上 下
1 / 29
一章

第1話 王妃・アストリッドの日常は、灰色。

しおりを挟む


「アストリッド王妃殿下、こちらの書類に目を通していただけますか。三の刻から、会議がございます」
「大変申し訳ありませんが、こちらの書類もお願い申し上げます。地方領主からの嘆願書でして……それから――」
「こちらもお聞きいただきたいです。また、例の新聞屋がろくでもない噓情報を街で撒き散らしておりまして――」

などと。

山のような仕事を置いて、臣下らが出て行ったのち、私は執務室の机で一人、ため息をついた。

肩口までかかる朱色の髪をかき上げるようにして、頭を抱える。

そのわけは単純で、あまりにも仕事が多いせいだ。
文字通り、忙殺されかかっていた。

本当なら、屋敷の庭に作った薬草園にあるカフェスペースでゆっくりお茶でもしたい。

育てている珍しい薬草類を愛でながら、趣味の一つである薬学の研究書でも読んで、優雅な時間を過ごしたい。できれば、普段から色々と教えてくれる薬師の元へ行って、お話も聞きたい。

が、残念ながら、それはここ数ヶ月叶っていなかった。


王妃というのは、なかなかに忙しいのだ。
外交から内政まで、あらゆる事項の決定に関わる必要があるし、その一つ一つが重要事項だから手を抜くこともできない。

それでも本来なら、休む暇くらいはあるものだけれど……。
単純な仕事量とは別の要因で、それは叶っていなかった。

私がその元凶に思いをやり、再度ため息をついていると、部屋の戸がノックされる。

それで「どうぞ」と答えれば、中に入ってきたのは、よく知った顔だった。

「王妃殿下、お疲れですね」

侍女のジールである。
彼女は、赤子の頃から私についてくれていて、今もなお、自屋敷や王城での身の回りの世話をしてくれている。

年齢はきちんと聞いたことはないが、赤子だった私が今や、二十三歳だ。
働きだした年齢などを考えれば、四十代頃だろう。

年齢は大きく離れている。
が、腹の中の読めない役人が多くいる王城においては、ほとんど唯一といってもいいくらい、気の置けない存在だ。

誕生日などにはプレゼントを贈り合うこともあって、彼女がいつも身に着けているパールのネックレスは私がプレゼントしたものである。

「王妃殿下なんてやめて。アスタでいいわ。昔からそうだったでしょう」
「ふふ、でしたね。では、アスタ様。この間、お申し付けいただいた国王陛下の動向調査が終わりましたので、ご報告に上がりました」

「あら、その件ね。で、どうだった?」
「申し上げにくいのですが、やはり陛下はアスタ様の妹君・ハンナ様、との密会を重ねているようでございます。あの、あることないこと書いている『王都新聞』の情報は、今回ばかりは正しかったようですね」
「……そう。まぁ予想通りね」

今更がっかりもしない。
新聞記事には関係なく、その可能性が高いと思っていたからこそ、裏どりをお願いしていたのだ。

オルセン国王である、私の夫・ローレンは、奔放な人間である。
先代王が体調を崩されたことにより、若くして王位を譲り受けたのだが、責任感などはあまり感じていないらしい。

常に女遊びにうつつを抜かし、家庭や仕事を一切顧みない。

そして挙句、私の妹と不倫に走っているときた。


別に、ローレンが誰に色目を使ってようが、そんなものはどうでもいい。
もともと恋愛結婚したわけじゃなく、実家であるカポリス公爵家と、オルセン王家との関係を良好に保つため、政略結婚させられたにすぎないのだ。

