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真実を求めて。
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♢
ーー時は全てを明らかにした日から、すこし遡る。
「私」がシンシアと分かれた自分の存在に気づいたとき、魔法いや洗脳は、すでに溶けたあとだった。
なんのことはない。
どれだけそれしかないと思っていた世界でも、なにかの拍子に他の場所へ飛ばされれば、その世界を俯瞰してみることができる。
私にとってはそれが、飛び降りた際の記憶喪失だったと言うだけのことだ。
気づけて幸せだったのか、不幸だったのか、「私」には分からない。
だが、身体を失うという代償のかわりに、少なくとも思考がすっきりとしているのは確かだった。
「私」は、なにも知らない彼女、机に座り本を読むシンシアを眺めた。
彼女は、昔の私、でも今の「私」ではない。つまり、彼女もシンシア・ディレイであることは間違いなかった。
ううん、むしろ世間様から見れば、彼女こそがシンシアである。
と、扉が数回ノックされた。
シンシアがそれに応じると、奥では長身の男が一人、頭を深々と下げている。
執事を務めていたヨルだ。
なかなか整った顔をしており、その金色の髪はシャンデリアの明かりによく映えた。
「……お嬢様、お紅茶をお持ちしました。その後、お加減は?」
「全く問題ないですよ。大した怪我でもありませんから。記憶の方はまだ戻りませんが」
「…………そうでしたか」
当たり前だ。「私」はここにいるのだから。彼女に尋ねたって責めたって、ただ困らせてしまうだけだろう。
私の存在は、誰にも気づかれないらしかった。
それは、ついさっきわかったことだ。
彼女がベッドで足を打ち付けたとき、「私」は直前で声を上げたのだが、彼女の耳には届かなかった。
そのため、シンシアの小指は今少し腫れているのだが、彼女はそれを「私」が観察しているなどつゆも思っていない。
もちろん姿も同じだ。
ヨルに向けて手を振ろうとも、彼は気づくそぶりもなかった。
「ねぇ、ヨルさん。私はどうして記憶喪失になったのでしょう?」
「……ただの不幸ですよ。それ以下でも以上でもありません」
「そうですか……。では、どうして私は外に出ることを許されないのでしょう」
「外は少しばかり危険だからでございます」
「では、この身体のアザは……」
「それはじきに引いていきますよ。ですから、静かにお過ごしください」
二人の会話を聞いていて、いたたまれない気分になってくる。
外出禁止のわけは、大方、婚約破棄を受けたことが原因だ。
ぱちりと洗脳の泡から解き放たれた今ならば分かる。
あの男、アルノはとても残虐な男だった。きっと記憶喪失だというくらいでは満足しない。
シンシアの身体が死に、口をいっさい割らなくなるまではなにかしらの方法で、彼女を狙うはずだ。
ヨルは婚約破棄からの事情を知っていて、避けようとしてくれているのだろう。
私とて気持ちは同じだ。彼女を狙う行為は、どうしても許すわけにはいかなかった。
とくに、元シンシアである「私」としては。
どうせこんな思念体の姿になってしまったのだ。もはや、命などない。そして、ない命など惜しくはない。
だったら、今のシンシアの命を救ってやりたい。
そのためにも、アルノの罪を全て日の元に引き摺り出してやる。
憎悪に満ちた邪な思考というよりは、どちらかと言えばクリアな頭で、私は本当に人知れずそんな決意をした。
そして一晩、私はさまざまなことを試してみた。
この状態でなにができるのか、だ。
喋ることも、行動を起こすこともできない。だが逆に、できるようになったこともあった。
まず一つ、誰にも気づかれずに移動ができた。壁をすり抜けることさえ容易で、道なき道も簡単に通れる。
そして次に、波長のようなものを感じられるようになっていた。いわば感情の波のようなものだ。
これを全く完全に合わせることができれば、一定時間そのものの身体を借りることもできそうな感覚があったのだが……。
今のシンシアとは、なぜかそれが合わなかった。
けれど、もしかしたら他の誰かには使えるかもしれない。知り得た情報をアウトプットするには、不可欠なことだ。
思念体というのは不思議なもので、全く眠くならなかった。そのまま検証を繰り返しているうちに、朝を迎える。
「私」はそこで、なにも知らずに眠り続けるシンシアをおいて、ディレイ邸を離れることにした。
求めるは、真実の追及だ。さっそくアルノ邸へと足を向けた。
……足はないのだが。
ーー時は全てを明らかにした日から、すこし遡る。
「私」がシンシアと分かれた自分の存在に気づいたとき、魔法いや洗脳は、すでに溶けたあとだった。
