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四章 アレンジ料理

四章 アレンジ料理(5)

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諸々の食材を揃い終えて、私たちが店に戻ったのは、もう開店時間の三十分前だった。私たちは急いでオープン用意にとりかかる。

辛うじて定刻に間に合ったその日の営業は、桃色の気分に浸っていられるほど、甘くはなかった。
束の間の晴れ間を楽しむためだろう、いつもより多くの人が訪れて大盛況。てんやわんやで、ホールも厨房も荒れた。

それをどうにか二人で乗り越えて

「さて、では基本の料理に移りましょうか」

今度は息つく間もなく、嵐つまりはひふみさんを迎える準備をする。
と言っても、私がやれるのはせいぜい調味料を用意するくらい。バターを探しているうちに、江本さんは、キャベツやたまねぎ、にんじんといった野菜類を切り終えていた。
そして、熱したフライパンにバターを入れる。ジュワッと弾ける油の音と、豊潤な甘い香りが、食欲をそそった。

「北海道の料理はバターが多いですね。いももち然り」
「バターも北海道の名産ですから。鮭もそうでございます」

身を下にして乗せられた鮭は、見るからに艶々していた。湧き上がってきた唾を飲み下す。
ひっくり返された時には、「……うわ、美味しそう」と漏れてしまった。これで皮目までパリッとしようものなら……いけない、少しにやけてしまった。

「冷凍ではないので、身の張りが違いますね。ちゃんちゃん焼きは本当は秋鮭を使うのですが、旬のものを選んでよかった」

鮭の回りに、野菜が投入される。蓋をして蒸し焼きにすること五分ほど、隙間からもくもくとふくよかな香りが立ち上ってきた。

蓋を開ければ、もう堪らないだろう料理の完成だ。と思った矢先、鮭の身に菜箸が下ろされた。

「…………えっと?」

江本さんは、フライパンを揺すりながら、鮭をどんどん砕きはじめる。
えぇ、折角綺麗に焼けていたのに。
江本さんの顔を盗み見ると、真顔だ。でも、気が触れたわけではないらしい。

「本場ではこうして食べるのです。元々、ちゃんちゃん焼きは豪快な料理ですから。少し食べていただけますか」

江本さんは、近くにあった小皿に、少なめによそってくれる。
恐る恐る食べてみて、電撃が走った。お皿を落としそうになって、きゅっと指と指の間に力を入れる。

「めちゃくちゃ美味しいですっ! なにこれ! 一番!」

素材の全てが全く無駄になっていなかった。
野菜たちが一つの料理を構成するために、それぞれ役割に徹している。一つだけ注文をつけるなら、

「でも、もう少しコショウがあってもいいかも……?」
「そうですか。たしかに脂が乗っていますから、くどかったですね」

江本さんは自分で味を確かめもせず、コショウを散らす。

「いいんですか、私の言うまんまにしちゃって」
「佐田さんの舌は確かですよ」

思った以上に、私はこの人に信頼されているようだ。それは、なんだか嬉しい。
そして、よりペッパーの効いたちゃんちゃん焼きは、非のつけどころがなくなっていた。とにかくビールが欲しい。そう、もちろんサッポロビール!

これが基本、そして完璧に近いものというわけだ。

「これなら、ひふみさんを納得させられそうですねっ!」
「……佐田さんにそう言ってもらえると自信が持てます。すいませんが、お皿を用意いただけますか。僕はご飯を用意しています」
「どのお皿でしょう?」
「たしか大皿が表にあったかと」
「は、はいっ!」

私は少し駆け足で、キッチンを出る。余熱で変に熱を通してはいけないと思ったのだ。でも大皿なんてあったかしら。なんとか早く見つけようと棚をひっくり返していたら

「やっほー! なに探してるの?」

はかったように、ちょうど、ひふみさんがやってきた。今日とて派手派手しい格好だった。やはり、店の雰囲気とはミスマッチだ。

「えっと大皿を」
「大皿なら、下の引き戸の奥だったかな。変わってなかったら」

 けれど、店のことなら私よりも詳しい。本当にそこにあって、私は自分の至らなさを痛感した。
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