花鳥風月

ナムラケイ

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第2章:鳥の羽ばたく、海の彼方へ

Love is blind.

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 日曜日の昼下がり、柑露茶館を訪れたセイジは、出迎えた中弥と梅子を見て珍獣にでも出くわしたような顔をした。

「いらっしゃい。どうした、おかしな顔をして」
「お邪魔します。なんですか、そのペスト防護衣のような恰好は」
「ああ、これは割烹着と言って日本のエプロンだよ」
「洋菓子はお粉が飛び散るから、この服装が一番なのよ」

 梅子が両腕を上げてくるりとターンしてみせる。
 普段は割烹着など着ることはないが、梅子のアドバイスを受けて、中弥もシャツとズボンの上から割烹着を羽織り、頭には三角巾を巻いている。

「はじめまして、梅子と申します。本日はよろしくお願いします」

 ぺこりと頭を下げる梅子に、セイジも日本流にお辞儀をした。

「こちらこそよろしく。製菓は趣味レベルでプロでもなんでもないから、教え方が下手だったらごめんね」
「教えてもらえるだけでありがたいです。セイジさん、日本語、めちゃくちゃ上手ですね。本当に勉強始めたばかり?」
「元々日常会話はある程度できるからね。読み書きの方は全然できなくて、毎回押領司先生に厳しく指導されてるよ」

 梅子にそう言ってから、セイジは中弥に英語で話しかけた。

「それ、脱いでもらえませんか。先生のエプロン姿を期待していたのに」

 男のエプロン姿の何が良いのか。また訳の分からないことを言っている。

「エプロンは袖や胸元が汚れるだろう。粉は飛び散ると厄介だし、割烹着が一番いいんだよ」

 素っ気なく返すと、セイジは持参した紙袋の中身を取り出した。
 ミルク、砂糖、卵。それだけだ。

「梅子ちゃん。今日の材料はこれだけだよ」
「え? これだけ?」
「うん。今日は小麦粉は使わないから、そんなに重装備じゃなくて大丈夫だよ」
「そうなんだ。でも、洋服を汚したくないから、私はこのままで」
「俺もこのままで」

 梅子に同調すると、セイジはあからさまに残念そうな顔をしたが、「まあ、割烹着姿も可愛らしいといえば可愛らしいのでよしとします」等といかれた事を言っている。

「セイジさん、石焼き窯を使うなら、先に火をおこしておいた方がいいかしら」
「大丈夫だよ。ガスオーブンも窯も必要ない。このお菓子は竈ひとつだけで作れるから」

 この時代、街路には洒落た鉄製のガス灯が並んでいるが、一般家庭へのガスの供給はまだ行われていない。
 当然ガスオーブンなどという設備もなく、柑露茶館の煮炊きも、炊事場の竈か叔父が庭に作った石焼き窯を使っていた。

 セイジが説明したように、調理は至ってシンプルだった。
 温めて混ぜて漉して蒸すだけ。
 出来上がった菓子はお月様のような優しい色をしていた。匙を差し込むとふるふると柔らかく、優しい甘みをしている。
 ひとくち食べるなり、梅子は頬を押さえてぴょんと飛び上がった。

「美味っしーい! セイジ君、これ、なんていうお菓子なの?」
「プディングだよ。冷やすともっと美味しいから、残りは氷か水で冷やしてから食べてみて」
「簡単だし美味しいなんて最高。セイジ君、天才!」

 手放しに褒められてセイジは照れ臭そうだ。その照れを胡麻化すように、中弥をからかった。

「これなら、先生も零さずに食べれるでしょう」
「うるさい。フォークは苦手なんだよ。なあ、このプディングって、原理は茶碗蒸しと同じだよな」

 中弥が言うと、梅子も「確かに!」と同調する。

「茶碗蒸しってなんですか?」
「卵と出汁を混ぜて、蒲鉾や三つ葉なんかを入れて蒸した料理だよ」
「美味しいよねー、茶碗蒸し。やわらかくて滑らかで」
「俺はそっちが食べてみたいです」
「作ろうか? 材料はあるし」
「是非!」