結婚したのは二十の時で、ローレンとは別に、私には思い人がいた。将来を誓い合って、真剣に交際もしていた。

でも、公爵家において、親の命令は絶対だ。
抵抗はしたのだけど、「従わなければ、お前の恋人がどうなるか分かるか」と脅されて、仕方なく、王妃となった。

ただ、それだけの話だ。


今や、その時の恋人に未練があるわけじゃない。

が、ローレンが仕事をしないことに対しては、かなりの不満があった。

そもそもは今やっている仕事だって、本来は、国家のトップである彼がやるべき仕事だ。

だが、その彼がほとんど働いてくれないから、私はその代わりを務める形で仕事漬けになっている。
今や、決裁のため彼のサインを真似ることさえも、うまくなってしまった。

「しかし、陛下はどういうおつもりなのでしょう。側室にしようにも、ハンナ様にその権利はないというのに」
「さぁ、あの人の考えることはよく分からないけど……」

そう、一つの家から迎えられる妃は一人。
それは、貴族間の権力バランスを維持するために、国家法で定められている。

つまり、妹・ハンナは私がいる以上、どうやっても側室になることさえできない。
普通なら、そんな恋愛はしないだろうが……

「認められないからこそ燃え上がる、って奴かしらね。小説でなら、そういう関係性の男女の恋愛ものを読んだことがあるわ」
「実際にやられると、こうも寒いのですね」

「ふふ、ジール。随分はっきり言うわね。聞かれていたら処刑されているところよ」
「そ、それはアスタ様の前でしたから、つい……!」

「とにかく報告ありがとう。この件は、両親に伝えて、ハンナの方を引かせるわ。外に漏れたら、カポリス公爵家の恥になるもの」
「それがよろしいかと。その方が、すっきりしますし」

ジールと束の間の談笑を交わす。
一日の中で、そうはない憩いのひと時だ。

会議の時間はやたら長いくせに、こういうとき時間だけはあっという間に過ぎていく。
まだまだ話したりなかったが、私はその後きちんと、仕事へ戻った。

書類チェック、会議、地方領主との面会などハードにスケジュールをこなしていく。




そして、八の刻。
春になりだいぶ日が長くなったとはいえ、もうすっかり空が暗くなった頃。
私はその日最後の仕事のため、ドレスに着替えて、夜会へと出向いていた。

同盟国から要人が来ており、その歓迎会が催されるのだ。

そしてこういう場には、普段はまったく仕事をしていないローレン王も参加する。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

完)嫁いだつもりでしたがメイドに間違われています

オリハルコン陸
恋愛
嫁いだはずなのに、格好のせいか本気でメイドと勘違いされた貧乏令嬢。そのままうっかりメイドとして馴染んで、その生活を楽しみ始めてしまいます。 ◇◇◇◇◇◇◇ 「オマケのようでオマケじゃない〜」では、本編の小話や後日談というかたちでまだ語られてない部分を補完しています。 14回恋愛大賞奨励賞受賞しました! これも読んでくださったり投票してくださった皆様のおかげです。 ありがとうございました! ざっくりと見直し終わりました。完璧じゃないけど、とりあえずこれで。 この後本格的に手直し予定。(多分時間がかかります)

敗戦して嫁ぎましたが、存在を忘れ去られてしまったので自給自足で頑張ります!

桗梛葉 (たなは)
恋愛
タイトルを変更しました。 ※※※※※※※※※※※※※ 魔族 vs 人間。 冷戦を経ながらくすぶり続けた長い戦いは、人間側の敗戦に近い状況で、ついに終止符が打たれた。 名ばかりの王族リュシェラは、和平の証として、魔王イヴァシグスに第7王妃として嫁ぐ事になる。だけど、嫁いだ夫には魔人の妻との間に、すでに皇子も皇女も何人も居るのだ。 人間のリュシェラが、ここで王妃として求められる事は何もない。和平とは名ばかりの、敗戦国の隷妃として、リュシェラはただ静かに命が潰えていくのを待つばかり……なんて、殊勝な性格でもなく、与えられた宮でのんびり自給自足の生活を楽しんでいく。 そんなリュシェラには、実は誰にも言えない秘密があった。 ※※※※※※※※※※※※※ 短編は難しいな…と痛感したので、慣れた文字数、文体で書いてみました。 お付き合い頂けたら嬉しいです!

