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一章

第4話 王妃・アストリッドは立場を追われて、逃避の旅に出る

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屋敷が燃やされ、命からがら逃げてきて、約二か月ほど。

「うん、もう少しってところね」

私はひたすら西を目指して、徒歩による逃避の旅を続けていた。


ジールを亡くして、燃える屋敷から抜け出したその夜。
私は闇夜に身を隠しながら、火事の混乱に乗じて、警備の目をかいくぐり、どうにか王都の外へと出た。

その時点では、まったくあてなどなかった。ただ王都に留まっていては、どう動くこともできない。

ただそれだけの理由で飛び出したのだが、王都の近郊で身を隠す日々を送っているうちに、一つの名案を思い付いた。


それが、国からの出奔である。


一応、市井に流れる噂や新聞から情報を得るにに、『アストリッド王妃は不慮の出火で焼死した』と王家は発表をしたらしい。ただそれは、一家に一妃というルールをクリアして、ハンナを王妃の座につけるためにそう公表をしただけで、実はまだ私の行方を捜している可能性もなくはない。

焼け跡を調査すれば、私が逃げたことが突き止められる可能性は十分にありえた。

焦げてしまった髪をショートヘアに変えるなど、できるだけ身を隠しているとはいえ、それだけではたしかとは言えない。

だが国外へと出てしまえば、どうだ。
調査の手が回る可能性はぐっと低くなる。

そんな考えで、隣国・ミュラ王国に接する西の街、エスタンを一途目指していた。


昼頃、私はその中継地点となる山間の小さな町にたどり着く。


そこで私は、昼食をとることにした。

念のためローブのフードに顔を隠したまま、いくつかある露店の中から、とくに人の少ないところに並び、パンに豚肉を挟んだものを一つ手に入れて代金を支払う。

が、

「あんた、旅の人かい?」

そこで小さな誤算があった。
客が少なく暇だからか、店主にこう声をかけられてしまう。

だが、こんな時の対策はもちろん考えてあった。私は少しフードを上げて、笑顔を作って見せる。

これくらいで、身元がばれるようなことはない。
そもそもアストリッドの顔を見たことはないだろうし、もし見たことがあったとしても、まさか元王妃とは思うまい。

髪型も、化粧の仕方もはっきりと変えてある。
たぶん旧知の人に会っても、そうは見抜かれないだろう。

「はい。薬を売り歩いているんです」
「あぁ、薬屋かい。買ってもらったところなんだが、逆に少し売ってくれないか。最近、腰が痛くてねぇ」
「あら腰痛ですか。えぇ、構いませんよ。むしろ大歓迎です」

私はそう答えると、背負っていたカバンから薬箱を取り出して、上部の蓋を開ける。
そのうえで、小瓶に入れた透明な液体を指さした。

「腰痛なら、これがおすすめですよ。アロベラという薬草を使った、鎮痛剤です。塗り薬として使えますが、応急処置ですから、まずは一週間ほどお使いになるのがよいかと」

身分を偽るための嘘――というわけじゃない。

これは、本当に薬である。
食料や替えの服すらなく、着の身着のまま出てきた私に、唯一得られた食い扶持が、この薬売りだったのだ。


もともと薬草類に関する研究には興味があり、書籍はいくつも読んできたし、薬師の先生から話を聞いたりと、知識だけはたくさん蓄えてあった。

ただ実践という意味ではほとんど素人だ。せいぜい、先生のもとで少し作ったことがあるくらいだったから、まずはじめに作ったのは、背中に負っていたやけどを治すための調薬だ。

下手な薬を作って、他人の病気や怪我を悪化させてしまうのはよくない。そこで自分を実験台にして、薬の効果を確かめていったわけである。

他にも、歩きすぎによる足の疲労、野宿の繰り返しや湧きおこる悲しみ・恐怖による寝不足、生の野草ばかり食べていたことが原因の食欲不振、できもしないのに魔法を使おうしたことによる魔力異常など。

この旅の間、私はさまざまなことに悩まされてきて、そのたびに知識と自己流の実践で薬を作って対処をした。
中には、新しく作ったものもある。

はじめは、まったく治らなかったり、むしろ悪化したりもした。

が、それでもめげずに採集、製薬を繰り返していくうち、ある程度の質のものができるようになってきて、こうして売れるようにもなった。

その結果、食うに困らない程度の収入は確保できるようになっていた。

「じゃあ、それを一つ貰おうかな」
「ありがとうございます。代金は、今のパン代をそのままお返しいただければ、それで構いませんよ」
「いいのかい? 薬って高いと聞くが……」
「えぇ。せっかくのご縁ですから」

私はそうして薬と反対に、今得たお金を返してもらって、その店を後にする。
それからすぐに、その町を出た。


あまり長居して、変に顔を覚えられるようなことがあっては、まずいこともあるかもしれない。
そう考えての判断だった。


私は、焼き豚を挟んだパンを食べながら、街道をどんどんと歩いていく。

食べながら歩くなんて、王妃だった頃、いや貴族として生きてきたこの二十余年では考えられないことだった。

が、もう慣れっこになっていたし、むしろパーティー会場で食べる豪華すぎる食事よりも、いいくらいだ。

あの政治的な思惑があちこちを交差する場は、華やかには見えても、息苦しかった。

が、今はそれがない。

だから、道端に生えていたミントを見つけて、

「……ちょっと酸味が強いわね」

それを、少し洗ったのち、もさもさ食むようなことすらできてしまう。


あまり美味しいものではなかった。
が、豚肉の油っぽさをうまく中和してくれたのでよしとして、私はなおも歩く。

そうしながら感じるのは、小さな幸せや自由だ。


私は、首元に掛けた割れたネックレスへと手をやる。
それから遮るもののない晴れ渡る青空を見上げ、ジールへと思いをやる。

なにげない景色だ。
だが、これを見ることができるのも、彼女が私を生かしてくれたからだと思えば、胸が熱くなってくる。

「もっと幸せにならなきゃね」

そう、こんなものでは到底足りない。
私は二人分、これからもっと幸せになってみせる。

そのためにもまずは、この国を出よう。

そして、ミュラ王国に着いたら、そこできちんと薬師をやるのだ。
小さくてもいいから拠点を構えて、ゆったりやれたらそれが一番いい。

そんな目標に背中を押されて、私は足を前へと進めた。
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