5 / 48
1章
5話 私、モブキャラ令嬢なので
しおりを挟むかくして茶会の場を逃れた私が、その足でやってきたのは王宮内にある庭園であった。
その花壇には、まるで春の訪れを祝うかのごとく真っ白なヒナギクがずらり居並ぶ。
特にあてはなかったし、来るつもりもなかった。
ただあんまり早く帰ったら、母にまた気を遣われてしまう。
そうならないため、街の散策でもしようかと思っていたのだが、あら不思議。
気づけば吸い寄せられていたのだ。
「……自然って癒されるかも」
私は、その真ん中にあった、たぶん大理石製の椅子に座って背中を少し丸める。
好意や敵意、嫉妬や怒り。
思惑ばかりが渦巻く茶会の空間に、知らずのうちに疲れが溜まっていたらしかった。
もしかすると転生してからたかが数時間ではあるが、その短い期間に、婚約破棄とイジメという、醜い仕打ちに晒され続けたのも一因なのかもしれない。
私はバニラみたいにほの甘い花の香りを堪能しつつ、背中を穏やかな日光で温める。
夢のある空間だった。
もしかすると、ディズニーランドより夢がある。
まるで、どこぞの貴族家のご令嬢になった気分…………って、そういえば、それそのものだった。
しっかり贅沢な時間を楽しむ。
現世での元カレのことや、婚約破棄のことを忘れて大きく深呼吸をした。
「我が手に水の加護を……!」
そののち、私が始めたのは使える魔法の確認だ。
このゲームの設定的には、15歳になれば貴族なら誰でも魔法がつかえるようになり、例外を除けば主な属性として、水、火、風、光、緑の5つがあるとされていた。
そして私つまりアニータは、水属性の魔力を持ち、精霊を一匹召喚できるらしい。
一応頭のメモリにはそうあるけれど、どの程度使えるかは実際試してみないことには分からない。
嫌々ながらとはいえ、それなりの時間、ゲームをプレイした身だ。それにアニータとしての記憶にもある。
勝手は分かっていたので、まずは両手を握り合わせる。
辺り一帯の空気が騒ぐように震えたと思ったら、どこからともなく現れて私の周りを包むのは水の輪だ。
日光を反射して、まるで天使の輪っかみたいに煌めいていた。
「す、すごい……! これが魔法!」
指先で操ることができるのは、基礎知識だ。
私は空中に星マークを描いてみたりと、しばらく魔法に夢中になる。
魔法世界のシナリオは何本も書いてきたし、構成もいくつも練ってきたが、使えたのはもちろん今が初めてだ。
子供の頃、お風呂場で何度も挑戦したあの魔法が本当に使えている。
庭に水をやってみたり、飲み水として手に掬ってみたり。
色々と試すうち、気分はさらに上向いてくる。
続けてもう一つの魔法の発動へと移った。
「契約の名の下に、いつ何時も我を見守りし眷属よ。し、主の求めに応じ馳せ参じたまえ!」
コテコテの詠唱が、現代で20代後半の女性の感覚からすると、こそばゆくて仕方ない。
震えながらの声にはなったが、うまくいったのだろうか。
私が不安で両手を結び、もう一度詠唱をと思っていたら、次第に足元が温くなってくる。
突然、ぱぁっと眩い光がさした。
思わず目を瞑って数秒後。ん? なんだか、わさわさした感覚が足首を撫でる。
ひうっと声を上げて飛び退いてみれば、
「アニー、我になにか用か?」
そこに丸まるのは、その状態でも私の下半身ほどはある立派な獣だ。
現代で言うなら、より毛のモサモサしたシベリアンハスキーといったところか。
耳はてろんと垂れ下がり、眠そうに細められているが、なかなか凛々しい顔つきだ。
彼はその大きな口をくわっと開く。
咆哮の一つでもするのかと思いきや、そのまま蹲った。
顔を腹に埋め、くぐもった声で言う。
「用がないのなら、我はまだ寝足りんのだが……構わないか?」
「あらま。そんな時に呼び出しちゃってごめんね」
「いいや構わない。このような花々に囲まれて寝るのもたまには悪くない」
名をフェン、という。
白狼の精霊獣さんだ。
アニータってば、モブキャラにしては恵まれている! こんなに大きいモフモフをいつでも召喚できるなんて。
そのフェンは、身体で唯一黒い鼻をすんすんと鳴らす。
「ところで、アニー。お主、なにか変わったか? 少し纏う匂いが違うような気がする」
さすがは精霊獣、主人の異変を鼻だけで見抜くとはなかなか鋭い。
自分の精霊にさっそく身バレ!? それはまずいし、正直に言ったところで信じてもらえようがない。私は、誤魔化しにかかる。
「ちょっとディエゴと別れることになってね。婚約破棄されたの。それだけよ」
「……それは本当か」
「本当よ。でも、このとおり全然へっちゃらだから気にしないで」
信じてもらうには少し不足しているだろうか。
拳を握って気丈をアピールしつつ冷や汗が首筋を垂れるが、それはほんの一間だけのことだった。
「まぁそれならばよい。アニーもここで寝ていくつもりなのだろう?」
「あらま、ばれてた?」
「ひだまりに照らされた花壇、芝生。それに香るミモザの甘い香り。このような場所は睡眠のためにあるものだ。
あのような男がいなくなって我は清清としている。いつもより、質の高い眠りにつけそうだ」
目を一回たりとてまともに開けぬまま、フェンはまた地に伏せる。
そうして見ると、彼の雄大な背はまるでふかふかのベッドのように見えてきた。
吸い寄せられるようにして、彼の尻尾を枕に、胴体をお布団にして沈み込む。
とても幸せな温かさだった。
血の通った生きた温もりだ。クズ彼氏と別れて以来、失ったものだった。
こうしてゆっくりくるのも思えば久しぶりだな、なんて思考をゆらめかせていると、だんだん眠りに誘われ、まぶたが重くなる。
手先足先から力がゆっくりと抜けていく。
転生してきた時の絶望感、婚約破棄された時の戸惑いが嘘のような時間だった。
本当にモブキャラでよかった。
人間関係などの余計な設定がされていない分、私には自由が許されている。
出てくるキャラは嫌いだったけど、幸い世界観はオーソドックスな魔法世界みたいだしね?