私の容姿は中の下だと、婚約者が話していたのを小耳に挟んでしまいました

山田ランチ
恋愛
想い合う二人のすれ違いラブストーリー。 ※以前掲載しておりましたものを、加筆の為再投稿致しました。お読み下さっていた方は重複しますので、ご注意下さいませ。 コレット・ロシニョール 侯爵家令嬢。ジャンの双子の姉。 ジャン・ロシニョール 侯爵家嫡男。コレットの双子の弟。 トリスタン・デュボワ 公爵家嫡男。コレットの婚約者。 クレマン・ルゥセーブル・ジハァーウ、王太子。 シモン・ノアイユ 辺境伯家嫡男。コレットの従兄。 ルネ ロシニョール家の侍女でコレット付き。 シルヴィー・ペレス 子爵令嬢。 〈あらすじ〉  コレットは愛しの婚約者が自分の容姿について話しているのを聞いてしまう。このまま大好きな婚約者のそばにいれば疎まれてしまうと思ったコレットは、親類の領地へ向かう事に。そこで新しい商売を始めたコレットは、知らない間に国の重要人物になってしまう。そしてトリスタンにも女性の影が見え隠れして……。  ジレジレ、すれ違いラブストーリー

お久しぶりです、元旦那様

mios
恋愛
「お久しぶりです。元旦那様。」

【完結】ブスと呼ばれるひっつめ髪の眼鏡令嬢は婚約破棄を望みます。

はゆりか
恋愛
幼き頃から決まった婚約者に言われた事を素直に従い、ひっつめ髪に顔が半分隠れた瓶底丸眼鏡を常に着けたアリーネ。 周りからは「ブス」と言われ、外見を笑われ、美しい婚約者とは並んで歩くのも忌わしいと言われていた。 婚約者のバロックはそれはもう見目の美しい青年。 ただ、美しいのはその見た目だけ。 心の汚い婚約者様にこの世の厳しさを教えてあげましょう。 本来の私の姿で…… 前編、中編、後編の短編です。

身代わりの私は退場します

ピコっぴ
恋愛
本物のお嬢様が帰って来た   身代わりの、偽者の私は退場します ⋯⋯さようなら、婚約者殿

不貞の子を身籠ったと夫に追い出されました。生まれた子供は『精霊のいとし子』のようです。

桧山 紗綺
恋愛
【完結】嫁いで5年。子供を身籠ったら追い出されました。不貞なんてしていないと言っても聞く耳をもちません。生まれた子は間違いなく夫の子です。夫の子……ですが。 私、離婚された方が良いのではないでしょうか。 戻ってきた実家で子供たちと幸せに暮らしていきます。 『精霊のいとし子』と呼ばれる存在を授かった主人公の、可愛い子供たちとの暮らしと新しい恋とか愛とかのお話です。 ※※番外編も完結しました。番外編は色々な視点で書いてます。 時系列も結構バラバラに本編の間の話や本編後の色々な出来事を書きました。 一通り主人公の周りの視点で書けたかな、と。 番外編の方が本編よりも長いです。 気がついたら10万文字を超えていました。 随分と長くなりましたが、お付き合いくださってありがとうございました!

〖完結〗死にかけて前世の記憶が戻りました。側妃? 贅沢出来るなんて最高! と思っていたら、陛下が甘やかしてくるのですが?

藍川みいな
恋愛
私は死んだはずだった。 目を覚ましたら、そこは見知らぬ世界。しかも、国王陛下の側妃になっていた。 前世の記憶が戻る前は、冷遇されていたらしい。そして池に身を投げた。死にかけたことで、私は前世の記憶を思い出した。 前世では借金取りに捕まり、お金を返す為にキャバ嬢をしていた。給料は全部持っていかれ、食べ物にも困り、ガリガリに痩せ細った私は路地裏に捨てられて死んだ。そんな私が、側妃? 冷遇なんて構わない! こんな贅沢が出来るなんて幸せ過ぎるじゃない! そう思っていたのに、いつの間にか陛下が甘やかして来るのですが? 設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。

処理中です...