なんのことはない。
どれだけそれしかないと思っていた世界でも、なにかの拍子に他の場所へ飛ばされれば、その世界を俯瞰してみることができる。
私にとってはそれが、飛び降りた際の記憶喪失だったと言うだけのことだ。
気づけて幸せだったのか、不幸だったのか、「私」には分からない。
だが、身体を失うという代償のかわりに、少なくとも思考がすっきりとしているのは確かだった。
「私」は、なにも知らない彼女、机に座り本を読むシンシアを眺めた。
彼女は、昔の私、でも今の「私」ではない。つまり、彼女もシンシア・ディレイであることは間違いなかった。
ううん、むしろ世間様から見れば、彼女こそがシンシアである。
と、扉が数回ノックされた。
シンシアがそれに応じると、奥では長身の男が一人、頭を深々と下げている。
執事を務めていたヨルだ。
なかなか整った顔をしており、その金色の髪はシャンデリアの明かりによく映えた。
「……お嬢様、お紅茶をお持ちしました。その後、お加減は?」
「全く問題ないですよ。大した怪我でもありませんから。記憶の方はまだ戻りませんが」
「…………そうでしたか」
当たり前だ。「私」はここにいるのだから。彼女に尋ねたって責めたって、ただ困らせてしまうだけだろう。
私の存在は、誰にも気づかれないらしかった。
それは、ついさっきわかったことだ。
彼女がベッドで足を打ち付けたとき、「私」は直前で声を上げたのだが、彼女の耳には届かなかった。
そのため、シンシアの小指は今少し腫れているのだが、彼女はそれを「私」が観察しているなどつゆも思っていない。
もちろん姿も同じだ。
ヨルに向けて手を振ろうとも、彼は気づくそぶりもなかった。
「ねぇ、ヨルさん。私はどうして記憶喪失になったのでしょう?」
「……ただの不幸ですよ。それ以下でも以上でもありません」
「そうですか……。では、どうして私は外に出ることを許されないのでしょう」
「外は少しばかり危険だからでございます」
「では、この身体のアザは……」
「それはじきに引いていきますよ。ですから、静かにお過ごしください」
二人の会話を聞いていて、いたたまれない気分になってくる。
外出禁止のわけは、大方、婚約破棄を受けたことが原因だ。
ぱちりと洗脳の泡から解き放たれた今ならば分かる。
あの男、アルノはとても残虐な男だった。きっと記憶喪失だというくらいでは満足しない。
シンシアの身体が死に、口をいっさい割らなくなるまではなにかしらの方法で、彼女を狙うはずだ。
ヨルは婚約破棄からの事情を知っていて、避けようとしてくれているのだろう。
私とて気持ちは同じだ。彼女を狙う行為は、どうしても許すわけにはいかなかった。
とくに、元シンシアである「私」としては。
どうせこんな思念体の姿になってしまったのだ。もはや、命などない。そして、ない命など惜しくはない。
だったら、今のシンシアの命を救ってやりたい。
そのためにも、アルノの罪を全て日の元に引き摺り出してやる。
憎悪に満ちた邪な思考というよりは、どちらかと言えばクリアな頭で、私は本当に人知れずそんな決意をした。
そして一晩、私はさまざまなことを試してみた。
この状態でなにができるのか、だ。
喋ることも、行動を起こすこともできない。だが逆に、できるようになったこともあった。
まず一つ、誰にも気づかれずに移動ができた。壁をすり抜けることさえ容易で、道なき道も簡単に通れる。
そして次に、波長のようなものを感じられるようになっていた。いわば感情の波のようなものだ。
これを全く完全に合わせることができれば、一定時間そのものの身体を借りることもできそうな感覚があったのだが……。
今のシンシアとは、なぜかそれが合わなかった。
けれど、もしかしたら他の誰かには使えるかもしれない。知り得た情報をアウトプットするには、不可欠なことだ。
思念体というのは不思議なもので、全く眠くならなかった。そのまま検証を繰り返しているうちに、朝を迎える。
「私」はそこで、なにも知らずに眠り続けるシンシアをおいて、ディレイ邸を離れることにした。
求めるは、真実の追及だ。さっそくアルノ邸へと足を向けた。
……足はないのだが。
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【ちょこっと告知】こっちは超まったりです。テイストは違いますが、よろしくお願い申し上げます。 男爵令嬢の節約ごはん!〜婚約破棄したのに戻って来い?お断りです。特殊魔法【調味料生成】で、異世界の料理も自由自在なので、まったり暮らします!
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