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蔵前地下の小料理屋には美麗な店主
第1話 地下の小料理屋に誘われて。
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一
仕事終わり、美貌の店主に声を掛けられて、蔵前駅近くの小料理屋に入った。
その、女子の理想から作られたのかというくらい整った顔や姿格好に導かれるように、私は席につく。
そして過ごすこと約数時間。
「ご存知かとは思いますが、私、『小料理屋・蔵前処(くらまえどころ)』の駒形(こまがた)と申します。ご依頼の件でお伺いしました。こちらは助手の汐見(しおみ)です」
その店主はよもや探偵で、なぜか私はその助手になっていた。
どうしてこんなことになったのだろう。全てはお酒のせい、いや元を辿れば──
♢
なんとなく家に帰る気にはなれず、私、汐見(しおみ)祥子(しょうこ)は夕暮れの路地裏を漫ろに歩いていた。
帰っても、どうせなにもしない。きっとSNSとニュースサイトを交互に見てはお菓子をつまんだりして、だらだらと無為な時間を過ごしてしまう。そして夜が相応に更けてから、明日の仕事を思い出して、焦ったように布団に入るのだ。翌朝、アラームに叩き起こされるまでがお決まり。
そんなシナリオに比べれば、家の周りをふらつく方がいくらかマシに思えた。どちらにしても生産性はないけれど。
「おしゃれな店が多いんだなぁ」
つい一人呟く。
というのも、個性的な雑貨屋や雰囲気のあるバーが、見える範囲だけでいくつも確認できた。立ち並ぶ雑居ビルの中、それぞれの店が控えめに、されど毅然とその存在を主張している。
一見ごちゃついているようだが、それがまた洒落た雰囲気を醸し出していた。
こんな素敵なお店があったなんて。普段のアフターファイブは直帰がモットーの私にとっては、初めて知るこの町の姿だった。
なにせろくな下調べもできないまま、引っ越してきたのは、つい二週間前。
「家賃の割に、比較的落ち着いている」という、ネットの口コミだけを頼りに、ここを一人暮らしの住処に選んだのだ。
東京都台東区・蔵前。
駅で言うと、かの有名な浅草駅から、都営大江戸線で一駅のところにある、下町風情の残る小さな町だ。
かと言って、浅草のように人がごった返しているわけではなく、比較的閑静な住宅街が並ぶ。
それでいて、上野や秋葉原といった東の中心地にも簡単に足を伸ばせるアクセスもいい。
どちらかといえば、機能的な、都心の外れにあるベッドタウンをイメージしていた。のだが、この今風のモダンな雰囲気は女心をくすぐる。
これは予期せず、当たりの町を選んだかもしれない。
せっかくだから、なにか家具でも買おうか。ちょうど、なにもかも足りていない。そうだ、それがいい。
外観から店の良し悪しを判断できるほど、雑貨への目は肥えていなかった。
もっとも近場にあったビルへと入り、看板に従って地下へと進む。あえてそういうデザインなのだろう、コンクリート打ちっ放しの階段を降りてすぐの一歩めで、
「いらっしゃいませ、『小料理屋・蔵前処』へようこそ」
雑貨屋の向かいにあった店に、五感の全てを一挙に奪われた。
抜群に格好いい男性が、私の方へ微笑んでいた。まるで一輪の花を差し出すかのように。
まずスタイルがよかった。
すらりとした細身で、身長は一七五くらいだろうか、超小柄な私と比べると二十五センチは高い。そして顔立ちも実に端正だった。きれいな二重の目が適当な位置で輝いて、それを受けるように鼻筋が綺麗な弧を描き、柔らかそうな唇へと続いている。そこへきてお店の制服にエプロン姿というギャップまであるときた。
ど真ん中、ストライクだった。
男の人は、とにかく清潔感と誠実さがあればいい。最近は、そうとしか考えられなくなっていた私の、ほとんど初めて真ん中を彼は射抜いてきた。
一目惚れでないにしても、視線が絡むだけでどきりと胸が跳ねる。
そして、あれよのうちこぢんまりとした店内へと誘われて、
「いらっしゃいませ、中へどうぞ」
カウンター席に通されていた。
おいおい、雑貨を買うんじゃなかったのか、私。
目当ての店は隣だったはずだ。
けれどまぁ、どうしても必須のものがあったわけではない。暇つぶしという意味では、これも悪くはなかった。
メニュー表を手に取る。
和食から中華に洋食まで、かなり多くの種類が書き連ねてあった。あの人はこれを全て作るのだろうか。そんなことを思いながら、よく知らない横文字メニューに目を滑らせていたら、
「ご注文はいかがされますか、おすすめはスペイン料理のタパスです。甘めの赤ワインと、ご一緒にいかがでしょう」
「……えっと、じゃあそれで」
穏やかな声に促されて、言われるままに注文が決まった。
別に、あんまり格好いいから言いなりになったわけではない。まだ夕方の五時半、さほどお腹は空いていなかったから、実際それはちょうどいい提案だったのだ。
