花鳥風月

ナムラケイ

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第1章:花ひらく頃、三条大橋にて

花弁の雪

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「本人に聞くことだよね」

 佐川はそう言ったけれど。
 そんなこと、本人に聞けるわけないだろうが。女々しすぎる。
 征次の許嫁の話を耳にしてから、ずっと気持ちが落ち着かない。胸がもやもやして、何も食べていないのに腹がいっぱいな感じがする。
 中弥は完成した障壁画を見つめた。
 作業場から御殿に運び込まれて元あった場所に納まると、芙蓉の間はたちまち華やかさを取り戻した。
 絵の中の芙蓉の花さえ喜びに微笑んでいるようだ。
 派手な引っ掻き傷に粕汁の白濁で最初はどうなることかと不安だったが、何とかなった。
 師匠の須磨は障壁画を遠くから近くから一通り見分すると、「お疲れ様」と言った。
 中弥は安堵する。手直しは必要ないということだ。

「ありがとうございます」

 中弥は深々と頭を下げた。師匠に仕事を評価される時はいつも冷や汗が流れる。
 芙蓉の間の中央にどかりと座り、須磨は続けた。

「ただね、中弥。この仕事が正しく評価されるのは、ずっと先の後世のことだ」
「後世、ですか?」
「そうだね。中弥も私も死んだずっとその後。何百年もその先。芸術品というのは、そういうものだ」

 須磨の言葉を咀嚼するが、意味がよく分からなかった。

「すみません。よく、分からないです」
「うん。今は分からなくていい。私だって、まだよく整理できてはいないんだ。芸術品とは何か。修復とは何か。美しいとは何か、人はどうして何かを美しいと感じるのか。そういったことについて」

 自問するように語り、須磨は中弥の頭を撫でた。

「ともかく、今の時点での私からの評価は「合格」だよ。よく頑張った」

 師匠の労いに、中弥は正座をして、もう一度深々と頭を下げた。
 須磨を見送ったあと、中弥は城に残って作業場の後片付けをした。
 城の備品と私物を分け、借りていたものは綺麗に洗って乾かす。
 床の汚れを拭きとり、箒で塵芥を吐き出す。
 番士達は掃除など下人にさせると言ってくれたが、中弥は断った。後片付けも仕事のうち。自分が使った仕事場は自分で掃除をするのが当然だ。

 陽が傾いてきたころ、征次が顔を出した。
 茶瓶と茶菓子が乗った盆を持っている。

「ありがとう。驚くほど元の通りだった。花など、本物の花より美しいくらいだったぞ」

 中弥は筆の毛先を整えていた手を止めて、征次を見た。
 暮れなずむ部屋、征次は穏やかな笑みを見せている。
 この場所で征次と会うのも話すのも今日で最後だと思うと、もやもやがずきずきに変わっていく。
 ここで茶を飲んだりくだらない話をしたり弁当を食ったりした。それはもう起こらない。
 駄目だ。感傷的になるな。

 征次は、押し黙る中弥の前に湯呑と和三盆を差し出した。

「どうした。歯でも痛むのか。この和三盆は宮様も召し上がるという店のもので大層美味だぞ」
「……なんでもない。痛いのは歯じゃない」

 摘まんだ桃色の砂糖菓子は舌の上ではらりと溶けた。

「中弥。言いたいことがあるなら言えばいい」
「なんでもない」
「なんでもないっていう顔じゃないけどな。おまえは、本当に大事なことを口にしないタチだろう」
「分かったようなこと言うな」
「ご機嫌ななめだな」

 征次は自分も菓子を口に放り込み、「今夜は来られるのか」と訊いた。

「行くよ。佐川様が折角誘ってくれたんだから」
「佐川の奴、張り切っていただろう。あいつは宴会好きで有名なんだ」
「まさかまた御殿で飲み食いするんじゃないだろうな」
「安心しろ。場所は佐川の家だ。ああ、でもまた障壁画に粗相をしたら、おまえを城に留めておけるな」

 宣う征次の眼前に筆をぴしりと突き出した。

「その発言は絵師として許せないぞ」
「どうした、本当に今日は機嫌が悪いな」
「そんなことない。俺の仕事はこれで終わる。爪痕に粕汁なんて、なんてことをするんだと思ったが、俺にとっては良い経験だった。この仕事を担当させてもらえたことを感謝してる」

 早口で伝えると、征次は中弥の髪とその根元の組紐をするりと撫でた。名残惜しそうに、何度も撫でる。

「おまえがここに来なくなるのは、寂しいな」

 なんだか馬鹿らしくなって、中弥は薄く笑った。

「何を言っている。江戸に戻るのはおまえの方だろう」
「中弥。その話だが」

 その先を聞きたくなくて、中弥は煎れ立ての茶をぐびりと飲んだ。

「熱っ!」

 完治していない舌の火傷に熱い茶が触れて、飛び上がる。

「大丈夫か? 見せてみろ」

 征次の指が顎にかかる。

「いい。問題ない」
「いいから舌を出せ」

 指先で両頬を押されると自然に口が開く。征次は口の中を覗き込むと、「腫れているな」と眉をひそめた。
 征次は障子を開くと、格子越しに庭の椿に手を伸ばした。
 花一輪を手折ると、花弁に積もった雪を中弥の口に含ませる。雪は舌の熱を奪ってすぐに溶け、後には花びらの蜜だけが残った。

「焦って飲むからだ。気をつけろ」

 指先で唇をなぞられる。距離が近づく。
 その先の快楽を知っているから、心がざわつく。いつもならここで、許可の印に瞼を閉じるところだ。
 けれど、中弥はそうしなかった。代わりに、唇の前に手のひらをかざした。

「中弥?」
「そういう気分じゃない」

 それを聞くと、征次は興味深げに片眉を上げた。

「それ、いいな」
「なにがだよ」
「簡単に許さない感じ」
「沸いてんのか」

 悪態をつくと、逆手に手首を掴まれた。唇が手の甲に触れる。
 前にもされた仕草だったが、今回は音を立てて強く吸われた。

「な、に」

 ちりりと皮膚が痛む。

「征次」
「中弥。俺を拒むな」
「は?」
「言っただろう。おまえしかいないんだ、ずっと」

 なんだそれ、なんだよそれ。あり得ない。
 男のくせに。武士のくせに。江戸に戻るくせに。女と結婚する身のくせに。

「ふざけんな!」

 征次の手を思いっきり振り払った。
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