ディエゴと主役勢に関わらなければ意外と楽しくやれるかも!
よし、もうこれからはこうしてひっそり生きていこう。
そう決めながら眠りに落ちたのだけど……
この時の私はまだ知らない。
よもやこの先にエリゼオ王子とお近づきになるシナリオが待ち受けているだなんて。
2
お気に入りに追加
1,211
あなたにおすすめの小説
【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。
五月ふう
恋愛
リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。
「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」
今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。
「そう……。」
マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。
明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。
リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。
「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」
ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。
「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」
「ちっ……」
ポールは顔をしかめて舌打ちをした。
「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」
ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。
だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。
二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。
「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」
婚約者に毒を飲まされた私から【毒を分解しました】と聞こえてきました。え?
こん
恋愛
成人パーティーに参加した私は言われのない罪で婚約者に問い詰められ、遂には毒殺をしようとしたと疑われる。
「あくまでシラを切るつもりだな。だが、これもお前がこれを飲めばわかる話だ。これを飲め!」
そう言って婚約者は毒の入ったグラスを渡す。渡された私は躊躇なくグラスを一気に煽る。味は普通だ。しかし、飲んでから30秒経ったあたりで苦しくなり初め、もう無理かも知れないと思った時だった。
【毒を検知しました】
「え?」
私から感情のない声がし、しまいには毒を分解してしまった。私が驚いている所に友達の魔法使いが駆けつける。
※なろう様で掲載した作品を少し変えたものです
愛することをやめたら、怒る必要もなくなりました。今さら私を愛する振りなんて、していただかなくても大丈夫です。
石河 翠
恋愛
貴族令嬢でありながら、家族に虐げられて育ったアイビー。彼女は社交界でも人気者の恋多き侯爵エリックに望まれて、彼の妻となった。
ひとなみに愛される生活を夢見たものの、彼が欲していたのは、夫に従順で、家の中を取り仕切る女主人のみ。先妻の子どもと仲良くできない彼女をエリックは疎み、なじる。
それでもエリックを愛し、結婚生活にしがみついていたアイビーだが、彼の子どもに言われたたった一言で心が折れてしまう。ところが、愛することを止めてしまえばその生活は以前よりも穏やかで心地いいものになっていて……。
愛することをやめた途端に愛を囁くようになったヒーローと、その愛をやんわりと拒むヒロインのお話。
この作品は他サイトにも投稿しております。
扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID 179331)をお借りしております。
幼馴染の親友のために婚約破棄になりました。裏切り者同士お幸せに
hikari
恋愛
侯爵令嬢アントニーナは王太子ジョルジョ7世に婚約破棄される。王太子の新しい婚約相手はなんと幼馴染の親友だった公爵令嬢のマルタだった。
二人は幼い時から王立学校で仲良しだった。アントニーナがいじめられていた時は身を張って守ってくれた。しかし、そんな友情にある日亀裂が入る。
病弱な幼馴染と婚約者の目の前で私は攫われました。
鍋
恋愛
フィオナ・ローレラは、ローレラ伯爵家の長女。
キリアン・ライアット侯爵令息と婚約中。
けれど、夜会ではいつもキリアンは美しく儚げな女性をエスコートし、仲睦まじくダンスを踊っている。キリアンがエスコートしている女性の名はセレニティー・トマンティノ伯爵令嬢。
セレニティーとキリアンとフィオナは幼馴染。
キリアンはセレニティーが好きだったが、セレニティーは病弱で婚約出来ず、キリアンの両親は健康なフィオナを婚約者に選んだ。
『ごめん。セレニティーの身体が心配だから……。』
キリアンはそう言って、夜会ではいつもセレニティーをエスコートしていた。
そんなある日、フィオナはキリアンとセレニティーが濃厚な口づけを交わしているのを目撃してしまう。
※ゆるふわ設定
※ご都合主義
※一話の長さがバラバラになりがち。
※お人好しヒロインと俺様ヒーローです。
※感想欄ネタバレ配慮ないのでお気をつけくださいませ。
初耳なのですが…、本当ですか?
あおくん
恋愛
侯爵令嬢の次女として、父親の仕事を手伝ったり、邸の管理をしたりと忙しくしているアニーに公爵家から婚約の申し込みが来た!
でも実際に公爵家に訪れると、異世界から来たという少女が婚約者の隣に立っていて…。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる