24 / 41
三章 火野カブ漬け
三章 火野カブ漬け(7)
しおりを挟む
「なに、もしかしてはじめから分かってたの~?」
「そういうわけではありません。ですが、ただならぬ思いが込められていることは。そのような料理を簡単には捨てられません」
「ほんと噂以上だなぁ。探偵っぷりも格好よさも」
叔母は、服と同じくらい赤く腫れた顔でにっこり微笑む。
化粧が落ちた箇所は、年相応のしわが目立っていた。ただ、それすらも大人の味になっている。
「ところではじめくん、年上はいける口?」
「……なっ!」
私は思わず、喉をつっかえてしまった。叔母は、そんな私を見て、今度は声を上げて笑った。
「……冗談はやめてくださいませ、佐田様」
「はいはい。分かったわよ。でもあんまり似てたからさぁ、はじめくんが。料理人でイケメンで優しいって。もう結衣のお父さんそっくり」
「おばさん。だから、なに?」
言葉尻がきつくなる。少し思いはしたが、いい出来事でもないので、重ねたくはなかった。
「姉妹がいなくてよかったわね。あー、私が二十五ならなぁ」
「倍だよ、倍! おばさん、もう五十!」
調子を取り戻したと言うべきか、叔母はいらぬことばかり言い散らす。
かと思ったらスマホに夢中になっていて、気を削いでくる。例にもよって、荒らされるだけ荒らされた。
二人だけになったあと、私は念のため、釘を刺しておく。
「姪が言うのもなんだけど、叔母はやめといた方が」
「まさか。思ってもみませんよ」
即答だった。私は、ほっと短い息をつく。
いや、待て。よく考えれば、どうして私が安心しているのだろう。江本さんと叔母が関係を持ったところで私には関係ない。けども、けれども、と葛藤をしていて、
「僕など、そもそも佐田様の方から願い下げでしょう」
「……えっ、私は全然願い下げじゃ……」
痛恨の誤解をしてしまった。
「あっ、叔母の話ですか」
「はい。結衣さんではなく、おばさまのお話でございます」
また名前だ。そのままこの先も呼んでくれたりしないかな、とふと思う。
──って……違う、そうじゃない。
そうではなくて、話をちゃんと聞かなければ。
「どうして叔母の方から願い下げってわかるんですか?」
「昨日今日と、服に化粧、どちらもしっかりとおめかしをされていました。それに、しきりにスマホを確認して時間だと帰っていくとなれば察しは付きませんか」
「もしかして、彼氏……?!」
「そうでしょうね。それも、行動から見ても本気かと。詳細は、ご本人にお尋ねください」
叔母にも春が来ていたらしい。年齢も季節も、少し遅めの。
そうなれば全力で応援しなければ。からかってやるのもいいかもしれない。想像すると、笑みがこぼれる。一方で、江本さんの表情は晴れなかった。分かりにくくはあるが、曇りがかっている。
「それより佐田さん、ご家庭の事情を色々と聞いてしまい、申し訳ありませんでした。……大変でございましたね」
「気を遣わないでください。私は大丈夫ですから」
本当の話だ。両親の離婚が私の心につけた傷は、もう疼かないほどには浅い。
けれど、もし全て癒えてしまったら、とはさっきしがた思った。
「江本さん。一つだけ聞いてもいいですか」
「はい、どうぞ」
「すれ違って一度別れても、また寄りが戻ったり……ってあるものですかね」
もう会えない人を挙げた時、私は父の名前を挙げられなかった。
それはつまり、どこかでは三人家族の理想像を探し求めているからなのかもしれない。
「わかりません。でも、ないとは言えません。それが人というものです」
江本さんの答えは、明快ではなかったけれど誠実なもので、私をよく満足させてくれた。
「明るく過ごしていれば、奇跡は起こるものですよ。その点、佐田さんにならきっと起こります。あなたは太陽のようですから」
続いた言葉は、どこかで聞いたような少し臭い言い回しだったけれど。
♢
それから二週間ほどして、佐田家の食卓にカナカブ漬けがのぼった。
どれくらい甘くなったかな。
そう一つを食べると、まだ相応に辛かった。ぎゅっと目を瞑っていると、向かいの席で母がくすりと笑う。
「まだ結構辛いでしょ?」
最近、母は機嫌がいい。そのわけは、叔母から聞いていた。
数日前に叔母から誘って、二人で上野のランチに行ったらしい。これまでが嘘のように打ち解けたそうで、今度、三十年越しの上野名店探しを再開することも決まったのだとか。
「辛いけど、食べられるよ」
「美味しい?」
「……まだ辛い」
「そこは嘘でも美味しいって言うのよ。そんなんで料理屋さんのバイト務まるの?」
「お店のご飯は、はずれないもん」
母は変わらず私のバイトを快くは思っていない。けれど、少しずつではあるが、態度が柔らかくなっている気もする。
そこで、はっと繋がった。
カナカブは、三ヶ月もすれば優しい味わいになる。それに私への想いも込められているのだとすれば……。
「お母さん。私、頑張って三ヶ月やり通すよ、バイト」
母は頭ごなしに否定していたのではない。やり抜いたなら、認めてくれるつもりだったのかもしれない、最初から。
「あんたがそう言ってやり切ったことが何回あるのよ」
母の言葉は、いつも遠回しだ。
でも娘の私には、なにを言いたいかちゃんと分かる。やり切ってみなさい、とはっぱをかけてくれたのだ。私は嬉しくなって、またカブをつまむ。
「か、辛い……!」
今はまだ辛いけれど。
でも、いつかきっと甘くなる。
「そういうわけではありません。ですが、ただならぬ思いが込められていることは。そのような料理を簡単には捨てられません」
「ほんと噂以上だなぁ。探偵っぷりも格好よさも」
叔母は、服と同じくらい赤く腫れた顔でにっこり微笑む。
化粧が落ちた箇所は、年相応のしわが目立っていた。ただ、それすらも大人の味になっている。
「ところではじめくん、年上はいける口?」
「……なっ!」
私は思わず、喉をつっかえてしまった。叔母は、そんな私を見て、今度は声を上げて笑った。
「……冗談はやめてくださいませ、佐田様」
「はいはい。分かったわよ。でもあんまり似てたからさぁ、はじめくんが。料理人でイケメンで優しいって。もう結衣のお父さんそっくり」
「おばさん。だから、なに?」
言葉尻がきつくなる。少し思いはしたが、いい出来事でもないので、重ねたくはなかった。
「姉妹がいなくてよかったわね。あー、私が二十五ならなぁ」
「倍だよ、倍! おばさん、もう五十!」
調子を取り戻したと言うべきか、叔母はいらぬことばかり言い散らす。
かと思ったらスマホに夢中になっていて、気を削いでくる。例にもよって、荒らされるだけ荒らされた。
二人だけになったあと、私は念のため、釘を刺しておく。
「姪が言うのもなんだけど、叔母はやめといた方が」
「まさか。思ってもみませんよ」
即答だった。私は、ほっと短い息をつく。
いや、待て。よく考えれば、どうして私が安心しているのだろう。江本さんと叔母が関係を持ったところで私には関係ない。けども、けれども、と葛藤をしていて、
「僕など、そもそも佐田様の方から願い下げでしょう」
「……えっ、私は全然願い下げじゃ……」
痛恨の誤解をしてしまった。
「あっ、叔母の話ですか」
「はい。結衣さんではなく、おばさまのお話でございます」
また名前だ。そのままこの先も呼んでくれたりしないかな、とふと思う。
──って……違う、そうじゃない。
そうではなくて、話をちゃんと聞かなければ。
「どうして叔母の方から願い下げってわかるんですか?」
「昨日今日と、服に化粧、どちらもしっかりとおめかしをされていました。それに、しきりにスマホを確認して時間だと帰っていくとなれば察しは付きませんか」
「もしかして、彼氏……?!」
「そうでしょうね。それも、行動から見ても本気かと。詳細は、ご本人にお尋ねください」
叔母にも春が来ていたらしい。年齢も季節も、少し遅めの。
そうなれば全力で応援しなければ。からかってやるのもいいかもしれない。想像すると、笑みがこぼれる。一方で、江本さんの表情は晴れなかった。分かりにくくはあるが、曇りがかっている。
「それより佐田さん、ご家庭の事情を色々と聞いてしまい、申し訳ありませんでした。……大変でございましたね」
「気を遣わないでください。私は大丈夫ですから」
本当の話だ。両親の離婚が私の心につけた傷は、もう疼かないほどには浅い。
けれど、もし全て癒えてしまったら、とはさっきしがた思った。
「江本さん。一つだけ聞いてもいいですか」
「はい、どうぞ」
「すれ違って一度別れても、また寄りが戻ったり……ってあるものですかね」
もう会えない人を挙げた時、私は父の名前を挙げられなかった。
それはつまり、どこかでは三人家族の理想像を探し求めているからなのかもしれない。
「わかりません。でも、ないとは言えません。それが人というものです」
江本さんの答えは、明快ではなかったけれど誠実なもので、私をよく満足させてくれた。
「明るく過ごしていれば、奇跡は起こるものですよ。その点、佐田さんにならきっと起こります。あなたは太陽のようですから」
続いた言葉は、どこかで聞いたような少し臭い言い回しだったけれど。
♢
それから二週間ほどして、佐田家の食卓にカナカブ漬けがのぼった。
どれくらい甘くなったかな。
そう一つを食べると、まだ相応に辛かった。ぎゅっと目を瞑っていると、向かいの席で母がくすりと笑う。
「まだ結構辛いでしょ?」
最近、母は機嫌がいい。そのわけは、叔母から聞いていた。
数日前に叔母から誘って、二人で上野のランチに行ったらしい。これまでが嘘のように打ち解けたそうで、今度、三十年越しの上野名店探しを再開することも決まったのだとか。
「辛いけど、食べられるよ」
「美味しい?」
「……まだ辛い」
「そこは嘘でも美味しいって言うのよ。そんなんで料理屋さんのバイト務まるの?」
「お店のご飯は、はずれないもん」
母は変わらず私のバイトを快くは思っていない。けれど、少しずつではあるが、態度が柔らかくなっている気もする。
そこで、はっと繋がった。
カナカブは、三ヶ月もすれば優しい味わいになる。それに私への想いも込められているのだとすれば……。
「お母さん。私、頑張って三ヶ月やり通すよ、バイト」
母は頭ごなしに否定していたのではない。やり抜いたなら、認めてくれるつもりだったのかもしれない、最初から。
「あんたがそう言ってやり切ったことが何回あるのよ」
母の言葉は、いつも遠回しだ。
でも娘の私には、なにを言いたいかちゃんと分かる。やり切ってみなさい、とはっぱをかけてくれたのだ。私は嬉しくなって、またカブをつまむ。
「か、辛い……!」
今はまだ辛いけれど。
でも、いつかきっと甘くなる。
0
お気に入りに追加
44
あなたにおすすめの小説
古屋さんバイト辞めるって
四宮 あか
ライト文芸
ライト文芸大賞で奨励賞いただきました~。
読んでくださりありがとうございました。
「古屋さんバイト辞めるって」
おしゃれで、明るくて、話しも面白くて、仕事もすぐに覚えた。これからバイトの中心人物にだんだんなっていくのかな? と思った古屋さんはバイトをやめるらしい。
学部は違うけれど同じ大学に通っているからって理由で、石井ミクは古屋さんにバイトを辞めないように説得してと店長に頼まれてしまった。
バイト先でちょろっとしか話したことがないのに、辞めないように説得を頼まれたことで困ってしまった私は……
こういう嫌なタイプが貴方の職場にもいることがあるのではないでしょうか?
表紙の画像はフリー素材サイトの
https://activephotostyle.biz/さまからお借りしました。
【キャラ文芸大賞 奨励賞】壊れたアンドロイドの独り言
蒼衣ユイ/広瀬由衣
キャラ文芸
若手イケメンエンジニア漆原朔也を目当てにインターンを始めた美咲。
目論見通り漆原に出会うも性格の悪さに愕然とする。
そんなある日、壊れたアンドロイドを拾い漆原と持ち主探しをすることになった。
これが美咲の家族に大きな変化をもたらすことになる。
壊れたアンドロイドが家族を繋ぐSFミステリー。
illust 匣乃シュリ様(Twitter @hakonoshuri)
美味しいコーヒーの愉しみ方 Acidity and Bitterness
碧井夢夏
ライト文芸
<第五回ライト文芸大賞 最終選考・奨励賞>
住宅街とオフィスビルが共存するとある下町にある定食屋「まなべ」。
看板娘の利津(りつ)は毎日忙しくお店を手伝っている。
最近隣にできたコーヒーショップ「The Coffee Stand Natsu」。
どうやら、店長は有名なクリエイティブ・ディレクターで、脱サラして始めたお店らしく……?
神の舌を持つ定食屋の娘×クリエイティブ界の神と呼ばれた男 2人の出会いはやがて下町を変えていく――?
定食屋とコーヒーショップ、時々美容室、を中心に繰り広げられる出会いと挫折の物語。
過激表現はありませんが、重めの過去が出ることがあります。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
心の落とし物
緋色刹那
ライト文芸
・完結済み(2024/10/12)。また書きたくなったら、番外編として投稿するかも
・第4回、第5回ライト文芸大賞にて奨励賞をいただきました!!✌︎('ω'✌︎ )✌︎('ω'✌︎ )
〈本作の楽しみ方〉
本作は読む喫茶店です。順に読んでもいいし、興味を持ったタイトルや季節から読んでもオッケーです。
知らない人、知らない設定が出てきて不安になるかもしれませんが、喫茶店の常連さんのようなものなので、雰囲気を楽しんでください(一応説明↓)。
〈あらすじ〉
〈心の落とし物〉はありませんか?
どこかに失くした物、ずっと探している人、過去の後悔、忘れていた夢。
あなたは忘れているつもりでも、心があなたの代わりに探し続けているかもしれません……。
喫茶店LAMP(ランプ)の店長、添野由良(そえのゆら)は、人の未練が具現化した幻〈心の落とし物(こころのおとしもの)〉と、それを探す生き霊〈探し人(さがしびと)〉に気づきやすい体質。
ある夏の日、由良は店の前を何度も通る男性に目を止め、声をかける。男性は数年前に移転した古本屋を探していて……。
懐かしくも切ない、過去の未練に魅せられる。
〈主人公と作中用語〉
・添野由良(そえのゆら)
洋燈町にある喫茶店LAMP(ランプ)の店長。〈心の落とし物〉や〈探し人〉に気づきやすい体質。
・〈心の落とし物(こころのおとしもの)〉
人の未練が具現化した幻。あるいは、未練そのもの。
・〈探し人(さがしびと)〉
〈心の落とし物〉を探す生き霊で、落とし主。当人に代わって、〈心の落とし物〉を探している。
・〈未練溜まり(みれんだまり)〉
忘れられた〈心の落とし物〉が行き着く場所。
・〈分け御霊(わけみたま)〉
生者の後悔や未練が物に宿り、具現化した者。込められた念が強ければ強いほど、人のように自由意志を持つ。いわゆる付喪神に近い。

俺を信じろ〜財閥俺様御曹司とのニューヨークでの熱い夜
ラヴ KAZU
恋愛
二年間付き合った恋人に振られた亜紀は傷心旅行でニューヨークへ旅立つ。
そこで東條ホールディングス社長東條理樹にはじめてを捧げてしまう。結婚を約束するも日本に戻ると連絡を貰えず、会社へ乗り込むも、
理樹は亜紀の父親の会社を倒産に追い込んだ東條財閥東條理三郎の息子だった。
しかも理樹には婚約者がいたのである。
全てを捧げた相手の真実を知り翻弄される亜紀。
二人は結婚出来るのであろうか。
よくできた"妻"でして
真鳥カノ
ライト文芸
ある日突然、妻が亡くなった。
単身赴任先で妻の訃報を聞いた主人公は、帰り着いた我が家で、妻の重大な秘密と遭遇する。
久しぶりに我が家に戻った主人公を待ち受けていたものとは……!?
※こちらの作品はエブリスタにも掲載しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる