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三章

53話 見える。

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「……ジュリー? ジュリーなのよね」

 とにかくどんな形になっていようと、帰ってきたことには違いない。水分をなくし枯れた声で、でもいつものように投げかける。

『許さない、離れない、引き裂くな、許さない、離れない、まだ私は――』

 しかし、会話が成り立つような状態ではなかった。

 いわゆる霊障化した状態になっていて、膨れ上がった身体は、かなり強大な力を発するかわりに意識が飛んでいる状態であったことは、後から学んだ。

 太く、かついくつにも分かれて枝状になった腕がこちらへ勢いよく迫る。

 目を瞑って、死を覚悟したのだけれど。

ベッティーナは、生きていた。またしても、異形の者、悪霊や悪魔によってだ。複数体かかって、どうにか止めている。

「なに、あなた……」
『お前、ワシらが見えるのか? こりゃ変わった嬢ちゃんだ。こんな現象を引き起こしているだけはあるな』

 ひとしきり驚いたあと、彼は外で起きていることを教えてくれる。

『とんでもねぇ騒ぎだぜ、あんた。シレーヌ公爵が倒れたうえ、数刻前には雷が落ちて別の貴族も亡くなった。他にも何人も死人が出てる』
「……なんのこと」

『自覚なしかよ、おいおい。嬢ちゃんが散々泣きわめくからだろ。嬢ちゃんの悲しみに悪霊たちが引き寄せられ暴れて、屋敷中で霊障騒ぎが起きてんだ。そこの悪魔が一番ひどいな、もう何人も呪い殺してるぜ。ワシもお前の魔力に引き寄せられてきた口だ』

 わけがわからなかった。実感なんてあるわけもない。

 とにかくベッティーナの悲しみが引き金となり起きた霊障により、多数の有力貴族がばたばたと倒れているらしいのだ。

 倒れた貴族として挙げられる名前の多くは、ベッティーナを排斥しようと強く訴えていた一族の者。その他の者も何人も、亡くなっているらしい。

 ベッティーナはそのとんでもない話を受け入れられずにカーテンを引き窓を開けて、そこから屋敷内の様子を窺うこととする。

 新月だった。暗くて視界はあまり聞かなかったが、たしかに騒がしい。ベッティーナがそれを窺っていたら、やがて部屋にいた悪霊たちは部屋から出ていこうとする。

「どこに行くの」
『今からここに天使使いが何人も来るらしいからな。しかも、国王までくるんだと。その悪魔はもう狂暴化してるからどうしようもないが、俺たちはまだ消されたくねえのさ』

『祭り騒ぎは結構だが、巻き込まれるのはごめんだぜ』


 父が、ここへと向かっているらしかった。

 その理由は、ベッティーナを気遣って……ではないのだろう。この天井に貼りついている悪魔を、ジュリアを退治しにくるのだ。

 どく、と心臓が大きく鳴る。たしかに、彼女には殺されそうになった。

まともにコミュニケーションも取れない。
ただ、どんな形であれ彼女には違いない。そうなってまで、自分の元に現れてくれたジュリアが再び消されてしまう。

 ベッティーナは大いに焦り、また泣きそうになりながら、ふと手に握っていたイヤリングのことを思いだす。
潰れていびつな形になったそれは、いつか精霊・天使を契約し住まわせるために貰った器だ。
要するに、霊であれば悪霊・悪魔であっても同じなのではないか――。

 わけがわからなくても、もうやるしかなかった。

 天使と契約を交わす方法ならば知っていた。彼らに魔力を与え、彼らがもともと持つ魔力を膜のように包み込めれば、成功する。

 それを土壇場で、ベッティーナは実行した。契約なんてしたことがなかった。それに魔力すら発現したのはさっき。

 強大な力を持つ悪魔と契約なんてできないのが普通だ。だが、もうジュリアを消したくない。その一心で振り絞った魔力は無事に、ジュリアの霊を包み込んだらしい。天井から降りてきた彼女がイヤリングに吸い込まれていく。

 ほぼ同時、壁を抜けてきた天使の姿が視界に入ってくる。

「おい、開けるんだベティ! お前、なにをやったのだ!」


 扉の先、廊下のまだ奥の方から父の怒鳴り声がする。
 が、それらすべてはいっぺんに遠ざかり、ベッティーナは気を失ったのであった。


 
 一連の霊障事件は結局、多数の死者をだした末に精霊たちにより悪霊らが浄化させられ、終息を見た。
 表向きは原因不明で処理をされていたが……なにか理由を求めたくなるのが人である。
 
 やがて貴族たちの不自然死は、ベッティーナが引き起こしたものだともっぱらの噂になっていった。
 自分を排斥しようとした人間ばかりが死んでいったためだ、無理もない。

 そのため何度も処刑が計画されたことは、悪霊たちから情報収集をしていた。
 
 ある時は軍隊を向けられ、殺されかけることもあったが……ベッティーナの感情が大きく揺れ動くと、勝手にイヤリングからジュリアが出てきて暴れまわる。
 その勢いは尋常ではなく、一師団が簡単に潰された。

 解放してしまうと、彼女は勝手にベッティーナの魔力を吸って動く。


 結果ベッティーナが死にかけたこともあるし、関係ない人を臨まず巻き添えにもした。

 やがてベッティーナの感情が乱されれば霊障が起こるとして、触れられない存在と化した。

 そのため処刑話は立ち消えになって、代わりにベッティーナはあの小さな屋敷に閉じ込められることとなったのだ。できるだけ感情が揺り動かされない環境で、もし万が一があっても最低限の被害で済むように。
そうして屋敷に移ってからベッティーナは、とにかく冷静になるすべを身に着けた。
ベッティーナにとっても、ジュリアの力で人が死ぬのは本意ではなかったし、他人を巻き込みたくない思いもあった。

 それが功を奏してか、以来ジュリアはイヤリングから出てきていない。もちろん、自ら召喚したことも一度だってない。


 制御しきれなかったら、なにが起こるか。ベッティーナにも分からないためだ。
 でも、彼女はたしかにここにいる。魔力を半分以上、常時吸われている感覚があるのだから間違いない。それでも、ベッティーナは彼女を捨てる選択をしなかった。

 このイヤリングは安らぎでもあり、戒めでもある。
 
 自分のために死んだ彼女を封じるしかできないことへの後悔と罪滅ぼし――。

 それこそベッティーナが、苦しむ悪霊たちが消されるのを見過ごせなくなったそもそもの理由である。

 そして人知れず消えゆく彼らの意志をこの世に残したくて、小説を書きたいと願うようになった。
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