ワインがすぐに届いて、少ししてから料理が運ばれてくる。
「冷製タパスでございます。春を意識して、生ハムとオリーブに菜の花を添えました。かぼちゃのサラダには、たけのこを。和風のアレンジです、蔵前らしいでしょ?」
にっこりと、爽やかな微笑みとともに。
私はぽっと見惚れるついでに、名札を確認する。
彼は、駒形(こまがた)聡(さとる)というらしい。名前の右上に「店長」と肩書きが書かれてあった。
彼がカウンターの奥へ戻るのを見届けてから、私はワインを少し口に含む。その苦味を味わいながら、はたと思い出して、料理とワインの写真を撮った。
SNSにあげるなら痛恨のミスだが、どこに投稿するわけでもないので、よしとする。自己満足を済ませてから、菜の花生ハムにフォークを刺した。
「……美味しい、なにこれ食べたことないかも」
相性のよさが、噛むほどに感じられた。胡椒がぴりりと舌を刺激するのがまたいい。ちょうど舌に当たるよう、底にまぶしてあったようだ。
和洋を掛け合わせた組み合わせの面白さから、小粋な心遣いまで。
もしかして、かなり値段が張る店なのでは。冷や汗を垂らしながら私はメニュー表を再度手に取る。
そして、一安心。
ワンコイン、五百円だった。
それにしては、かなりクオリティが高い。一度だけ行ったことのある高級ホテルのディナーで出てきた前菜とも大差ないレベルだ。
ホテルディナーの時はどうしても肩肘を張ってしまい、味に集中できなかったが、この店の雰囲気ならその必要はなさそうだった。
ほっとすると、ついついお酒が進む。暇つぶしのはずが、勢いづいてしまった。
カクテルサワーにビール、と次々に呷る。
料理も、つまみ程度のはずが、ボンゴレパスタにカツレツ、モツ煮込みと、和洋関係なくどんどんと追加していった。
これがまた全て絶品なのが、私の箸を休ませなかった。
ボンゴレパスタは、あさりのうまみが凝縮したソースがパスタにまとわりついて、インスタントには出せない深みがあった。カツレツは、黄金色の衣に、チーズの芳醇な匂いと風味で私の食欲をさらにかき立てた。
そして、モツ煮は、五臓六腑に染み渡る優しい醤油と柔らかさ。臭みなんてまるでなく、洋食に踊った私の胃をほっと休ませてくれる。だが、休む暇はそこそこのうちに、今度はお酒を流してしまうのが今日の私だった。
アルコールに手を出すのは、かなり久しぶりのことだった。
それに鬱憤をため込んできたことも相まって、酔いの回りがかなり早かった。
仕事終わり、美貌の店主に声を掛けられて、蔵前駅近くの小料理屋に入った。
その、女子の理想から作られたのかというくらい整った顔や姿格好に導かれるように、私は席につく。
そして過ごすこと約数時間。
「ご存知かとは思いますが、私、『小料理屋・蔵前処(くらまえどころ)』の駒形(こまがた)と申します。ご依頼の件でお伺いしました。こちらは助手の汐見(しおみ)です」
その店主はよもや探偵で、なぜか私はその助手になっていた。
どうしてこんなことになったのだろう。全てはお酒のせい、いや元を辿れば──
♢
なんとなく家に帰る気にはなれず、私、汐見(しおみ)祥子(しょうこ)は夕暮れの路地裏を漫ろに歩いていた。
帰っても、どうせなにもしない。きっとSNSとニュースサイトを交互に見てはお菓子をつまんだりして、だらだらと無為な時間を過ごしてしまう。そして夜が相応に更けてから、明日の仕事を思い出して、焦ったように布団に入るのだ。翌朝、アラームに叩き起こされるまでがお決まり。
そんなシナリオに比べれば、家の周りをふらつく方がいくらかマシに思えた。どちらにしても生産性はないけれど。
「おしゃれな店が多いんだなぁ」
つい一人呟く。
というのも、個性的な雑貨屋や雰囲気のあるバーが、見える範囲だけでいくつも確認できた。立ち並ぶ雑居ビルの中、それぞれの店が控えめに、されど毅然とその存在を主張している。
一見ごちゃついているようだが、それがまた洒落た雰囲気を醸し出していた。
こんな素敵なお店があったなんて。普段のアフターファイブは直帰がモットーの私にとっては、初めて知るこの町の姿だった。
なにせろくな下調べもできないまま、引っ越してきたのは、つい二週間前。
「家賃の割に、比較的落ち着いている」という、ネットの口コミだけを頼りに、ここを一人暮らしの住処に選んだのだ。
東京都台東区・蔵前。
駅で言うと、かの有名な浅草駅から、都営大江戸線で一駅のところにある、下町風情の残る小さな町だ。
かと言って、浅草のように人がごった返しているわけではなく、比較的閑静な住宅街が並ぶ。
それでいて、上野や秋葉原といった東の中心地にも簡単に足を伸ばせるアクセスもいい。
どちらかといえば、機能的な、都心の外れにあるベッドタウンをイメージしていた。のだが、この今風のモダンな雰囲気は女心をくすぐる。
これは予期せず、当たりの町を選んだかもしれない。
せっかくだから、なにか家具でも買おうか。ちょうど、なにもかも足りていない。そうだ、それがいい。
外観から店の良し悪しを判断できるほど、雑貨への目は肥えていなかった。
もっとも近場にあったビルへと入り、看板に従って地下へと進む。あえてそういうデザインなのだろう、コンクリート打ちっ放しの階段を降りてすぐの一歩めで、
「いらっしゃいませ、『小料理屋・蔵前処』へようこそ」
雑貨屋の向かいにあった店に、五感の全てを一挙に奪われた。
抜群に格好いい男性が、私の方へ微笑んでいた。まるで一輪の花を差し出すかのように。
まずスタイルがよかった。
すらりとした細身で、身長は一七五くらいだろうか、超小柄な私と比べると二十五センチは高い。そして顔立ちも実に端正だった。きれいな二重の目が適当な位置で輝いて、それを受けるように鼻筋が綺麗な弧を描き、柔らかそうな唇へと続いている。そこへきてお店の制服にエプロン姿というギャップまであるときた。
ど真ん中、ストライクだった。
男の人は、とにかく清潔感と誠実さがあればいい。最近は、そうとしか考えられなくなっていた私の、ほとんど初めて真ん中を彼は射抜いてきた。
一目惚れでないにしても、視線が絡むだけでどきりと胸が跳ねる。
そして、あれよのうちこぢんまりとした店内へと誘われて、
「いらっしゃいませ、中へどうぞ」
カウンター席に通されていた。
おいおい、雑貨を買うんじゃなかったのか、私。
目当ての店は隣だったはずだ。
けれどまぁ、どうしても必須のものがあったわけではない。暇つぶしという意味では、これも悪くはなかった。
メニュー表を手に取る。
和食から中華に洋食まで、かなり多くの種類が書き連ねてあった。あの人はこれを全て作るのだろうか。そんなことを思いながら、よく知らない横文字メニューに目を滑らせていたら、
「ご注文はいかがされますか、おすすめはスペイン料理のタパスです。甘めの赤ワインと、ご一緒にいかがでしょう」
「……えっと、じゃあそれで」
穏やかな声に促されて、言われるままに注文が決まった。
別に、あんまり格好いいから言いなりになったわけではない。まだ夕方の五時半、さほどお腹は空いていなかったから、実際それはちょうどいい提案だったのだ。
ワインがすぐに届いて、少ししてから料理が運ばれてくる。
「冷製タパスでございます。春を意識して、生ハムとオリーブに菜の花を添えました。かぼちゃのサラダには、たけのこを。和風のアレンジです、蔵前らしいでしょ?」
にっこりと、爽やかな微笑みとともに。
私はぽっと見惚れるついでに、名札を確認する。
彼は、駒形(こまがた)聡(さとる)というらしい。名前の右上に「店長」と肩書きが書かれてあった。
彼がカウンターの奥へ戻るのを見届けてから、私はワインを少し口に含む。その苦味を味わいながら、はたと思い出して、料理とワインの写真を撮った。
SNSにあげるなら痛恨のミスだが、どこに投稿するわけでもないので、よしとする。自己満足を済ませてから、菜の花生ハムにフォークを刺した。
「……美味しい、なにこれ食べたことないかも」
相性のよさが、噛むほどに感じられた。胡椒がぴりりと舌を刺激するのがまたいい。ちょうど舌に当たるよう、底にまぶしてあったようだ。
和洋を掛け合わせた組み合わせの面白さから、小粋な心遣いまで。
もしかして、かなり値段が張る店なのでは。冷や汗を垂らしながら私はメニュー表を再度手に取る。
そして、一安心。
ワンコイン、五百円だった。
それにしては、かなりクオリティが高い。一度だけ行ったことのある高級ホテルのディナーで出てきた前菜とも大差ないレベルだ。
ホテルディナーの時はどうしても肩肘を張ってしまい、味に集中できなかったが、この店の雰囲気ならその必要はなさそうだった。
ほっとすると、ついついお酒が進む。暇つぶしのはずが、勢いづいてしまった。
カクテルサワーにビール、と次々に呷る。
料理も、つまみ程度のはずが、ボンゴレパスタにカツレツ、モツ煮込みと、和洋関係なくどんどんと追加していった。
これがまた全て絶品なのが、私の箸を休ませなかった。
ボンゴレパスタは、あさりのうまみが凝縮したソースがパスタにまとわりついて、インスタントには出せない深みがあった。カツレツは、黄金色の衣に、チーズの芳醇な匂いと風味で私の食欲をさらにかき立てた。
そして、モツ煮は、五臓六腑に染み渡る優しい醤油と柔らかさ。臭みなんてまるでなく、洋食に踊った私の胃をほっと休ませてくれる。だが、休む暇はそこそこのうちに、今度はお酒を流してしまうのが今日の私だった。
アルコールに手を出すのは、かなり久しぶりのことだった。
それに鬱憤をため込んできたことも相まって、酔いの回りがかなり早かった。
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