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鬱金桜の君~その後の君~③
しおりを挟む「八重さん、着替えたかな」
着物を着替えた、丁度その時、襖の向こうから浅黄の声が掛かった。は、はい、と声を上ずらせて応じれば、浅黄の母親が部屋の襖を開けてくれた。彼女が出ていくのと入れ違いに、浅黄が部屋の中に八重を認め、やや目を瞠って口の端を上げた。
「やあ。やはりよく似合っている」
彼はそう言って畳を滑りながら八重の許へ来ると荒れた手を握り、八重をいとおし気に見つめた。
「あの、浅黄さま。このように高価なものは……」
「うん? でも、君は僕の奥さんになるのだから、これくらいは当然だろう?」
そう言って浅黄は、西洋風にこめかみに唇を落とした。八重にしてみたら突然のことで、勿論避ける隙もなかった。小さく高い音がしてぬくもりが離れると、そこから鼓動が走り始める。
「あ、浅黄さま……!」
「はは。許してくれ。やっと君を手に入れたのだから」
浅黄はそう言って、八重の手を握ったまま部屋の大きな障子を開ける。開け放たれた窓から見えるは、鬱金の大木。
「まあ。このお部屋の隣だったのですね」
「そうだ。僕たちの、記念の場所だよ」
八重は幼い頃を思い出した。もう二度と辿りつけない場所だと思っていたのに。
浅黄は縁側で八重を横に抱き上げると、草履を履いて庭に降り、桜の木の下から壮麗な枝花を見た。
「僕はあれからずっと、ふたたび君と一緒にこの桜を見上げることを夢見ていた。君が、あの桜の花を大事にしていてくれたから、その夢がかなった。ありがとう、八重さん。僕の夢を繋いでくれて」
熱をはらんだ瞳が、八重を見る。頬と言わず耳と言わず赤くなっている八重も、しかし浅黄をしっかりと見た。
「私も、あの桜の栞があったから、どんなに辛い時でも頑張れました。会うことはかなわなくとも、大切な思い出は色あせないのだと、信じておりました」
浅黄の、八重を抱く腕に力が籠る。
「君の思い出を、これから先、耀かせていきたい。僕と共に、人生を歩んでくれますか」
それははっきりとした、求婚の言葉だった。八重は胸を打ち震わせながら、応じる。
「はい、浅黄さま。私の心は、浅黄さま以外は要らないと、言っております」
「はは。光栄なことだ。では、君が失意しないよう、頑張らなくてはならないね」
浅黄の言葉に、八重も微笑むことが出来る。
「浅黄さまなら、どんな浅黄さまだって、私は好きだと思います」
「そう? こんなことをしても?」
そう言って再び、今度は唇に口づけてくる。しかし、恥ずかしいが、嫌ではない。
「……嫌いにはなりません」
「ほう。では、もっとしても?」
ずいっともう一度顔が近づいて、そこで慌てて顔を俯けた。
「で、でも、婚儀もまだですから、あまり沢山は……」
ごにょごにょと言葉が消えていく。嫌ではないのだ。ただ、浅黄の体裁を考えると、それ以上はよろしくないと思う。今の八重は、まだ市川子爵との養子縁組も出来ていない、斎藤家の下働きである身で、女学校に通っていたあやめと比べれば、教養も足りず、浅黄の足手まといになるばかりだ。そう危惧すると、浅黄はあっけらかんと笑った。
「おかしなことを言うね、八重さんは。だってそもそも君は、橋本さまのお嬢さまだ。斎藤のお家での扱いがおかしかっただけのことで、君はれっきとした子爵さまの出だろう?」
「で、でも、学ぶべきを学んでおりまん……」
「それは、これから学べば良いだけのことで、どんなタイミングだったとしても学ぶのに遅いということはない。足りない、というのは、行う機会があったにもかかわらず、そのとき努力をしなかった場合に咎められる事案で、八重さんの場合は当てはまらないよ」
しかし、君の謙虚さは買っておこう。
そう言って浅黄は八重から顔を離した。その代わりにひたり、と頬を合わせて囁いた。
「君の憂いは全て僕が晴らしてあげよう。君の憂い迷いが全て晴れた暁に、婚儀を迎えられたらと思っている。それでよい?」
八重を思い遣ってくれる浅黄の心に、深く頷く。浅黄は八重を下ろして縁側に座らせると、咲き誇る桜の枝から一輪の花を摘んだ。
「これは、出会った記念ではなく、これからの約束の為のしるしだよ。もっと相応しいものはのちのちあつらえるけど、この形も悪くないと思う」
そう言って渡された黄緑色の花を、八重は両手で大事に受け取った。
「ありがとうございます、浅黄さま。私はこれで十分です」
微笑む八重に、浅黄は苦笑して首を振った。
「僕にも男としての見栄を持たせてほしいな」
半ば、本気で言っていそうな浅黄に、では、と八重は手を差し出した。
「灰かぶり姫のお話で、とても素敵だと思ったのです」
八重の言葉に、浅黄が恭しくその手を受け取り、手の甲に口づけた。そうして二人で視線を合わせて微笑み合う。
夢に見るは、灰かぶり姫のおとぎ話。
浅黄の隣で花に揺れ。
廻る季節に、幾多の幸を――――。
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