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三章 恋人のフリ?
40話 頼ってもらえたら。
しおりを挟む恋愛沙汰に巻き込まれるなど、学生時代にも経験のないことだった。
いつもなら闇雲にでも動くのが希美だが、今回ばかりは慎重になる。
珍しく鴨志田の言いつけ通り、噂には目を瞑ることにした。けれど一週間経っても、悪名が拭われることはかった。
それがついに、業務にも悪影響を及ぼしはじめたらしい。
「本部直営店舗『フランス料理・ソレイユ』オープンの件なんだけど、どうも商品企画以外は、やや進捗が滞ってるみたいでねぇ」
週に一回開かれる部会の席で、早川部長はこう眉を潜める。
今日は、五月三十一日。七月一日の開業までは、ちょうど残り一ヶ月に差し掛かったところだった。
オープンにあたっての基礎的な準備は、粗方整っていた。コンセプトや店名はもちろん、場所も、店舗責任者も決まっている。ただ楽観視できるかといえば、そう甘い話でもない。
鴨志田がホワイトボードに記したガントチャートを見れば、それは一目瞭然だった。
大きく縦書きされた「ソレイユ開店」の文字の前には、必要事項が記された横の棒グラフがたくさん詰まっている。
それらは大きく括ると、『人員の確保』『備品、食材の仕入れ』『販促計画の策定』『メニュー構成』『内装工事』の五つに分かれていた。
今回は、商品企画部が担当する『メニュー構成』以外の項目は、全て遅れているということになる。
「原因は明白でしょ、部長」
希美の前に座っていた佐野課長が、顎の下を丸っこい指で拭いながら、不遜に言う。話は終わりとばかり、資料を裏返した。
「木原さんがふしだらなことをするからでしょうに。私は責任取りませんから」
「だから、うちはなにも」
売り言葉を買いかけて、希美は言いとどまった。
一週間、無罪を訴え続けても彼女の態度は変わらなかったのだ。反論したところで、意味があるとは思えなかった。ただそうと理解していても、無意識に目角は尖る。
会議室には、店舗円滑化推進部の四人しかいなかった。
半分にあたる二人が対立をすれば、なるべくして空気は澱む。
「ま、まぁまぁまだ時間はあるからね。ちょっと様子を見ようじゃないか。ね? それじゃあ今日のミーティングはここまで!」
ピリピリとした雰囲気に、早川部長は早々に耐えきれなくなったらしい。
唐突に会議が切り上げられて、えっ、と希美は腰を浮かすが既に遅い。
佐野課長は、いの一番に部屋を出ていった。
おどおどしながらも早川部長がその後を追う。希美の隣に座っていた鴨志田だけは、腕組みをしたまま目を瞑って、微動だにしていなかった。
「……鴨志田さん、会議終わっちゃいましたよ」
「分かってるよ。別に意識が飛んでたわけじゃない。それより後輩」
鴨志田が身体をこちらへ向ける。ゆっくり開いた二重まぶたの奥、透き通った目が、希美をまじっと捉えた。
「なにか話すことがあったんじゃないのか?」
言い当てられて、どきりとした。
希美はおずおずと、議事録ノートの下に忍ばせていた封筒を、彼の前まで滑らせる。本当は、上席の前で提案するつもりだったものだ。
「店舗からの依頼、か。今こんなことしてる場合かよ」
「……それはそうですけど。でも、店舗にとっては私たちのいざこざなんて関係ない話です。それに、頼ってもらえたなら応えたくて」
とんちんかんなことを言っている自覚はあった。自信のなさから、喉が縮こまる。そんな希美を勇気付けるかのように、鴨志田はにっと笑った。
「ま、名誉回復にも、目先の話題を逸らすにもちょうどいいかもしれないな。受けてもいいんじゃない。手伝ってやるよ」
「本当ですか! ありがとうございます!」
まだなにも解決していないが、もやが晴れた気分になった。
「じゃあ早速、依頼の内容なんですが──」
希美が封筒の中身を取り出そうとしていたら、片手で待ったをかけて、鴨志田は立ち上がる。部屋の端まで行くと、窓にブラインドを降ろした。
「安全策だ。これで余計な目を気にせずに済むだろ?」
少しやりすぎのような気もした。
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