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エピローグ
70話 一日、一月、一年でも長く。(最終話です)
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六
迎えた七月一日、開店日。
店の前にできた行列を横目に、希美は慌しく動き回っていた。準備万端のつもりだったのだが、直前になると大小ともかく問題が発生するのだから、読み切れない。
「とりあえず導線の確保はできましたので!」
レジを弄っていた店長へ、希美はこう報告をする。
開店まで残り五分というところで、入り口付近に据えていた開店祝いのフラワーアレンジメントが、盛大に倒れたのがついさっきだった。
ホールの店員が、足を引っ掛けたのだ。
赤薔薇の花びらがそこらに散って、雑巾掛けに、掃き掃除と一苦労を食った。
希美は念のため、床が滑らないかを確認する。
水気もゴミもなく、あるのはまっすぐに伸びた太陽光だけだった。大窓から、贅沢に店内へ取り込まれている。
「にしても立派やなぁ。……春香さまさまや」
それを受けて、右の壁全面に描かれた太陽が煌めいていた。反対側では、ヒマワリが鮮やかなイエローで目を引く。
店舗名『ソレイユ』に、ふさわしい内装になっていた。
春香も中々やるものだ。
初めてメインで塗装を担当したと言っていたのに、これをものの数日で仕上げてしまうのだから。
「あと一分で開きますよ。昼宴会が三件予約入ってますので、コース担当は先まで見越して調理の準備をお願いします」
キッチン内で、こんな指令が下るのが耳に入る。
厨房のリーダーは、この二週間で採用に至った、元フレンチのシェフだそう。
あれから人事部が急ピッチで採用選考を進め、なんとか捕まえることに成功したらしい。きっかけが意外で、早川部長の更新していた園芸SNS繋がりで、募集のことを知ったとか。世の中分からないものだ。
それといえば、包丁を握れるようになったのも希美からすれば、まさに天変地異だった。
以降というもの、料理欲が再燃して、今や週の半分以上は自炊をしている。
もう、キッチンに立てないわけではない。それこそ、実家に戻ることだってできる。
でも今は、既に知っていた。
飲食店の仕事は、決して厨房で料理を作ることだけが全てじゃない。
エプロンではなくスーツを着ていても、できることがいくつもある。
「中は大丈夫だったか、後輩」
それは、店の表に立っていたこの人が教えてくれた。
カロリー節約家兼クッキー狂い、もとい鴨志田蓮。
ダッグダイニングの御曹司で、なにより希美にとって、頼れる先輩だ。
「はい、なんとか収まりましたよ。こっちも、順調そうですね!」
「あぁ、まぁな。問題は、行列の管理ぐらいか。最後尾で佐野課長が行列整理してるよ」
「じゃあ、あとは時間ちょうどに、これさえ切れば!」
自動扉の前、両端のポールに結ばれた紅白のリボンテープを、希美は見た。
始まりの象徴のように思えて、心が弾む。
「テープ、後輩が切るか?」
「えっ、そんな大役仰せつかってもいいんですか!?」
「あぁ、今回は一番よくやったんだ。それくらいの権利はあるさ。誉れ高き本部直営店のオープンの合図くらいなんてことない」
「……余計なプレッシャーかけへんで!」
鴨志田はおかしそうに笑って、希美の手に金色の裁ちバサミを渡した。
折りよく、店の奥から店長がガラス越しに顔を覗かせる。時間が来たようだ。
「では、これより開店いたします!」
希美は、行列の端まで届く声で高らかに宣言をする。
鴨志田の左手を借りてきて、二人でリボンをカットした。
さて、これからなにが起こるのだろう。
一日、一月、一年、もっと長く、この店が歴史を刻んでいけるように、ここからが仕事の始まりだ。
(了)
迎えた七月一日、開店日。
店の前にできた行列を横目に、希美は慌しく動き回っていた。準備万端のつもりだったのだが、直前になると大小ともかく問題が発生するのだから、読み切れない。
「とりあえず導線の確保はできましたので!」
レジを弄っていた店長へ、希美はこう報告をする。
開店まで残り五分というところで、入り口付近に据えていた開店祝いのフラワーアレンジメントが、盛大に倒れたのがついさっきだった。
ホールの店員が、足を引っ掛けたのだ。
赤薔薇の花びらがそこらに散って、雑巾掛けに、掃き掃除と一苦労を食った。
希美は念のため、床が滑らないかを確認する。
水気もゴミもなく、あるのはまっすぐに伸びた太陽光だけだった。大窓から、贅沢に店内へ取り込まれている。
「にしても立派やなぁ。……春香さまさまや」
それを受けて、右の壁全面に描かれた太陽が煌めいていた。反対側では、ヒマワリが鮮やかなイエローで目を引く。
店舗名『ソレイユ』に、ふさわしい内装になっていた。
春香も中々やるものだ。
初めてメインで塗装を担当したと言っていたのに、これをものの数日で仕上げてしまうのだから。
「あと一分で開きますよ。昼宴会が三件予約入ってますので、コース担当は先まで見越して調理の準備をお願いします」
キッチン内で、こんな指令が下るのが耳に入る。
厨房のリーダーは、この二週間で採用に至った、元フレンチのシェフだそう。
あれから人事部が急ピッチで採用選考を進め、なんとか捕まえることに成功したらしい。きっかけが意外で、早川部長の更新していた園芸SNS繋がりで、募集のことを知ったとか。世の中分からないものだ。
それといえば、包丁を握れるようになったのも希美からすれば、まさに天変地異だった。
以降というもの、料理欲が再燃して、今や週の半分以上は自炊をしている。
もう、キッチンに立てないわけではない。それこそ、実家に戻ることだってできる。
でも今は、既に知っていた。
飲食店の仕事は、決して厨房で料理を作ることだけが全てじゃない。
エプロンではなくスーツを着ていても、できることがいくつもある。
「中は大丈夫だったか、後輩」
それは、店の表に立っていたこの人が教えてくれた。
カロリー節約家兼クッキー狂い、もとい鴨志田蓮。
ダッグダイニングの御曹司で、なにより希美にとって、頼れる先輩だ。
「はい、なんとか収まりましたよ。こっちも、順調そうですね!」
「あぁ、まぁな。問題は、行列の管理ぐらいか。最後尾で佐野課長が行列整理してるよ」
「じゃあ、あとは時間ちょうどに、これさえ切れば!」
自動扉の前、両端のポールに結ばれた紅白のリボンテープを、希美は見た。
始まりの象徴のように思えて、心が弾む。
「テープ、後輩が切るか?」
「えっ、そんな大役仰せつかってもいいんですか!?」
「あぁ、今回は一番よくやったんだ。それくらいの権利はあるさ。誉れ高き本部直営店のオープンの合図くらいなんてことない」
「……余計なプレッシャーかけへんで!」
鴨志田はおかしそうに笑って、希美の手に金色の裁ちバサミを渡した。
折りよく、店の奥から店長がガラス越しに顔を覗かせる。時間が来たようだ。
「では、これより開店いたします!」
希美は、行列の端まで届く声で高らかに宣言をする。
鴨志田の左手を借りてきて、二人でリボンをカットした。
さて、これからなにが起こるのだろう。
一日、一月、一年、もっと長く、この店が歴史を刻んでいけるように、ここからが仕事の始まりだ。
(了)
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