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二章 とり天

二章 とり天(2)

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 二


 坂倉忠勝名誉教授、六十歳。

民俗学の権威で、数多の新説を世に送り出した研究者にして、大学の頃の恩師である。そう、金髪店主はつきだしである熊本の郷土料理・馬刺しを用意しつつ教えてくれた。

「江本さん、大学はどこなんですか?」
「……一応、京都大学でございます」
「わぁ賢い」

軽率に言ってしまってから、私は口を押さえる。
けれど、それくらい優秀なのには違いなかった。私には見上げることも許されぬような大学だ。

この場にいる私以外の三人は全員そうと思うと、なんだか腰が引けた。

「江本を大学院に連れていけなかったのは、未だに後悔しとるなぁ」

とは坂倉教授。

こてこての関西弁を柔らかく使って、くいっとおちょこを呷る。なかなかの酒豪らしい。すかさず女の子が注ぎ足すと、すぐにまた空けてしまった。

「お世辞はやめてください、先生。それで今日ははるばるどうされたのでしょう」
「江本も一度来たことがあったろう。明後日、東京で民俗学学会があってな。そのついでに寄ったんや。教え子の店なら、たくさん飲んで食べても文句でーへんやろ?」
「正規の料金貰いますよ」
「ははっ、いいぞ。どうせ大学の経費だ。……とまぁ冗談はさておき。今日はこの娘にたんといいものを食わせてやってほしくて来たんや。ほな頼むで」

若干気後れしつつ二人の間、首をメトロノームのように左右に振っていた私は、ここでようやく口を開く。

「なにかお祝いごとですか?」
「むしろ逆やな。ちょっと、いやかなり悲しい事件があってな」

事件? 私がおうむ返しに問うと、びくっと肩を跳ねさせたのは女の子だった。「うちのせいなんです」とか細い声で言う。店に酔っぱらいが一人でもいたら、耳まで届かなかったかもしれない。

女の子の第一声だったのだが、それきりで彼女はまた黙り込んでしまった。

「そう自分を責めるなよ、国見。お前のするはずだった研究発表は、俺から見ても素晴らしいもんやった」

教授はそう慰めるが、国見さんというらしい女の子は、膝に腕をつき下を向いたままだ。グラスに注がれた水も全く減っていない。

「あぁ学会発表者の方でいらっしゃいましたか」
「正確には、そうだった、やな。けど、今日になってデータが飛んでしもうたらしくてな。一つの復元も効かへんのやと。やから明後日は見学者やな」

うわ、それは災難だ。

似たような経験は、私にもあったからよく分かる。苦労の末に仕上げたプレゼン資料が、パソコンの故障で無へと帰した時は、しばらく立ち直れなかった。

幸いその時は他の人のプレゼンで場は埋められたのだけれど、

「それも学部生の発表者は、国見一人やったんや。古株連中の期待も変に集めてもうててな」

リカバリーが効かないのは、なおさら痛い。落ち込みもするわけだ。私なら不確定のなにかに恨み辛み言っていたところだろう。その点、彼女は自分のせいと受け入れているあたり、好感が持てた。

よし、これはもうたっぷり食べて元気になってもらうしかない。
勝手に火のついた私は、今度こそと胸ポケットからペンとメモを取り、料理の注文を伺おうとする。

「先生、この店にいらっしゃったのは慰め会だけが目的ではないのでは?」

のだけれど。
江本さんに水を差された。私がちょっとむっとしていたら、教授は豪快に笑う。

「全くさすがの慧眼だなぁ」
「普段、先生は自分から握手をしたりはしないでしょう」
「なるほど、それか。やっぱり君は民俗学の未来のために拾っておきたかった。江本の郷土食研究なら、多くの先生が納得しただろう」

「私は一介の料理人でございます」
「ほんならまぁ今度一回だけの話や。分かっとるんなら、なんとか助けてくれへんか? 後輩のため、先生のためやと思って。明後日の学会、国見の代わりに登壇してくれ」

話はよもやの転がりを見せはじめていた。
なんと坂倉教授は、江本さんを代役助っ人として呼びたいのだと言う。
私は、大勢の前で講演をする彼を思い浮かべてみた。この間フレンチの店主を負かした時みたく流暢に喋るか、それとも直立不動、徹底的なまで黙り込むか。両極端どちらかな気がする。
実際見てみたいなと少し思ったが、江本さんは首を横に振る。

「そこをなんとか頼む!」

関西人らしさなのか、教授はジェスチャーたっぷりに、言葉をとっかえひっかえ江本さんを絆そうとした。
けれど、店主の鉄壁はそれでも崩れない。

「私は一介の料理人でございますので」

江本さんは本日の決まり文句を残して、去り際に私にちらりと視線をよこす。もしかして私が代役……!?

「申し訳ありません。佐田さん、注文を聞いてもらってもいいでしょうか」

そんなわけがなかった。ガソリン=郷土料理の補給時間がきたらしい。


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