 盛り上がっていると、扉のベルがカランと鳴った。
 迎えに出ると、長身の外国人が立っている。

「すみません。今日は定休日なんです」
「休日に失礼します。こちらにセイジ・グレナリーがお邪魔していませんか」

 帽子を取った男の顔を、中弥は信じられない思いで見つめる。

「佐川、さま?」
「はい。いかにも佐川ですが、失礼ながら、どちらかでお会いしましたか?」

 佐川は、セイジや梅子と同じくらいのまだ少年と言える見た目だったが、態度も言葉遣いも一端の紳士だった。

「いや、今は初対面ですが……」

 驚きで上手く声が出てこない。
 茫然としていると、セイジが佐川と中弥の間に立ち塞がった。

「佐川。どうしてここにいるんだ」
「君の家に行ったら、家庭教師の先生のところだと言うから、来てみたんだ。借りていた本も返したかったしね」
「本なんていつでもいいだろ。さては君、先生のことを見に来ただけだろ」
「バレたか」
「すみません先生。彼は佐川と言って、こんな見た目だけど父上は英国人で、同じ居留地に住む友人なんです」
「初めまして、押領司中弥と言います。狭い店ですが、良かったら中へどうぞ」
「ありがとうございます。では、遠慮なく失礼します」

 佐川は品のある所作で帽子をコートラックにかけた。中弥と梅子を見ても何の反応も示さない。
 佐川は、覚えていない方の人なのだ。

「梅子。あの人、佐川様だよな」

 4人分のお茶の準備をしながら小声で囁くと、梅子は首を傾げた。

「セイジ君、あの人のこと知ってるの?」
「ああそうか、梅子は知らないのか」

 二条在番の組頭だった佐川清正と、町の飯屋の娘だった梅とは面識がないのだった。

「何の話?」
「佐川様は、征次と一緒に二条城で働いていた方だ」

 梅子の目が見開かれる。また興奮の雄叫びを上げそうだったので、中弥は梅子の口を覆った。

「静かに。セイジは知らないんだから」

 早口に嗜めると、梅子はこくこくと頷いた。それから、ほうっと溜息をついた。

「運命の輪だわ」

 その日は4人で、プディングと茶碗蒸しと紅茶と言う風変わりなティータイムを過ごした。
 セイジと佐川はとても仲が良さそうだった。記憶がなくても、今の世界でも親友なのだ。
 二人が談笑している姿を見ていると、なんだか中弥まで嬉しくなった。


 女の子の夜歩きは危ないので、日が暮れる前にお開きにした。佐川は馬車で梅子を送ってくれると言い、セイジは残って後片付けを手伝ってくれた。
 お坊ちゃんのくせにセイジは洗い物も手慣れていた。連携プレーでセイジが洗った食器を中弥が拭いてしまっていく。

「先生は、佐川みたいな男がタイプなんですか?」

 作業をしながらセイジがまた突拍子のないことを言い出したので、思わずカップを取り落とした。セイジは抜群の反射神経で落下中のカップを受け止める。

「危ないなあ。気を付けてください」
「君が妙なことを言い出すからだろう」
「だって、先生、今日はずっと佐川のことをちらちら見ていたじゃないですか」
「別に見てないよ」
「見てましたよ。俺は先生のことをずっと見ているので、そういうのは気づくんです」

 涼しい顔で凄いことを言ってくれる。中弥は最後のカップを拭き上げて戸棚に仕舞った。

「佐川君を見ていたわけじゃないよ。君と佐川君が仲良しな感じが、なんだかいいなと思って見ていただけだ」

 それを聞くと、セイジは大げさに身震いしてみせた。

「俺と佐川が仲良し? 気持ち悪い言い方しないでください」
「気持ち悪いって、友達だろ? 仲が良いのは良い事だよ。はい、これで拭いて」

 新しい手拭いを渡すと、セイジは礼を言って濡れた手を拭いた。
 捲り上げたシャツから覗く腕はしなやかで、年下なのにもう中弥よりも太い。綺麗に浮き出た血管が手の甲まで走っていて、中弥はなんとなく目を逸らした。

「あれはただの悪友ですよ。俺が俺が仲良くなりたいのは先生だけです。今度会っても、佐川のことなんか見なくていいですから」
「君は、案外面倒くさい子だな」

 呆れてみせると、セイジは大真面目な顔で言った。

「恋は盲目なんです」
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