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2章 黒服男

18話

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そこへきて芽生え始めていたある種の反抗心が私をそうさせたのだ。この十数年勉強しながら、ずっと感じていた違和感が私を突き動かした。親とは喧嘩になったが、「これは僕の人生だ!」と一っ端にものを言った。このまま勉強をしてもどうにもならない気がしたのだ。たとえば教授になれたとして、尊敬する偉人たちのような生えある業績を残せるだろうか。そうはいかないだろう、その偉大な道しるべをなぞることしかできない。勉強に自分が生きる意味をすっかり見出せなくなっていた。

就活はそこまで苦労しなかった。東京大学と言っておけば、あとは適当に考えた体のいい志望理由だけで面接の時さえ格好を取り繕っておけば通った。数社受けて、受かった中から一番業績のいい商社に入った。それが今の会社だ。
晴れて念願の社会人になってすぐ、私はたいそう苦労した。会社という組織の一員になった以上は、周囲の人間とのコミュニケーションは必須だったからだ。最初は、「東大だから」と多めに見てくれていたが、それはほどなく「これだから勉強しか頭のない人間は」になった。私はそう言われるごと、心の中で「なんで低学歴に」と相手を罵った。

そんな時、先輩について行った取引先の相手として、あの冨山くんに出会った。向こうはこちらのことを完全に忘れていたが、当時憎い憎いと思っていた私は覚えていた。鼻のへこんだ輪郭がそのままだった。
彼は随分と立派になっていた。ただはしゃいでいるだけだった昔とは違って、目上の人間にも臆することなく意見をし、物事をハキハキと喋る。先輩もその姿に好印象を持ったらしく、私にお前もあんな風になれよ、と言った。

私はまた心の内で嘲ろうとして、ようやく気付いた。

自分がずっとあの頃のままだということに。私はいまだに誰かの上に立っているということで安寧を得ようとしていた。それは、あの頃から少しその表現の形を変えただけで根は同じだった。私はずっと留まっていたのだ。
改めて顔を上げて、「社会」を見渡してみると、これまで下だと思い込んできた人間が急に自分よりも大きく立派な存在に見えた。自分はあまりに小さかった。

味わったことのない劣等感にまみれた私は、そこから仕事に手がつかなくなった。それもこれまでとは違う。この壁を乗り越えるには、勉強ではいけなかった。そんな私に課長はついにしびれを切らして、東京本社から地方支社への異動が決まった。それが今年の春である。

初めてこの町を訪れた時は、町の寂れ具合に唖然とした。この町のどこに会社があるのだろうと思いながら、住所が示すところまで向かうと閑古鳥が鳴くような雑居ビルの上階にオフィスがあった。

支部長に挨拶を済ませると、私を一目見て、「友達いないだろう」と言った。私がなんのためらいもなしに「はい」と答えると、苦そうに笑ったあと「まずは友達作ったら? ほら、肩の力抜いて」と私の肩を叩いた。
それが頭に残っていたから春、私は、柄にもなく笹川さんに友達になりませんかと尋ねた。もちろんそんなことは人生で初めてだった。相手が迷惑することも分かっていた。それに最初からいきなり女の人に声をかけるというのもどうかと思ったが、そんなことでなりふり構っていられるようなほどの身ではなかった。断られたら、それはそれだと珍しく割り切って考えていた。

そして彼女に叱られて、私に初めての友達が出来た。

それから毎日のように、一日数通メールのやり取りをするようになった。休日や仕事終わりには会うことだってある。最初に誘った時には、緊張やら嬉しいやらでいっぱいになってしまい、どもってしまったが今ではそれもすっかりだ。ちょうど今日も、会う約束をしている。

『おはようございます。暑いので、格好には気をつけてください(^ ^)』

メールを送る。
いつもこんな調子だ。大した会話をするわけではない。それがまた私には楽だった。
メールを送り終えて、私は布団から起き上がる。とは言っても、もう夏だ。朝起きたら、薄い掛け毛布一枚被っていなかった。

枕元に置いていた眼鏡をかける。一気に視界がはっきりした。布団をしわのつかないよう綺麗に畳んでから、整然とものの置かれた部屋を見回す。ものがきちんと並んでいないと、少しでも気になってしまう。変に綺麗好きなのだ。

そのくせ、我が身の身だしなみに関してはほとんど無頓着だったりするから、自分でもその基準はよくわからない。

昔からいつも黒っぽい服ばかり着ていた。コンセプトはたった一つ、目立たないことだ。高い身長のせいでなにもせずとも目立ってしまうから、少しでもそれを緩和したかった。笹川さんに理由を聞かれて、そう答えたら「絶対服装かえたほうがいいですよ。逆に目立ちます」と言われてからは、どうにかしようという気になってはいるが、結局、黒い服のまま過ごしている。

この服は、夏は勝手が良くない。どんどん光を吸収して、暑いったら。黒色以外のシャツはないものかとタンスの中を丁寧に掘り起こしてみると、底のほうから何枚か白系色のシャツが出てきた。なにかの時に親が私に買ってくれたものだろうか。綺麗に袖が折られ、値札がついたままになっていた。これまでずっとタンスの肥やしになっていたのだろう。

普段ほとんど使わない姿見の前で、その白シャツを合わせてみる。しばらく見ていると面白いほど似合っていない気がして、一人で咬み殺すように笑った。今度は黒の服と比べてみる。いつも通り、なんの代わり映えもしない。
思い切って、今日は白シャツで行こうと決めて、タグを裁つ。かつん、と響きのいい音が鳴った。そこから顔を洗ったりなんなり、他の準備を済ませる。待ち合わせ時間は十二時だ。十分もすれば駅に着くのに、十一時二十分に家を出た。

三十分前行動が私の原則だ。


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