」
「……だから、あんな風におっしゃったのですか……?」
――『わからない……』
確かにあの時彼はそう言った。
自分で咲かせた心当たりがなかったから、彼はそう言ったのではないだろうか。だったら、あの花のことをこの人にありがとうと言うのは相手が違う。
しかしその時。
やはりこの前のように体の奥からあたたかく込み上げてくるものがあると感じた。そのぬくもりはだんだん左の手首に集中していき、其処にこの前と同じような小さな花弁をふわりと花開かせた。
「花が……」
「……まさか、二度も……? まさか、本当に僕が……?」
リンファスはこの前と同じように花が咲いたことに驚いている目の前の人がぼんやりとしている間に、この前の失敗を取り戻そうと思った。
あの時はロレシオと喋っているときに花が咲いて驚きのあまりその場で花の色を確認できなかったが、今日は二回目ということもあり、突然のことだったけどこの前よりは落ち着いて行動することが出来ている。
……つまり、花の色を確かめようと、左手首を目の前に持ってきた。
淡い花芯のその花は、花弁を闇と同じ濃い色にしており、暗闇でよく見ると胸の蒼い花の形によく似ていた。
ハラントは胸の花のことを『同情』の花だと言っていた。
もし今ロレシオがこの花をくれたのだとしたら、この人はリンファスの何に同情したのだろうか?
「……お尋ねしても良いでしょうか……?」
リンファスが声を掛けるとロレシオははっとした様子で、なんだ、と応えた。
「……この花は……、私の胸の花に似ています。
……ハラントさんが言うには、私の胸の花は『同情』の花なんだそうです。
……もし貴方がこの花をくださったのなら、……貴方は私の何に、……同情してくださったのですか……?」
リンファスの言葉に、彼は少し息を吐いたようだった。
それは、安堵の吐息に似ていた。そして息を漏らすように、ふふ、と静かに笑った。……口許が、歪んでいる……。
「同情……。……そうか、同情か……。それなら説明が付く……」
「説明……、ですか? どんな説明なんですか?」
ロレシオの言葉から推測するに、彼はこの花を自分の花だと認めたようだった。
その理由が同情にあるのだろうか。
リンファスは口を黙って彼の答えを待っていると、彼は口を開くとリンファスが驚くようなことを言った。
「以前、君がカーンの店で倒れた時に、僕が君を宿舎まで運んだことはケイトから聞いているんだろう。
あの時、僕がセルン夫人を呼んだ。
『母なる愛情の花』で癒せばいいことは知っていたが、男の僕があの館に長居するわけにもいかなかったからだ。
あの後『母なる愛情の花』で手当てを受けていたのを見て、驚いた。
『母なる愛情の花』をあんなにたくさん使って癒さなければならない程、愛情に縁遠かった君を哀れに思ったんだ」
「まあ!」
じゃあ、命の恩人だ。
あの時にセルン夫人からの治療を受けて、リンファスはまた働けるようになったのだから。リンファスは慌てて頭を下げた。
「そんな恩人とは知らず、失礼致しました。おかげでこの通り、元気になりました」
そうか。だからこの人はリンファスに同情してくれたのだ。
分けてもらう花も栄養にならず、治療の花に頼るしかなかったリンファスのことを、哀れだと思ったのだ。
でもそれで分かった。あの後スカートに咲いた最初の花は、確かにこの人からの贈り物だったのだ。嬉しい。花の贈り主に会えたのだ。
「あの……! この前食べてしまったことを懺悔した花は、確かに貴方からの花だったと思います……!
だって、治療するしかなかった私を、憐れんでくださったのでしょう……!?
ああ、ありがとうございます……! 貴方は二重に私の恩人です……!」
嬉々として礼を述べるリンファスに、ロレシオは戸惑ったようだった。息を詰めたような音をさせた後、何も言わない。
「……あの……」
なにかおかしなことを言っただろうか。もし彼の機嫌を損ねていたらと思うと、リンファスはそれだけで身が縮む思いだった。
やがて、ふう、と大きなため息を零したその人は、本当に不思議な花乙女だ、と呟いてこう言った。
「確かに僕はあの時、君のことを憐れんだ。
花乙女なのに一つも花を持たず、治癒の花に頼るしかない君のことをそう思った。
おまけに君は、その後も花がないのに仕事を続けただろう? 同情を買いたいんだと思っても、当然だとは思わないか?」
風を震わせるテノールが滲むように響く。リンファスは彼の言葉を不思議に聞いていた。
「……確かにケイトさんがおっしゃる通り、愛されていなかったのかもしれません……。だからこそ、働かなければいけないのだと思うのですが……」
「そうかい? 立っていられなくなるほど愛情に飢えていたんだ。
同情ではなく、僕らイヴラに愛してもらおうとすることが、体調回復の近道だったとは思わなかった?
……例えば他の乙女たちがしているように、身なりに気を付け、マナーを学び、社交を覚えることを、君は考えなかったの?」
彼の口から出た言葉を、不思議な気持ちで聞いた。そんなこと、思いつきもしなかった。だって。
0
お気に入りに追加
56
あなたにおすすめの小説
七年間の婚約は今日で終わりを迎えます
hana
恋愛
公爵令嬢エミリアが十歳の時、第三王子であるロイとの婚約が決まった。しかし婚約者としての生活に、エミリアは不満を覚える毎日を過ごしていた。そんな折、エミリアは夜会にて王子から婚約破棄を宣言される。
幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。
秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚
13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。
歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。
そしてエリーゼは大人へと成長していく。
※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。
小説家になろう様にも掲載しています。
大好きだったあなたはもう、嫌悪と恐怖の対象でしかありません。
ふまさ
恋愛
「──お前のこと、本当はずっと嫌いだったよ」
「……ジャスパー?」
「いっつもいっつも。金魚の糞みたいにおれの後をついてきてさ。鬱陶しいったらなかった。お前が公爵令嬢じゃなかったら、おれが嫡男だったら、絶対に相手になんかしなかった」
マリーの目が絶望に見開かれる。ジャスパーとは小さな頃からの付き合いだったが、いつだってジャスパーは優しかった。なのに。
「楽な暮らしができるから、仕方なく優しくしてやってただけなのに。余計なことしやがって。おれの不貞行為をお前が親に言い付けでもしたら、どうなるか。ったく」
続けて吐かれた科白に、マリーは愕然とした。
「こうなった以上、殺すしかないじゃないか。面倒かけさせやがって」
【完結】捨てられ正妃は思い出す。
なか
恋愛
「お前に食指が動くことはない、後はしみったれた余生でも過ごしてくれ」
そんな言葉を最後に婚約者のランドルフ・ファルムンド王子はデイジー・ルドウィンを捨ててしまう。
人生の全てをかけて愛してくれていた彼女をあっさりと。
正妃教育のため幼き頃より人生を捧げて生きていた彼女に味方はおらず、学園ではいじめられ、再び愛した男性にも「遊びだった」と同じように捨てられてしまう。
人生に楽しみも、生きる気力も失った彼女は自分の意志で…自死を選んだ。
再び意識を取り戻すと見知った光景と聞き覚えのある言葉の数々。
デイジーは確信をした、これは二度目の人生なのだと。
確信したと同時に再びあの酷い日々を過ごす事になる事に絶望した、そんなデイジーを変えたのは他でもなく、前世での彼女自身の願いであった。
––次の人生は後悔もない、幸福な日々を––
他でもない、自分自身の願いを叶えるために彼女は二度目の人生を立ち上がる。
前のような弱気な生き方を捨てて、怒りに滾って奮い立つ彼女はこのくそったれな人生を生きていく事を決めた。
彼女に起きた心境の変化、それによって起こる小さな波紋はやがて波となり…この王国でさえ変える大きな波となる。
【完結】いてもいなくてもいい妻のようですので 妻の座を返上いたします!
ユユ
恋愛
夫とは卒業と同時に婚姻、
1年以内に妊娠そして出産。
跡継ぎを産んで女主人以上の
役割を果たしていたし、
円満だと思っていた。
夫の本音を聞くまでは。
そして息子が他人に思えた。
いてもいなくてもいい存在?萎んだ花?
分かりました。どうぞ若い妻をお迎えください。
* 作り話です
* 完結保証付き
* 暇つぶしにどうぞ
婚約者が実は私を嫌っていたので、全て忘れる事にしました
Kouei
恋愛
私セイシェル・メルハーフェンは、
あこがれていたルパート・プレトリア伯爵令息と婚約できて幸せだった。
ルパート様も私に歩み寄ろうとして下さっている。
けれど私は聞いてしまった。ルパート様の本音を。
『我慢するしかない』
『彼女といると疲れる』
私はルパート様に嫌われていたの?
本当は厭わしく思っていたの?
だから私は決めました。
あなたを忘れようと…
※この作品は、他投稿サイトにも公開しています。
【完結】誰にも相手にされない壁の華、イケメン騎士にお持ち帰りされる。
三園 七詩
恋愛
独身の貴族が集められる、今で言う婚活パーティーそこに地味で地位も下のソフィアも参加することに…しかし誰にも話しかけらない壁の華とかしたソフィア。
それなのに気がつけば裸でベッドに寝ていた…隣にはイケメン騎士でパーティーの花形の男性が隣にいる。
頭を抱えるソフィアはその前の出来事を思い出した。
短編恋愛になってます。
白い結婚は無理でした(涙)
詩森さよ(さよ吉)
恋愛
わたくし、フィリシアは没落しかけの伯爵家の娘でございます。
明らかに邪な結婚話しかない中で、公爵令息の愛人から契約結婚の話を持ち掛けられました。
白い結婚が認められるまでの3年間、お世話になるのでよい妻であろうと頑張ります。
小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。
現在、筆者は時間的かつ体力的にコメントなどの返信ができないため受け付けない設定にしています。
どうぞよろしくお願いいたします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる