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3巻

3-2

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「それも国からの指示ですか?」
「そ。何箇所か未開のダンジョンがあるみたいで、そのうちの一つ! 魔族が出てくるかもって話だねぇ」

 深く青い瞳の奥に、闘志の火が揺れていた。
 さっきまでの緩さが嘘のように、戦いの話になると容赦がなくなる。
 少しの間が空き、ランディさんが口を開いた。

「それはそうと、また会えて嬉しかったよ。お願い、こんなに早く叶っちゃうなんてね」

 再びランディさんがなごやかな表情に戻る。
 こうしてお茶をしている時はただ一人の女性だったりするから、この人は面白い。

「ぶり返しで不幸なことが起きないといいけどねぇ」
「……縁起でもないこと言わないでくださいよ」
「あはは~、大丈夫だって。魔物だろうが魔族だろうが、万に一つも負けないでしょ、タイラーくんなら、えいって倒せるじゃん」

 それはそれで、妙なフラグを立てられている気がするが……未知の敵と相対するのだから、それくらい強い気持ちは必要かもしれない。

「ランディさんだって負けないですよね?」
「もちろん、勝つ気満々だよ~。じゃあ、お互い頑張ろーねっ」

 彼女は握った拳を、目の前に突き出してくる。
 俺は気恥ずかしさを感じながら、それに拳を合わせた。
 任された以上は、やるしかない。

 官吏に任命されてから、数週間が経った。
 すっかりと、森がその葉の色を赤や黄に染めていた。
 俺たちは馬車に乗り、赴任する町・ツータスタウンを目指す。
 以前の依頼で行ったプレーリータウンほど辺境にあるわけじゃないが、距離はかなりのもの。
 ホライゾナルクラウドを使わずにいけば、半日以上はかかる。
 それでも、馬車での移動を選んだのは、パーティメンバーの二人だけでなく、妹のエチカや元メイドのサクラも同行していたからだった。
 時間はかかるが安全だし、最善だろう。

「お、お兄ちゃん。お馬さん、結構揺れるんだね……」

 エチカは、袖をぎゅっと握りこみ怯えた様子だ。
 俺とアリアナでエチカを挟むように座り、向かいには、マリとサクラ。
 二人はエチカとは対照的に、余裕そうだった。
 マリは頭を揺らして眠っているし、サクラは乗り物酔いする気配もなく、本を読んでいる。

「大丈夫よ、エチカちゃん。落ちそうになったら、私たちが止めてあげるから」

 怖がるエチカに、アリアナがそうフォローを入れる。

「うん。まぁもし落ちるとしても、そのときは俺もアリアナも一緒だから」

 俺がそう言うと、エチカはがしっと俺の体にしがみついてきた。
 俺としては、落ち着かせるつもりで言ったが、なぜだろう。

「あれ、逆効果だったか……?」
「ふふっ。タイラーってば、怖がらせちゃってどーするのよ」
「わ、悪い……でも、ここまで道が悪いなんてな。下見にいっとくべきだったかな」
「んー、時間もなかったし、仕方ないんじゃない? 官吏になるなんて、誰も思わないわけだし」

 王女から官吏に任命された日の夜、俺は全員に集まってもらい、事情を説明した。
 いきなり地方の官吏になるなんて、皆を困らせるかと思ったが……
 結果として、なんの文句も出ず、話はすんなりまとまった。
 マリも、「新しい町、楽しみですわ!」などと前向きに捉えてくれた。
 おかげで、こうして出立の日を迎えられたというわけだ。
 その後も大きな揺れの中、俺たちの馬車での移動が続いた。
 御者ぎょしゃによれば、治安のよくない地域だから早く抜けたかったのだという話だった。
 変な連中に襲われるくらいなら、少しの揺れはしょうがない。
 俺がそう納得したところで――

「止まれや、そこのクソ馬車ァ!!」

 荒々しい声が響いた。
 結局、引っかかってしまったらしい。
 林を切り拓いた細長い一本道ということもあり、立地的に狙いやすいのだろう。被害が多いのも分かる。
 馬車から顔を出して声の方を見ると、山賊さんぞくらしい集団がいた。頭にはかぶりものをして、槍を手にしている。

「ど、どうしましょう、お客さん!」

 御者が、慌てた声をあげ、馬も同時にいななく。

「お、お、お兄ちゃんっ!」

 エチカも、恐怖が限界にきたらしい。今度は顔を俺の胸に埋めて、がっちりえりを掴んでいた。
 さて、どうしよう。これでは俺が戦いに出られない。

「とりあえず私に任せてよ、タイラー」
「あら、わたくしもやりますわよっ」

 俺が困っていると、アリアナとマリがそれぞれ武器を手にして、馬車を降り立った。

「マリってば起きてたの?」
「い、今さっき起きましたの。なんか、変な声がしましたから」

 俺は、軽口を叩きながら出ていく二人を黙って見送る。
 心配にならないわけじゃないが、あの二人ならば負けるはずがない。
 なにせ超上級ダンジョンに潜れるようになって、もう半年以上だ。彼女たちの成長ときたら、目を見張るものがある。
 それに、相手がどれほどの力量なのかは、だいたい見れば分かる。
 とはいえ、リーダーだからって全く何もしないわけにはいかない。

「ほらエチカ、サクラと中にいれば大丈夫だから。サクラ、頼んでいいかな?」
「はい、ソリス様。ちょうど、本を読むのにも疲れてきた頃でした。エチカ様、こちらへ」
「……サクラさん!」

 妹を宥め、小さなメイド様に俺は妹を預ける。
 背こそ変わらぬくらいだが、サクラは全く動じていない。そのポーカーフェイスが頼もしい。
 俺は立てかけていた刀を手にして、外へ出る。
 その耳に、アリアナ特有の詠唱の台詞が入ってきた。

「夕立のように激しく降り注げ! 『ドライビングアロー』!」

 俺が彼女たちに合流する頃には、ほとんど決着がつくところだった。
 水の魔力でできた光線を引き連れた一本の矢が空から落ちて、青い光が円形に降り注ぐ。
 山賊たちは、それだけでもう散り散りになっていた。

「アリアナ様、少しやりすぎではありませんの? 地面が抉れて、水溜まりができてますわよ……?」
「ま、マリの精霊補助が効きすぎたのよ!」

 山賊たちを退けると、マリとアリアナが言い合いを始めた。

「いーえっ、アリアナ様がそんな大技するからですわっ」

 俺、出る幕なし? かと思った矢先、槍を構えて二人へ突き刺そうとする男の姿を視界に捉えた。

「ふ、ふざけやがって! 金持ってるだけの商人だと思ったのにぃ」

 まだ残党がいたらしい。
 とっさに、身体は動いていた。俺は神速で、一足飛びに、アリアナたちと山賊の間へ割って入る。
 遅い突きだ、見切るのは容易い。槍のけら首を掴んで、止める。

「く、く、うぉぉ、動かねぇ!! な、なにしやがったってんだ!」

 俺は山賊の言葉に応えずに、そのまま穂先を粉々に砕く。
 指先に風魔法を宿せば、鉄くらいならば切れるのだ。
 よほどの職人が手掛けた武器でない限りは、そう難しい話でもない。

「もし、二人に手を出したらただじゃおかないぞ」

 俺は目つきを鋭くして、男を睨みつける。
 ひぃん、と男の悲鳴が小さく聞こえた。
 ……襲いかかってきたくせに、怯えるのやめてくれない? 俺が悪者みたいになるから。

「く、くそっ、こうなりゃ一発だけでも」

 俺が男から目を離すと、やけになったのか、彼は槍を手放し、今度は胸ぐらを掴みにかかる。
 こんなときは体術を生かすべきだ。
 相手の肘と自分の肘をつけてやることで、簡単に逃れられる。
 それから相手の死角に入ったところで、刀を抜き、俺は男の首元を峰打ちにした。
 山賊の残党が膝から崩れ落ちた。

「ありがとう、タイラー。でも、あれくらいなら避けられたけどね」
「そうですわよ。なんのことはありませんの」

 アリアナとマリの二人が、口々に言う。

「余計な助太刀だったな。ま、無事でよかったよ」

 俺はにっこり笑いかけながら、意識をなくしているらしい山賊男のそばへとしゃがんだ。

「ソリス様、どうするんですの? その髭もじゃ」

 マリの問いかけに俺は応える。

「……うーん、このまま放置するわけにもいかないし。寄り道して、この地域を担当している警ら隊のところまで連れていこうか」

 一応、俺も官吏になったわけだし、放置するわけにもいかないだろう。

「どこか、この辺りにある街に寄ってもらえますか?」

 俺は、馬車の御者に尋ねる。

「そりゃ、旦那、構いませんが、そこの水溜まりをどうにかしてくれないと、そもそも馬が怖がって通れませんぜ」
「あぁ、それくらいならお安い御用ですよ」

 俺は剣を抜き、魔力を研ぎ澄ませていく。
 難度の高い技を使うには、この純度が大切だ。質を疎かにしては、強力な魔法は使えない。
 日々の実戦の甲斐あって、俺は高品質な魔力を短時間で生むことが可能になっていた。

「『ツリーズリーディング』!」

 水魔法と土魔法の融合で俺が手に入れた、木属性魔法を用いる。
 魔法で生み出した木々が水溜りの上に新たに道を作っていく。
 ついでに、先に続く凸凹でこぼこ道も舗装ほそうしてしまう。
 本来なら長距離の道を作り出せるようなものではないが、うん、我ながら道の質は上々だ。

「普通、道を丸ごと作っちゃう……? やっぱり、タイラーってあっさり常識のハードルを超えてくるわよね、」
「まったくですわ。どんな魔力があったら、こんなこと」

 いつも俺の魔法を目にしているはずのアリアナとマリが目を丸くする。

「な、な、なんなんですか、旦那だんなは!! すげぇっ!!」

 初見である馬車の御者にいたっては、興奮して声を裏返らせていた。


 それから数時間ほど、幸先悪く思わぬ寄り道こそさせられたが、俺たちは無事に目的地・ツータスタウンへ辿り着いた。
 官吏という立場ゆえか、町の入り口では、役人たちが隊列を組んで、俺たちを迎えてくれた。

「タイラー・ソリス様がいらっしゃったぞ!!」
「「ツータスタウンへようこそ! 英雄タイラー様!!」」

 全員からの最敬礼に加えて、楽器隊による歓迎の演奏、さらにはくす玉割りまで。
 その大仰さときたら、相当のものである。
 マリやサクラは、元王族とそのメイドであるから、一切動じることはなく、俺やアリアナも最近のあれこれで慣れていたが、エチカは初めての体験だ。
 おっかなびっくりといった様子で、俺の影に隠れていた。
 そうして、町の中へと入る。

「私、てっきりもっと小さな町かと思ってたわ」

 辺りを見て驚いた様子のアリアナに、俺は頷く。

「俺もだよ、アリアナ。それに、よく見えないけど活気も十分あるみたいだし。マリはどう思う……って、なにやってんの?」
「匂いをいただいてるんですわ、あぁ、この鼻に残る芳醇ほうじゅんさ。塩漬け鶏肉のフリットに間違いありません! 近くに屋台がありますわ!」
「いや、すげぇな。どうやったらそこまで分かるんだよ」

 いかにもマリらしいが、そのペースに流されてばかりもいられない。
 俺はこれから、ここで官吏になるのだ。
 気を取り直して、中心地にあるという執務棟しつむとう兼屋敷まで案内してくれていた役人の一人に尋ねる。

「ここが、ツータスの中心街ですか」
「はい。この辺りが商店の多い通りで、さかんなのは魔導具類の販売です。近隣地域で作られたものが安く流されていて、外からの商人などでも賑わっているのです」
「なるほど……その割に人は少ないのですね」

 俺は、周りを囲むようについてくる衛兵たちの隙間から町並みを覗きながら言う。

「えぇ、一部は外へ出稼ぎなどに出ていますから。それでも主要都市から離れている割には、町の規模はそれなりですよ」

 誇らしそうに、案内担当の役人は鼻を高くする。
 たしかに、ダンジョンができたばかりで、今のところ冒険者ギルドも置かれていない町としてはかなり栄えている方だ。
 もちろんミネイシティほど美しいわけではないが、特に荒れているという様子でもない。
 そんな中で気になるものが目に入った。
 町の南端に建てられた存在感のある建物だ。その壁は一面真っ黒に塗られていた。

「あの住宅地の奥に見える建物はなんです?」
「あぁ、あれは倉庫ですよ。少し前まではテンバス様……おっと」

 口を噤もうとする役人に、俺は続きを促した。

「構いませんよ、続けてください」
「前に領主を務めていたテンバス家が、武器などの生産に利用していた場所です。現在はあのように、家紋ごと塗りつぶし、使用しておりません」

 なるほど……そういえば、テンバス家は黒色を好むのだった。
 ランディさんが「趣味が悪い」と酷評こくひょうしていたのが思い返される。
 普通の町には見えるが、やはりテンバスの影響はまだ色濃いらしい。
 しばらく色々と尋ねているうち、案内人の足が止まる。
 周りと比して、一際高さのある建物の前だった。

「ここが執務棟でございます」
「あの、役人以外が入っても構いませんか」
「もちろん、結構でございます。お好きにお使いください。この奥に別棟があり、そこが皆様方の滞在中の宿泊場所になります」

 ずっと俺の手を握っていたエチカが、興奮した様子で前へと出る。

「お兄ちゃん、すごいね、ここ……! なんか、ヘイヴンさんのお屋敷みたい」

 たしかに、立派な建物だった。年季ねんきは入って見えるが、持て余しそうなほどの広さがある。

「手前が執務棟で、生活用の別棟は奥にございます。外の門には、腕の立つ警備員を常に配置しておりますので安全そのものです」
「……いや、そこまでしてもらわなくても」
「いえ、そういうわけには参りません。特にテンバス家が起こした政変後の今は、どのような者があなた方を狙っているか分かりませんから」

 遠慮しようとする俺に、役人はきっぱりと言い切る。これも、公務につくものの宿命だろうか。
 考えてもみれば、この執務棟へ来るまでも、役人らに囲まれて護送ごそうされていたようなものだ。
 あれも、警戒体制を敷いた結果なのかもしれない。
 俺はため息をついた。

「仕方がないかぁ」
「うん。まぁ別棟に入ってこないならいいんじゃないかしら」
「そうだな。言っても聞いてくれなさそうだし」

 アリアナの言葉に頷き、俺はそれ以上言わないことにした。


 その後、俺たちは二手に分かれた。
 エチカ、サクラには別棟で荷解きに当たってもらい、残る三人で執務棟へと入る。
 俺は、かなりソワソワしていた。
 冒険者としての任務ならいざ知らず、官吏としての仕事はこれが初めてだ。
 なにが待ち受けているのかと緊張する中、同行していた役人が口を開く。

「では、ここでみなさまのステータスをお教えくださいませ」
「え、そんなことが必要なんですか」

 俺が聞き返すと、役人が首を縦に振った。

「はい。お強いことは承知していますが、一応、有事の際の戦力の管理などもしておりますため、ご協力願います」

 新しい仕事が降ってくると身構えていたから、なんだかほっとしてしまう。
 それなら冒険者時代にも、ギルドに聞かれたことがある。
 そういえば久しく見ていなかったが、どうなっているのだろう。
 俺たちはそれぞれステータスバーを開き、それを確認していく。

