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2章 黒服男
26話
しおりを挟むそのまま黙ってしまった私に、
「あの、実はこうなったのは私のせいでもあるんです」笹川さんが申し訳なさそうに切り出す。
「……えっと?」
「私がふざけて席を立ったから。新田さんなら、すぐ場が持たなくなって追いかけてくるだろうなぁって思ったんです。そしたら、そこでなにを話したらいいかとか教えるつもりだったんですけど、全然来ないからおかしいなと思って、帰ってみたら」
「それじゃあやっぱり僕のせいです。飲まなければよかったんですよ。もっと別の方法もあったと思います」
「私のせいですよ。くるみさん、綺麗ですもんね。緊張しますよね」
「いや、そういうことでは……なくて」なくもないから声がくぐもる。
「見てたら分かりますよ。新田さん、自分で思ってるよりずっと分かりやすいんです」
「そうでしょうか」
「はい、お酒を飲む前から顔真っ赤でしたし」
青山さんの言うとおり、お酒を飲んだら、たしかにその場のことは忘れられた。でも、それでこうして誰かに迷惑をかけるならやっぱりお酒は控えなければならない。
「あの。そもそも私をかばってビール頼んだじゃないんですか? 私が未成年ってばれちゃわないように」
「それは買いかぶりですよ」
「また分かりやすいですね。別にいいのに。それに今さら年齢のことなんて、というか中退したこともですけど、そんなのとっくになんとも思いません。お酒だって私の方が全然強いですよ、きっと。飲んだことだってあるんです。ワインも焼酎もそれなりにいけました」
「だからその、違います。ただ、僕が純粋にお酒を飲んでみたくなっただけです」
図星だった。けれど、たとえ気づかれていても、本当のことを言うのは格好がつかない気がした。それに頼んだ理由は、実際他にもある。
少しくらい無茶してみようと思ったのだ。自分で、自分を当てはめてしまっているこの「型」から抜け出せるかもしれない、と。結果的には、失敗に終わったけれど。
「新田さんにしては意外なこと言いますね」
「ですね、自分でもそう思います」
「とにかく真面目で堅実。そんなイメージです」
「正解です、小さい時から超がつくほどの真面目人間でした」
「新田さんの小さい頃って、うーん、今と変わって無さそう」
「その想像通りかもしれません。つまらない子ですよね、誰かと喋ったり、遊んだり、全くしない子でした。いつもいつも勉強、勉強」
「ははっ、やっぱり。一年中ですか? 夏休みとかは」
「夏は毎日、夏期講習です」
今でも、思い出せる。
夏はとくに地獄だった。
毎日のように、早朝から夜まで塾に詰められた。他にろくな思い出がない。夏でイメージするような海や山ではなく、クーラーの効きすぎたぐらいの教室で大半の時間を過ごした。
朝から算数の授業があって、少し時間を置いてから今度は昼すぎから社会の授業がある。その間は、「自主」時間だ。原則なにをしていてもいい。しかし、同じクラスの子はみんな残って勉強をする。全員が勉強の虜だった。つまり実質、「自習」時間だ。そのまま授業、自習、授業の流れが夜まで繰り返される。へとへとに疲れ切って、家に帰っても次の日はまた朝からだ。朝になるとアラームと母親に叩き起こされた。
そのせいか、どれだけ遅く寝た日でも、次の日は急に朝早くに目が覚める時がある。体内時計に染みついてしまっているのかもしれない。
「もうそれは、休みじゃないですね」
「そうですね。夏休み早く終わらないかな、といつも思ってました。『四季』の秋とか聞いて」
「なんですか、それ」
「あ、えっと。ヴァイオリンの曲です」
「そんな小学生、中々いないですよ」
「帰り道に買うチョコレートだけが唯一の楽しみでした」
「チョコレートですか。急に小学生らしい可愛らしさですね」
「甘いもの好きなんですよ、少し食べるくらいなら」
といっても小学生、お高いものには手が出ない。基本は、三十円やそこらの安いチョコレートスティックだった。ちょっとお金があると背伸びして、倍の六十円するチョコパイを買った。そのために、母親がもたせてくれる昼ごはん代をいつも少し余らせた。
「でも夏の楽しみって言ったら、やっぱり派手に夏祭りとか花火大会とか」
「一度も参加したことがないです。でも、だからって悲しくはなかったんです。行かないのが、僕には当たり前でしたから」
塾のあった手前の通りでは、毎年八月の頭に祭りが催される。かなり大きな規模でやっていたようで、祭囃子の音は決まって正反対なほど静かな教室まで聞こえた。色んな匂いが入り混じった香りも、浮わついた雰囲気も、如実に分かるほど教室まで届く。しかし祭りも、塾が終わって外に出る時間にはもう終わっていた。だから毎年見るのに、一度も行ったことがない。
人がいなくなった通りで、売れ残った焼きそばを見つめる屋台のおじさんから焼きそばをタダ同然で貰ったことがある。私の夏祭りの思い出はあってもその程度だ。
「行ったら、楽しいって思いますよ」
「まずそういうのを楽しそうだな、って思ったことがないんです。むしろ暑い中なのによくやるなぁって。それに混んでるところは苦手なんです。そんな風に思っていた自分を、今は少し後悔していますが」
「……後悔ですか」
「あ、えっと、すいません、変な空気にしてしまいましたね。少し喋りすぎました」
「続けてください。聞きたいです」
頭はうまく回らないのに、舌だけが回って言葉がどんどんと溢れ出す。そのあとも私は、普段無口なのが嘘のように喋り続けた。歩いて、駅ひとつ分以上もの間だ。
塾のこととか、学校のこととか。話していくうちに次第に酔いが醒めてくる。頭がはっきりしてくると、自分はなにを話しているのだろうと思った。つまらない真面目少年の、つまらない話は字のごとくつまらない。だろうに笹川さんは、「そんなことありません」と笑って聞いてくれていた。
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