「わたくしは、光属性の魔力でレベルは40ですわ!」

 まずは、マリから。
 うん、順調すぎる伸び具合だ。
 レベル1だった頃がまだ数ヶ月前と考えれば、その成長曲線はかなり右肩上がりだ。

「私は、水属性でレベル48! どうよ、かなりのものじゃないかしらっ」

 そしてアリアナに至っては、熟練の冒険者たちを凌駕するレベルだ。
 道理で、道中の山賊たちを簡単に退けてしまうわけである。
 そして俺はといえば――

「全属性で、冒険者レベルはえっと……96だな」

 さすがに上がりづらくはなってきたが、まだ伸び続けてくれていた。
 この冒険者レベルは、モンスターなどを倒すことで段々と積みあがっていくものだが、一方で一定以上のレベルになろうと思うと、より強力な敵を倒さなければ、それ以上は上がらない。
 裏を返せば、この半年ほどで順調に、俺がより強い相手を倒してきた証左しょうさともいえる。
 それは二人に関しても同じだ。

「むぅ、アリアナ様にはやっぱり届きませんわね、いつも」

 マリが頬を膨らませて、アリアナを見る。

「ふふっ、先輩と呼んでいいのよ?」
「それ、素敵ですわね。じゃあ試しに! アリアナ先輩様!」
「『様』は、いらないわよ、その場合。というか、『様』をつけるならタイラーよ。また私の二倍……! ね、半分ちょうだい?」

 二人の視線が俺に集まり、アリアナが恒例のおねだりを始める。

「だから、レベルってプレゼントできるようなものじゃないからなー」

 俺は、それにいつものように返す。
 俺たちにしてみれば、お馴染みの一幕だったが……

「なんなんだ、この人たち……!」

 俺たちのステータスを聞いた役人が目を丸くする。

「ソリス様に至っては、90越え⁉ これまで会ったことすらないぞ、こんな高レベルの人! なんだ化け物か、もしかして」

 中には、おそおののいて引き気味の者もいる。
 彼らはびくびくとした様子で、今度は大きな石を用意してきた。
 このアイテム、過去に見たことがある。
 たしか超上級ダンジョンへの挑戦を許可してもらう際、魔力量を測るために使ったものだ。

「すみません。こちらでの確認も念のためにお願いいたします」

 たしか七色に光ると、かなり優秀で、石が割れればそれより上位と判定される。
 最初にマリが試して四色に光らせ、それからアリアナは五色に光らせる。
 前に試した時は三色だったから、レベルアップが分かりやすい。

「えっと、俺もやった方がいいですか……?」
「はい、お手数ですがお願いいたします」

 前回と同じく石を壊すことを考えると、避けたい気持ちはあったが、突き出されてしまったらやらないわけにもいかない。
 超控えめに、人差し指の先で石に軽く触れる。

「……そ、それだけで?」

 石は簡単に割れてしまった。
 場の空気が一瞬凍りつくと、役人たちの態度が変化した。
 わなわな震えながらも、頭を下げる。

「さ、さ、さぁみなさま! まずはごゆるりとお休みください! 執務に入るのは、疲れが癒えてからで結構ですからっ」

 それから丁重な扱いを受け、奥まった場所にある、執務部屋へと通されたのだった。


 官吏としての日々が幕を開けてから三日後。

「……なんだか持て余すなぁ」
「そうね、タイラー。書類仕事ばっかりって……こんなに弓を握らなかったのは久々よ」

 俺とアリアナは若干退屈していた。
 冒険者の頃とはまるで違う一日の流れ。
 定時に始まり、定時に終わる。
 そのまま同じ敷地内の家へと戻り、家族で団欒だんらんの時間を過ごして眠りにつけば、また仕事だ。
 業務があろうが、なかろうが、仕事の時間は執務室にいる必要がある。
 ダンジョンでモンスターと命のやり取りをしていた頃とは、勝手が違いすぎた。

「んー! ここのお菓子は美味しいですわねっ! はっ、朝からもう半分も食べてしまいました……」
「マリ、お菓子の試食が仕事じゃないんだぞー」

 執務室に出されるお菓子を頬張るマリを、俺はやんわりと注意する。

「つ、ついですわ! わたくしも手持ち無沙汰で、お口ばかり寂しくなって……」

 実務環境も待遇も、悪くはない。
 菓子もご飯も服も本も、言えばすぐさま出てくるといった、まるで貴族のような扱いだ。
 ただ、仕事の内容がノラ王女に聞いていた話と違う。
 街の警護やダンジョンの開拓が主で、書類仕事はあくまでついでのはずだ。
 だが、ここに来てから今のところ書類仕事しかしていない。
 なにか、おかしい。
 ボタンを掛け違えたようなズレを、ずっと感じている。
 俺が考え込みだしたところで、扉がノックされた。
 アリアナが、俺の代わりに応対に向かう。

「こちら、お菓子の追加分でございます。お飲み物も、そろそろお持ちしましょうか?」

 訪れたのは、警備員の一人だ。彼の言葉に、アリアナが応える。

「あら、それくらい自分で買いに行くわよ」
「いやいや、官吏様一行とあろうものがなにをおっしゃいますか。どんな買い物でも、ご入用でしたら我々に申し付けください。町の見回りついでに使い走りになります」

 意気揚々いきようようと、その警備員は言う。
 この対応も、違和感の一つであった。初日からそうだが、なにかと世話を焼かれすぎている。
 窮屈きゅうくつに感じるほど、いちいち気にかけられていた。書類仕事の手伝いの人たちはともかく、執務棟の警備は多すぎるほどである。

「あら! 食べても食べても減らないっ!」

 大食い女王様のマリは嬉しそうだが、この状況はやはり変だろう。
 その男が部屋を出ていくと、アリアナがほっとため息をつく。

「ちょっと過剰よね……おかげで町の散策にも出れない。官吏なんだから、少しくらい町並みを見たほうがいいと思うんだけど」
「うーん……俺も、ちょっと変だと思ってたところだよ」

 アリアナも俺と同じ疑問を抱えていたようだ。

「そうよね。とくにさっきのなんか、かなり強引だったかも」

 不自然な点はまだある。
 たとえば、国から送られているはずの領主代理りょうしゅだいりにいまだ面会さえしていないことも、その一つだろうか。
 官吏になったのだから、普通は真っ先に挨拶すべき存在であるような気がするが……
 さくさくと、マリがクッキーを次々に食べる軽快な音を聞きながら、俺は結論を出した。

「よし。悩んでても事態は変わらないんだ。少し調べてみようか」
「それなら私も乗るわ!」

 アリアナは、俺の隣まで戻ってきて、賛成とばかり挙手をする。しかし、すぐにその眉をひそめた。

「でも、どうやって? 外は警護が厳重だし、無理に外出したって調査なんてできっこないわよ」
「それなら、策はあるよ。ただ、どんな策でも騒ぐなよー」
「それ、どういう意味?」
喧嘩けんかするなってこと」

 俺は、丹田に魔力を集めて光属性の召喚魔法を使う。

「呼ばれて飛び出たっ!」

 いつものセリフとともに現れた白猫を、俺はすぐに抱え上げて、その口に手を当てる。
 自分の口元に人差し指を立て、静かにするよう促した。
 マリがクッキーを咀嚼そしゃくするさくさくという音だけが鳴り響く。

「……? ご主人様、なんでボクは声を潜めなきゃダメなんです? みなさんは、さっきまで普通に喋ってたのに」
「キューちゃんが作戦のかなめだからだよ」

 俺は小さい声で、キューちゃんに言う。

「あー、なるほど。そうね、悔しいけどこの状況はこの化け猫に任せた方がいいかも」

 アリアナは、俺が何をしたいか理解してくれたようだ。
 当のキューちゃんは、状況が呑み込めずに、きょとんと首を捻っていた。尻尾の先も同じ方向に曲がっているのが、わざとだとしても愛らしい。
 俺はキューちゃんの顔を自分の顔に近づける。
 そして耳元で作戦を囁いた。
 万が一にも外に聞かれることはあるまい。マリの咀嚼音がうまい具合に、カモフラージュになってくれている。

「ぼ、ボクが野良猫のふりをして、情報収集……⁉」

 俺の説明を聞いたキューちゃんが声を潜めて言った。


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